Angsthase | ナノ
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「――ハッハッハ、島くん、君はまだまだだねー。気合いが足りないよ!」
「気合い……っすか」
「今日は花開院くんに気合いを入れてもらうからねー!」
「気合い……ですか」

プロだぞ妖怪の! と盛り上がる清継とは裏腹に、周りはいささか大人しい雰囲気だった。もしかすると清継の気合いの入れようについて行けていないのかもしれない。
ナツメはそんな事よりも、目の前にある光景のほうに心を奪われていた。

「(……なつかしいなぁ)」

歴史を感じさせる重厚な正門。原作の知識だけではない、ナツメ自身が昔、幾度となく潜ってきた門だった。
夜になるとここの提灯が勝手に燈されることを知っているのは、おそらくこの屋敷の者くらいだろう。たしか付喪神になっているはずだが、ナツメ自身はこれが動いている姿を未だに目にしたことがなかった。夜更かし厳禁、さらに若干の引きこもりであったナツメが夜に部屋を出たこと自体が滅多になかったのだから、当然の話ではある。

清継は誰と打ちあわせるでもなく、率先してインターホンを押す。と同時に、ピンポーンという軽い音が辺りに響いた。わいわいと明るい声がどこからか聴こえるのは、今ごろ屋敷内の妖怪たちがてんやわんやとして、陰陽師娘から隠れようと騒いでいるからだろう。
いつまで経っても応答しないリクオを待つ間に、清継は門から家を仰ぎ見た。

「それにしても、噂に違わぬボロ屋敷」
「ですねー」

島がなんとなしに同意する。
事実そうなのだが、それを思うだけで済ますことと、直接口に出して言うことはまた別だ。数年間とはいえ、ここで暮らしていたナツメが憤らないわけがなかった。

「ねぇ清継くん――」
「ごめんごめん。遅くなっちゃって……」
「本当に遅いぞ奴良くん! さっさと案内したまえ! 妖怪屋敷で妖怪会議だ!」
「ちょっと清継くん、失礼だよ!」

清継のこれらの発言で、ナツメの彼に対する株が一気に降下したのは言うまでもない。いくら中学一年生とはいえ、もう少し考えて発言してほしい。カチンとくるナツメも大人げないのだが、嫌なものは嫌だった。
原作を読んで知っているのと、実際に立ち会うのとではこうも違うのかと、ナツメはしみじみ思い知る。そして同時に、改めてカナの常識力をひしひしと感じさせられた。

「……ありがとう、家長ちゃん」
「えっ? ナツメちゃん、なにか言った?」
「ううん、なんでもないよ」



清継たちは玄関から家に上がり、大広間に通された。初めて奴良家に入った者たちは、各々この広い家に感想を抱きながらあたりを見渡している。ただ一人、ナツメは懐かしい匂いを胸に入れて、動揺している心を落ち着かせようとしては失敗していた。
ここに来るまでの廊下を通っただけで、もう六年以上前になる記憶たちがさまざまとナツメの頭を掠めていった。

たった六年。その程度しか暮らしていないにも関わらず、この場所に対する想いはあまりにも重かった。
リクオがふざけて傷つけた壁。ナツメが必死になって逃げた廊下。あの柱の上にはよく妖怪がたむろしていたっけ。そんなたわいない記憶たちが、ナツメの心を押し潰すように圧迫した。
いっそ、原作の知識なんてなければよかったのだ。そうすれば、これから先に起こることを知らずに、まだナツメは軽い気持ちでいられたのかもしれなかったのに。
いくど転生しようとも、まったく薄れない原作の知識に嫌気が刺す。今となっては忘れたくはないが、覚えていない方が幸せだったのではないかと思う。
そんなナツメの暗い気持ちを現すかのように風が強く吹いて、ガタガタと襖が揺れる。

「……なんか本当に出そう」
「奴良くん、こんな家に住んでたんだね……」
「うん、いい雰囲気だ。――それじゃあ始めよう。今日は花開院さんに……プロの陰陽師の妖怪レクチャーを受けたいと思います」

清継から話を振られたゆらは緩めていた顔を真剣なものにして、皆の注目を浴びながらおもむろに語りだした。

「そうですね……。最初にこの前の人形――あれは典型的な付喪神の例でしょう」
「つくも神?」
「島くん! 君は何も知らないねぇ!」

その嘲笑でナツメはさらに清継に対する株を下げたが、ゆらは気にすることなく話を続ける。

「『器物百年を経て化して精霊を得て、より人の心を誑かす』……付喪神は打ち捨てられた器物が変化した妖怪なのです」

絶望や悲しみといった負のエネルギーから妖怪は生まれるのだとゆらは話す。ナツメは鯉伴の存在を思い出し、首を傾げかけたが、よくよく考えれば京妖怪はそういった闇から生まれる者が多かったなと納得した。おそらく京都に地を構える花開院家では、そのように教えているのだろう。

