Galgenhumor | ナノ

半透明のB


それはいつもと同じく、私と鯉伴さんが無意味な攻防戦をしていた日のことだ。
鯉伴さんは、これまたいつも通りにチート技の明鏡止水を使って、私を膝の上に乗せるとこう言った。

「もし、妹か弟ができたらどうするかい?」
「……は?」

思わずこんな声を出してしまったのは、仕方のないことだと思う。
だって、妹か弟って……つまりそれは、

「かくしご? ふしまつでやっちゃった?」
「ちげぇよ……。というか、誰からそんな言葉を教わったんだい」

鯉伴さんは困惑したような顔になった。当たり前だ。私だって2歳児がそんなことを言ってきたら引く。

「じゃあ、なんで?」

鯉伴さんの膝の上で、私は首を傾けた。後ろを向きながらだから首は少しきついけれど、できないわけじゃない。
最近になって、とうとう私は鯉伴さんに捕まえられても抵抗することを止めてしまった。どうせいくら逃げようとすぐに追いつかれるし、抱えられたところで私が揺らがなければいいだけの話なんだから。そうやって自己暗示を掛け続けている私は、今さらながら大層な頑固者なんじゃないかと思えてくる。
本当は――本当は、私はどうしたいんだろうか。
自分の着物を強く握る。皺になってしまうなんて、気にする余地はなかった。

「実はな、若菜……お母さんが妊娠したんだ。だからな、もうすぐナツメの弟か妹が生まれるんだぜ」
「えっ、ほんと?」
「あぁ、本当さ。ナツメはその子のお姉さんになるってワケだ」

そして、私は頭に鯉伴さんの手を置かれ、やや乱暴に撫でられた。

「おねーさん……」

ぽつりと鯉伴さんの言葉を反復すれば、私の新しい父親は何を思ったのか、片目を瞑って粋に笑った。

「頑張って守ってやれよ? ナツメの初めての年下だかんな」
「……うん」

素直に私が返事をしたことが余程珍しかったのか、鯉伴さんは両目を大きく開けていた。

「……こりゃあ、めっずらしいこともあるもんだ」
「だって、だいじだもん」

本当の本当に、大事なのだ。
恐らく、いま若菜さんのお腹にいるのは、この『ぬらりひょんの孫』という物語の主人公、奴良リクオだ。それは、私なんかより価値は何十倍もある存在だ。彼がいるからこそ、この奴良組は存続していけるのだから、守らなくていけないのは当然のことに決まっている。……それに、彼が生まれたら今度こそ私はちゃんと捨てられるのだ。大切にしないわけがない。
私がずっと首を傾けながら、上を向いて会話をしている姿を見て疲れると思ったのだろう。鯉伴さんは私を抱き抱えて、向き合える形にすると、また膝の上に乗せ直した。

「ほーう、そうか。でも、ナツメもオレにとっちゃあ大事な存在だからなぁ。あまり無理はすんなよ?」
「……たぶん」
「ははっ、こりゃあ心配な答えだねぇ。ま、本当に何かがあったときは、このお父さんに任せてくれや。絶対にオレが守ってやるからな」
「…………」

随分と頼もしい台詞だと思う。
また片目を瞑って、優しく笑いかけてきてくれた鯉伴さんに、何故だか申し訳なくなってきて、私は顔を伏せた。きっと私はいま、情けない表情をしている。
……だって、嬉しかったんだ。
生まれて初めて、正面からこんなに安心する言葉を掛けられた。それは、小説とかドラマの世界でしか聞いたことがない綺麗な口約束。でも、前世の私は、生まれてから死ぬまでの間に、こんな風に優しく愛されたことがあっただろうか。
情けない。情けない。情けない。
同じ言葉がぐるぐると回る。
動揺して、嬉しくて、悲しくて、恥ずかしくて――こういうとき、なんて言えばいいんだっけ。

「…………ばか」
「お、いきなりどうしたんだい」

結局、口から出たのはそんな言葉だった。
鯉伴さんは、ナツメは照れ屋だねぇと苦笑いしていた。照れ屋、なのかどうかは知らないけれど、やっぱりどうしたって恥ずかしい。
この感情をごまかすために、なんとか私は鯉伴さんの膝の上から逃げ出すと、自室に向かって走っていった。
もう今日はずっと引き込もってやる。心配されたって絶対に出てやるもんか。
子供っぽいことを考えながら、自分の部屋の襖を強く閉じた。傍にいた小さな妖怪が驚くそぶりをしたけれども、全く構っていられなかった。




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