Angsthase | ナノ
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横断歩道を渡り、角を曲がる。住宅街に差しかかるところであの信号は現れる。
そこへたどり着いたとき、真っ先にナツメの目に飛び込んだのは鮮やかな深紅だった。

「…………」

華が咲いたように、雨で濡れた道路には大量の血痕が飛び散っている。排水溝にも血が滴って、水と混じり合いながら水路へと流れこんでいる。そのすぐ傍には漫画と包丁が落ちており、やはり同じように赤黒く染まっていた。

この一角は、人間の体液と死の匂いが支配している。

鉄と、雨と、悲しい匂い。黒く煮詰められたそれは、呆然としているナツメの身体にも煙のように漂い、するすると纏わり付いてきた。
複数人の警官がそれらのなかで遠慮なく歩き、地面や物品などを丁寧に調べている。黒く湿った視界のなかで、白いチョークだけが浮かぶように目立っている。『KEEP OUT』で張られた向こう側はまるで別世界であるかのように感じられた。
しかし、匂いは境界線をたやすく越え、ナツメをそこから切り放さなかった。ここから逃げてはいけないと、手を、足を、蛇のように柔らかく、しかし確実に縛りつける。
しばし唖然と立ち尽くしながらも、しばらくして、ナツメは軋んだ思考を無理やりに再開させた。

この血を見れば、致死量であることは明らかだ。
私は――××××は、つい先ほど死んだんだ。

雨が止んでいる時点で察するべきだった。ナツメは視線を変えないまま、感覚もない口のなかを強く噛む。未来が変わったわけでも、パラレルワールドでもない。私が死んでから雨が止んだだけ。同じような時刻ならば、そう考えられてもおかしくなかったのに。

いったい、私はなにを期待したのだろう。

かつての自分のものだった体液をナツメはぼんやりと見つめる。

昔の自分に会いたかった?
過去の自分を救いたかった?
幸せそうな自分を見てみたかった?
はたまた――死に逝く自分を目にしたかった?

どれを取っても正確だという確信は持てなかった。自分自身が何をしたかったのか。何を求めていたのか。どう感じているか。それらはいくら思考を巡らせてもあやふやなままだった。
じっと立ちすくむ間にも、野次馬が砂糖に群がる蟻のように集まって増えていた。ざわざわという人の声がナツメの周りでうごめき、弾ける。好奇の響き。恐怖の囁き。隠しきれない興奮の音。

「……わからない」

いつものように思考放棄をした。
すると呟いた言葉が鍵だったのか、そこでタイムリミットが訪れたのか、いつか味わったような耳鳴りが唐突にナツメを襲った。
目に映る世界が水の膜で覆われたかのように歪み、揺らめく。多彩な色が混ざり合って溶け合う。雑音も掻き乱されて薄れる。すべてが透明に近づいてゆく。
そして、澄んだ世界のなか、どこかで雨音が落ちるかすかな響きがしたとき――なにもかもが黒に塗り潰された。




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