Angsthase | ナノ
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本屋は駅前にあると相場が決まっている、などという固定観念を持って、ナツメは浮世絵町駅前をふらふらと散策していた。
いくら毎日下登校に利用しているとはいっても、時間をかけて歩いたことはいままで一度もなかった。通常ならば部活の先輩などにいろいろと学校周辺の知識は教えてもらうものだが、あいにくナツメの所属する部活には先輩はいなかった。さらに、携帯電話を所有していないため、当然のように詳しく調べることもできなかった。
そのため、ナツメはほとんど立ち入ったことのない道を歩いては戻り、また別の道を歩いては戻りを繰りかえしていた。

「……あつい」

一度それを口に出してしまえば、体感気温が一気に三度近く上昇したような気がした。しかし、事実、暑いのだから仕方ない。日傘も帽子も用意してこなかった己の愚かさをナツメは呪った。
そもそも、ただでさえ街中だというのに蝉の声が耳につくのである。彼らの鳴き声を聴いているだけで、いやがおうにも暑さを感じてしまう。そしてこの日の照り具合と気温だ。まさに『夏真っ盛り』という言葉がふさわしい気候だった。

「うう……」

うかつにも水分を持ってこなかったため、ナツメの歩調はふらりふらりとしたものになっていっていた。自動販売機で飲み物を購入したいのは山々なのだが、あいにく、ナツメの懐はそんなものを買える余裕はない。小説を一冊手に入れるだけが精一杯の手持ちしかないのだ。
早く本屋を見つけて、快適な空調のなかでたくさんの活字に囲まれたい。
もはや、いまの彼女はその気力だけで前に進んでいるようなものだった。いつの間にか、明鏡止水の発動をやめていたことにすら気づかないほど、疲弊していたのである。

もう限界。

そんな呟きと共に、歩道の木に寄りかかろうとしたそのとき、軽い衝撃がナツメの肩に走った。

「おっと……大丈夫かい、お嬢ちゃん?」



ナツメがはっと顔を上げると、なんの因果か、そこには鯉伴が立っていた。さらに運が悪いことに、彼の横には妻である若菜までいた。二人とも心配そうにナツメの顔を覗いており、純粋にこちらの体調を気づかっていることがよくわかる。
鯉伴はぶつかってきた少女がナツメだと分かると、一瞬おどろいた顔をし、すぐに相好を崩した。

「なんだい、巡里さんじゃねぇか」
「あら、あなたがリクオの友だちの……」

ナツメは暑さからくるものとは異なる汗をかき始めた。
まずい。非常にまずい人たちとはち合わせてしまった。

「こんなにふらついているってこたぁ、熱中症じゃねぇのかい?」
「いえ……あの、だいじょうぶ、です……」
「っていうわりには、ずいぶんと顔色が悪そうじゃねぇか。なぁ?」
「そうね。いまにも倒れそうよ?」
「…………」

元親二人のダブルパンチはきつかった。
ナツメはうっと言葉に詰まり、視線を彷徨わせた。いくら普段は冷静沈着で、軽く受け流すことが得意なナツメであっても、育て親の追及には弱かった。なにしろ、どんなにごまかしても、すべてが見透かされているかのような錯覚に陥ってしまうのだ。

「とりあえず、そこのカフェで一休みしようじゃねぇか」

鯉伴は親指でついと道の反対側にあるカフェを指さした。気障な動作だったが、それが嫌味にならないところが彼の魅力のゆえんなのであろう。
若菜も鯉伴に同意するように、笑顔で頷いて、ナツメの手を自然な動作で取った。

「あそこのカフェのケーキはおいしいのよ」
「いや、でも……お金が……」
「なに言ってんだい。こんな熱中症寸前の女の子に金なんて払わせねぇさ。それくらい奢るに決まってるじゃねぇか」
「そんな……! 悪いですよ!」
「いいのよ。こっちの勝手な行為なんだから。そんなに気まずく思うのなら、『ちょっと暇そうな夫婦の話を聞くお願いをされた』ってことで、どうかしら?」
「……はい」

ナツメは白旗を上げた。どうしたって彼らから逃げられることはできやしないのだ。それは奴良ナツメのときに重々経験済みである。

ともすれば大人二人が女子中学生をカフェに連れこむ姿は、誘拐行為に見えなくもないだろう。
しかし、この二人のことをよく知るナツメは、元母親の手の感触を味わいながら、素直に手を引かれていった。




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