Angsthase | ナノ
3


ともだちがいた。
たぶん、ともだちだった。
親友、と呼べる仲だった。
お互いにそう認めていた。
私にとっては親友だった。
そう、
親友がいた――はずだったんだ。



「――……」

目を覚ます。
夢からふわりと覚醒する。
ナツメは顔を上げてはじめて、自分が立ちながら眠っていたことに気づいた。

「(……夢を見ていた、気がする)」

しかし、その内容までははっきりと覚えていない。むしろ思い出そうとするたびに、その記憶はするりとシルクのような手触りですり抜けていった。
たしかに、夢を見ていたはずだったのに。ナツメは寝ぼけた頭で内心首を傾げる。だが、しばらくもしないうちに、ナツメはそのことについて考えることを放棄した。どうせ夢ならば関係ない。そんな寝起きならではの投げやりな気持ちが、彼女の思考の半数以上を占めていた。

きょろきょろと教室内を見回すと、幸か不幸か、意識を失う前からあまり時は経過していないようだった。ナツメは黒板に書かれた自分の名前を意味もなく眺める。

卓球
巡里ナツメ・逆赤朝香

自分の名前の横に、クラスメイトのものであろう名前を見つけた。なかば無意識のうちに、その読み方を心中でなぞる。

「(……サカアカ、アサカ?)」

なんとも噛みやすい名前だ。それにしても、卓球という種目を選び、なおかつナツメのようなとっつきにくい者と一緒に行動をしたがる者は、よほど大人しめな女子か、運動が苦手な女子なのだろう。間違っても明るい人間が積極的に選びたがるものではないはずだ。

逆赤、逆赤と口の中で慣れない名前を転がしながら、ナツメはのんびりと辺りを見回す。しかし、まだ入学してから一ヶ月そこらの状況で、ナツメが多くの人の顔と名前を一致させられるわけがなかった。この四十人近い教室内で、ナツメが自信を持ってはっきりと見分けられる人物は清継とゆらくらいだろう。正直なところ、席の前後の名前すら危うい。覚える気がないのではなく、興味がないというのがその最大の理由であったのだが。

「えーっと、巡里さん?」
「えっ?」
「巡里さん……で合ってるよね? 同じ競技になったから、よろしく!」

にこにこと笑いながら話しかけてきた女子。おそらく、彼女が坂赤朝香なのだろう。

「うん、よろしくね」

ナツメはぎこちなくも口端を上げてそれに応えた。素直に笑顔になれないのは先ほどの夢のせいに違いない。
手に滲む汗を背中に回し、拳を強く作る。

「(どうせ、ただのクラスメイトなんだから)」

線を引き、後ろに下がり、ナツメは対面している少女を観察する。
どの程度の人間なのか。どのような思考をするの人物なのか。仕種。口調。笑い方。価値観。あらゆる要素を抽出し、主観的に考察する。
彼女が自分を攻撃してくるリスクはどれほど高いのだろうか。
ただそれだけを恐れて、彼女は全ての人間を警戒視していた。
ナツメは、鯉伴が気づいていたように、臆病な人間だった。人からのさりげない冗談やからかいに過敏に反応をし、心の距離を一気に置く。一度でも自身を傷つけるような要素を発見したら、その人間とは二度と心を通わせようとは思わない。表向き上は笑みを浮かべながら会話をするが、内心では底無しの空虚な闇が広がるばかりである。
人を揶揄する人。
人を傷つける人。
そのような人が、自分を傷つけないわけがない。一パーセントの可能性ですら、ナツメにとっては脅威の存在に違いなかった。

「前々から巡里さんと話してみたかったんだよね」
「そうなの?」
「うん。ほら、巡里さんってあの本が好きでしょ? ヤサカっていう作者が書いた」
「ああ、『とあるキング』のこと?」
「そうそう、それ。わたしも好きなんだ」
「へぇ、珍しい」

本心からナツメは感嘆の声を漏らした。
あの小説は、いつもの作者らしくないということで、ヤサカのファンからはそれほど気に入られていない。実際に、ナツメは書店で批判的な感想をしている人をちらほらと見かけたのだから。

「わたしもそう思うよ。だから巡里さんが読んでいる姿を見かけたときは嬉しくて。それ以来、話しかけるチャンスをなんとかして作りたかったんだよ」
「ああ、それで卓球に……」
「そういうこと」

目の前の少女は嬉しそうにはにかんだ。年相応のその姿が、ナツメには眩しく映った。

「(なにも疑わない、純粋そうな表情だ)」

この少女は人がいつか人をたやすく裏切ることも、人が人を傷つける可能性があることも毛頭考えていないのだろう。それは裏を返せば、それだけ彼女が幸せな人生を歩んできたということに繋がる。
人から裏切られたことがなく、人に失望したこともない。幸せな、ちっぽけな悩み事しか持たない人生を送る子供。
嫉妬に似た黒い感情がナツメの中でふつふつと沸き上がる。汚らしく、浅ましいことだと頭では理解しているが、どうしてもそれを制御する術を思いつけなかった。

「(嫉妬だなんて……ましてや、憧れるだなんて)」

そんなことはしたくない。ナツメは心中でかぶりを振るものの、この幼い少女に対する感情を振り切ることはできなかった。

「(……ばかみたい)」

ナツメはふと、元父親だった鯉伴の顔を思い出していた。
どうしたって掴めない、そんな存在だということをナツメははっきりと自覚していた。あの暖かかったかつての生活のように、再び自分が純粋な考えを抱くことは不可能だということは、悩むまでもなく分かりきってしまっていた。





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