Galgenhumor | ナノ

袋小路の解答用紙


――どうやったら、私は揺るがなくなるんだろう。

私は俯きながら、本家の廊下を歩いていた。暗い私とは違い、左手には冷たく光る小さなアイスが握られている。
……さっきだってそうだ。たまたま台所の近くを歩いていたら、若菜さんが笑顔で封の切られたアイスを渡してきてくれた。当然ながら、最初は嫌がって無言で逃げようとしたけれども、若菜さんはそんな私を見て一言、「じゃあこのアイスは無駄になっちゃうわね」と呟いたのだ。
それを聞いたら、もうどうすることもできなかった。気がつけば、左手には綺麗なソーダ味のアイスがあったし、若菜さんは生き生きとした笑顔で台所に戻っていっていた。
――もうすぐ夕飯だから、ちょっと我慢しててね、ナツメちゃん。
そう言って笑いかけてくれる姿が、私が欲しかったモノと綺麗に合わさっていたことも、このアイスを受け取ってしまった原因なのだろう。

冷たい菓子を齧りながら、私は自室へと向かって歩く。ひんやりと口の中を冷やすそれは、暖かくなってきた春にはちょうどいい。
咥内でアイスの欠片を転がしつつ、私はまたぼんやりと考える。
どうして、こんなにあからさまに嫌っているのに、両親は優しくしてくれるんだろう。あんなに拒絶をずっとしてきて、もう一年が経とうとしているのに。私もとうとう、二歳になってしまったというのに。いつも両親はああやって、私に笑いかけてくれるのだ。

――どうせ、こんなものはすぐに終わるんだから。

そう思っていないと崩れそうになる。すぐに信じたくなる。それほどまでに、ここのお父さんやお母さんは優しくて温かかった。
組の人たちとは、正直なところ、まともに会話をしたことがないから分からない。でも、普通の感覚を持っていたら、私に好印象は抱かないだろう。大抵は俯いているし、目だって滅多に合わせずにすぐに逃げる娘。声を掛けられたって無視してしまうくらい愛想がない子供なのだから。
だから、あれだけ私にされておいて未だに愛を注いでくれる両親は、私にとって未知の存在だった。
本当は、もう愛情なんて信じられなくて、絶対にないと確信したかっただけなのに。

――どうしたら、私は揺るがずにいられることができるんだろう。

ここ最近の、私の悩みは専らそれだった。
もっと、ここの両親が意地悪で、不親切な人だったらよかったのに。そうすれば、早くに愛情やら何やらに見切りをつけることができたのに。死ぬ間際に考えた言葉で、まさかこんなにも苦しめられるとは思ってもみなかった。
はぁ、と溜め息が口から出る。いつの間にか、私は自分の部屋の前で立ち尽くしていた。
手にあったアイスは少しだけ溶けかけている。
勿体ない。そう思って、垂れて指に付いた液を舐めようとした。が、

「――大丈夫ですか、ナツメ様!」

急に自分に向かって発せられた声に驚いて、びくりと肩が跳ねた。その拍子にアイスが静かに音を立てて(クシャッという軽い音だった)、落ちてしまった。
沈黙する廊下には、床に横たわる水色のシャーベットと、棒だけを握りしめている私、そしてタオルを片手に硬直している首無だけがいた。
……さいあくだ。まさか二代目の部下である首無と遭遇するだなんて。
私は無表情のまま、棒に残っていたアイスを舐めとった。

「ゆかの、たべるから、いい」

完全に床に落ちたって、三秒ルールは有効なはずだ。私はしゃがんで、まだ溶けていない大きなかけらを掬い取ろうとした。
しかし、原作でも何かと真面目なキャラとして描かれていた彼がそれを許してくれるはずがなかった。

「ああっ、駄目ですよ! 汚いですから!」

気がつけば、私の前にあったアイスは綺麗にタオルで拭き取られ、視界には素敵な生首が浮かんでいる。
私は純粋に残念さから眉をしかめた。本当だったら溜め息だってつきたい。

「……だいじょーぶ、だったのに」
「大丈夫じゃありませんよ。もしナツメさまがこれでお腹を壊されたと思ったら……気が気じゃありません」
「そっか。……くびなし、やさしいね」
「そうですか? 鯉伴様や若菜様、ナツメ様をお守りするのが私の仕事なので、当然のことをしただけですよ。……ってまだ難しい話でしたよね」

首無は苦笑して、自分の頭を浮遊させていた。
私は自室の前でしゃがんだまま、首を横に振った。

「ううん。……あとね、みんなもやさしいの。りはんさんも、わかなさんも、ぬらさんも、いっつも、わたしにやさしくしてくれるの。……なんでかなぁ」
「ナツメ様……」

気がつけば、言うはずじゃなかった言葉まで、自分の口から零れていった。もしかしたら、ずっと誰かに聞きたかったことなのかもしれない。この一年間、嫌な態度ばっかり取ってきた私に対して、なぜあの人たちは優しくしてくれるのか。分からないなりに悩んで考えてきたつもりだったけれども、そろそろ限界が近かったんだろう。
しゃがみ込んだままの私に、首無は優しく語りかける。

「それは、鯉伴様や若菜様、先代がナツメさまの家族だからですよ。家族というのは、お互いに愛しあって、大切だと想いあう関係なのですから」
「……かぞく」

首無はにこりと微笑んだ。

「そうです。だから、ナツメ様は一人じゃないんですよ。――それに、私たち奴良組の者だって、みんなナツメ様が大好きですからね」
「――えっ?」

詳しく聞こうとしたら、ちょうど若菜さんの、夕飯の支度が出来たと知らせる声によって遮られてしまった。
動揺する私を置いて、首無は何か用事を思い出したのか慌ててどこかに走っていってしまった。――というよりも、どうして私の部屋がある、屋敷の奥の方に首無は用事があったのだろう。
首を傾げても、答えは返って来なかった。
これもまた、きっとどうでもいいことなんだろう。

「……だいすき」

その言葉がいつになっても、頭の中から消えなかった。
大好きって、社交辞令に決まってるよね。
だって、首無は鯉伴さんに忠義を誓っているだけなんだから。

――どんどん私を揺るがそうとするものが増えていく。それはいつか終わってしまうはずのものなのに。

脳裏に浮かぶのは、漫画で読んだ鯉伴さんが刺される場面と、組が弱体化していく姿。
きっと、弱体化していったら真っ先に切り捨てられるのは私だ。
そう考えると、悲しいのか嬉しいのかわからない感情が私の中で渦巻いた。なんだか立ち上がる気力すら湧かなくて、私は膝の間に頭を押し付けた。

「――ほんとうの……」

本当の子供だったら、こんなに苦しむことはなかったんだろう。
ここの世界に生まれて初めて、ここに私がいることに後悔した。

――どうして私は、ここにいるんだろう。





×
第4回BLove小説・漫画コンテスト応募作品募集中!
テーマ「推しとの恋」
- ナノ -