Angsthase | ナノ
ゆるやかな歩み


ナツメはわりかし真面目な生徒として学校生活を送っていた。提出物の期限は守るし、授業中も騒がしくしない。教師には礼儀正しく接し、同級生にも悪印象を抱かせない。可もなく不可もなく――と言うには、少しばかり真面目すぎるくらいの生徒だった。
そんな彼女が、今日ある生徒会選挙演説をサボタージュするなどということは、まずもってありえないことであった。というよりも、まさか彼女が出席したくないなどと考えているだなんて、誰も予想だにしていなかった。

「ナツメちゃん、早く行こうよ」
「うん……、行こっか」

ナツメは無理やりに笑顔を捻り出して、誘いをかける坂赤の後をついて行った。本当ならばここにいたくもない。口から漏れ出そうになる拒絶の言葉を、必死に喉の奥で抑えこむ。

つい先日、再び不思議な体験をしたナツメは、いつもと変わらぬ生活を送っていた。というよりも、そうするしかほかになかったのである。
というのも、原作に関わる気があるわけでもなしに、これからの明確な予定が現れるわけがないのだ。たしかに、原作から回避をする行為を“予定”と称するのであれば、「ある」と言えるのかもしれないが、どのみち、そんなものは未来を捩曲げるよりも容易いことだ。ただ物語の主人公たちに関わらないようにするだけなのだから、結局は、予定などほぼ存在していないに等しい。
だから、ナツメはあのような体験をしておきながら、何事もなかったかのように日々を送っていた。日にちが若干飛んでいたことは――なぜか病気による欠席とされていたので、なにも問題はなかった。施設の方でも、ナツメは風邪を引いていたと認識されていたのだから、やはり困るようなことはなかった。

ナツメがしばらくの間、姿を消していたことなど、誰も気にかける者はいない。

それゆえ、ナツメはありがたく平和な日常に享受した。問題がなければそれに越したことはない。たとえ、また時間を飛んでしまったとしても、心配する者がいない以上、気にかける必要はないのだ。

坂赤の揺れる黒髪を見つめながら、ナツメは憂鬱そうに顔を曇らせた。
目下のナツメの悩みごとは、この生徒会選挙演説にあった。

生徒会選挙演説といえば、まさにナツメが回避したい、原作のなかにある行事だった。内容は犬神とリクオの戦いと、玉章の宣戦布告。重要度はそれなりにあるし、戦いが起きるので身に危険が降りかかる。事情を知っていれば、まず積極的に迎えたくはない場面だ。
――“危険が降りかかる”。そう、ナツメはただ、原作に関わりたくないという理由だけで、これを回避したいと望んでいるわけではない。
どういうことかというと、要するに、彼女には迫り来る危機を回避できるだけの強さがないのである。上から落ちてくる照明を避けたり、犬神に踏まれない自信がない。それを重々承知しているので、ナツメはこの場面への参加を拒んでいるのだ。

本人ですら自覚できるほどに、ナツメはとても弱い。武術の心得など知るよしもなく、畏を使用した回数も、普通の妖怪と比べばないに等しい。たしかに、奴良家にいたときに、多少の護身術を習っていてもおかしくはなさそうなのだが、いかんせんナツメは逃亡に逃亡を重ねていたし、鯉伴も「ナツメは女だから」と理由をつけて、それの練習を強いらなかった。もしかすると、小学校に上がれば習わされていたのかもしれないが、残念ながらその前に命を落したために、戦い慣れをする機会は永遠に失われてしまった。

そんな、一般女子程度の力しかないことをわきまえているナツメは、さてどうしたものかとあらためて頭を悩ませた。
こうして坂赤のそばを歩いている以上、明鏡止水で姿を消すには少しばかり無理がある。体育館に到着してから手洗いに行くという手も、長時間、席を外していたら確実に怪しまれる。

――ここはやはり、ベタだが堅実的な手段に出よう。

ひとつ残された最後の手段を選び、ナツメは隣を歩く坂赤に弱々しく話しかけた。

「ごめん……ちょっとお腹が痛いから、保健室に行ってくるね」
「えっ、大丈夫?」
「うん。すぐ向かうから、先に行ってていいよ」

力無く眉を落とし、口元は何かを堪えるように硬直させる。最後に浅く息を吐けば、坂赤は見事に騙された。

「本当に具合が悪そうだね……。
 うん。こんな状態のナツメちゃんを一人で行かせられないよ。わたしも付き添う!」
「えっ」

予想斜め上の対応だった。
若干、目論みの雲行きが怪しくなったような気がする。
他人を自分の嘘に巻き込ませる気は毛頭ないため、ナツメは慌ててそれを制しようとした。

「いや、いいよ。悪いしさ……」
「遠慮しないでよ。友だちなんだから!」
「…………」

友だちだったんだ。
ナツメは驚きよりも呆れはてるほうが勝った。
そんなナツメをよそに、坂赤は笑顔で最後に一言。

「――で、保健室ってどこだっけ?」
「あっちのほうだよ。……たぶん」

入学して約二ヶ月しか経ってない一年生が、校舎内を詳しく知っているわけがない。
ナツメと坂赤は曖昧な記憶を探りながら、頼りない足取りで校内という名の迷宮を歩きだした。





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