「妖怪は色々な種に分けることができます。人の形をしたもの。鬼や天狗、河童などの超人的な存在。超常現象が具現化したもの……。さきほど言われていたふらり火など、妖怪の三分の一は火の妖怪であると言われています」

ゆらの瞳がきらりと光る。気分が高揚しているのか、口調がだんだんと関西のイントネーションを混ぜたものになりつつあった。

「やつらの目的はみな、人々をおそれさせること……。なかでも危ないのは獣の妖怪化した存在! やつらの多くは知性があっても理性がない。非常に危険! 欲望のままに化かし、祟り、切り裂き、喰らう! 決してさわらぬようお気をつけ願いたい! そして――それら百鬼を束ねるのが妖怪の総大将――“ぬらりひょん”と言われています。噂では、この街に居着いているという――」

リクオがひいっと引き気味な様子になったことをナツメは見逃さなかった。これからの展開を知るナツメとしては、どうせ頑張って隠していても、いずれはバレるんだけどなぁ、と元弟の努力に苦笑したくなる。
清継もまた、ぬらりひょんという単語にいち早く反応を示していた。

「ぬらりひょんか……。妖怪の主とはいえ、小悪党な妖怪だと思っていたよ……」
「そう――ヤツは人々に多くの畏れを与える別格中の別格。でも、ヤツを倒せば私もきっと認めてもらえる……。古の時代より彼らを封じるのが我々陰陽師の役目。その縁をこの地で……必ず……」

自分自身に向けて言うように話すゆらの姿は、妖怪からすれば恐ろしいものなのだろう。しかし、ナツメからはそれがひどく真っすぐで綺麗なもののように思えた。

人は、前向きな目標があると輝きを増す。
かつてのナツメも「鯉伴を救う」という、少なからず大きな目標があった。その前にも、リクオが大きくなる前に家を出ていくという、後ろ向きながらもたいそれた目標があった。

――しかし、いまのナツメには何もない。

「(もう死んでしまった私は、無関係になってしまったから……)」

原作に介入して、これ以上未来を歪めてしまえば、どうなるか分からない。鯉伴を生かしただけでも、まったく異なる現実になってしまったというのに。さらにそこから変えてしまうということは、未来を知っていることで精神的に優位に立てているナツメの足元を崩しかねないことだった。
それに、原作から大きく外れたことで、リクオたちに原作では平気だった傷を致命的なものにさせる可能性だってないわけではない。下手をすれば、予想だにしなかった出来事で死ぬ可能性だってあるのだ。

――リクオや鯉伴、若菜が、血だまりの中で、ぴくりとも動かずに倒れ伏している。

それは、家族を守るという行動原理から命を落としたナツメにとって、自身の死よりも恐ろしい想定だった。

「お茶入りました〜」

ガラリとナツメの思考を遮るように襖が開いた。
ぽかんと清継たちが見守るなか、しずしずと毛倡妓は部屋に入った。さすがは毛倡妓だ。お茶を煎れる姿が様になっているものだ。感心してナツメは彼女の仕草を眺めていたが、どうやらリクオにはそこまで考える精神的余裕がなかったようだ。
なんとなしにナツメがリクオのほうに目を向けると、全力で、しかしさりげなくゆらから顔を逸らしているところだった。それはちょっとあからさますぎるんじゃないかと突っ込みたかったが、生憎この雰囲気では不可能に近い行為だった。
「ごゆっくり」という言葉と共に襖が閉められる。惚けていた中学生たちはハッと我に返り、動揺を露わにして騒ぎはじめた。

「何!? 誰?」
「おねーさん!?」
「奴良、あんなすごいお姉さんがいるのか!?」

自分に浴びせられる声を振り切るようにして、リクオは全速力で閉じられた襖から廊下に出た。
そのとき、ふいにカナが思い出したように口にした、「お手伝いさんがいるって言ってたような……」という発言で、ゆらは顔を曇らせた。

「お手伝いさん? そう、今のが……。この家はどうも変ですね……」

ここからが一波乱だと、ナツメは人知れずため息をついた。





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