∴ 宿儺の娘
いまは昔。現在から千年以上前のことだ。
東北の外れの山中で、女の赤子が産声を上げた。
彼女の生は祝福に満ちたものではなかった。何故ならば、彼女を一人きりで産んだ母親は、産後すぐに息を引き取ってしまったからだ。
原因は赤子自身にあった。この娘は胎児の頃より多くの呪いを宿していた。そのため、母親は十月十日を呪われながら過ごし、災いをもたらす者として村に住むこともできず、満足に眠ることすらできていなかった。ろくに食事も出来ない状況下で娘を産み切れたことが奇跡と言ってもいい。
通常ならば、赤子である娘も母親と共に羊水と血に塗れ誰に救われることもなく、数日もしないうちに息を引き取っていたことだろう。しかし、そうはならなかった。
母親を孕ませた男が――娘の父親が――母親の息の根が止まると同時に姿を表したからである。
「戯れで孕ませた女の気配が消えたと思いきや――よもや、これほどの呪力を持った児子が生まれるとはな」
一対の腕で娘を抱き上げ、男は――のちに両面宿儺と呼ばれるようになった男は満足げに嗤った。
宿儺は「呪いの王」と呼ばれる人間である。そう呼ばれるようになった理由は単純だ。誰よりも呪いに詳しく、呪いに親しみ、呪いを操るのが上手かったから。そして、その力を殺戮に使うことに長けていたからだ。
呪いは反転することによって人を癒すことも可能である。しかし、宿儺はそうしなかった。ただ気の赴くままに数多の術師と戦いを繰り広げ、数え切れないほどの人間と呪霊を殺してきた。そうして、いつしか人々から「呪いの王」と、畏怖を込めて呼ばれれようになったのである。
宿儺は殺戮を好んでいたが、同等にあらゆる術式を識ることも好んでいた。そのため、呪術師の一族を嬲り殺しにしている最中、生き残りである母親の目の前で幼児を捻り潰しながら、ふと、あることを思いついたのだ。
――己の血を継ぐ子がいたならば、一体どのような術式を持つのだろうか。
通常、術式は相伝である。だが、時として見も知らぬ術式が現れることがある。大抵は不義を疑われるのだが、宿儺はそうでないことを知っていた。優れた術師の子の場合は、新たな可能性を生み出すことがあるのだ。
そうであるならば、自分の血を継ぐ落胤が知らぬ術式を持って生まれる可能性も無きにしも非ずではないか。上手くいけば、この上なく興味深い存在となるはずだろう。
宿儺は今まで子孫というものなどに露ほどの興味もなかった。継承など、毛ほども気を惹かれない。手のかかる子供は煩わしいばかりである。自分と同じ術式を継ぐ赤子を欲しがる呪術師の気が知れなかった。だが、研究対象として――玩具として考えるならば別だ。同じ術式を継いでいたならばすぐに殺してやるが、そうでなかったならば暫しの退屈しのぎになるかもしれない。
そうして、宿儺は名も知らぬ呪術師一族の生き残りである女たちを捕まえて孕ませた。ほとんどの女は宿儺の子の呪いに耐え切れずに死に絶えたが、ひとりだけ上手く孕めた女が生き残った。
その女は何度か死のうとしたが、当然のごとく宿儺が許さなかった。赤子を無事に産めば楽に死なせてやるという縛りを設けてまで、宿儺は女を山中の小屋に閉じ込めて生かし続けた。
惨殺された一族の生き残りである女に帰る場所などなかった。元いた村の人々からは呪われた女として忌み嫌われ、小屋から逃げ出せたとしても山中から出ることは許されなかった。それは女からすれば悲劇であっただろうが、宿儺にとっては好都合であった。なにしろ、女を追い込むにはこの上ない環境だったからだ。
過酷な環境であればあるほど、人はあらゆるものを呪いやすくなる。この世を、両面宿儺を、腹に息づく赤子を、そして自分自身を――。
その過剰な呪いが新たな可能性を生み出すならば、いくらでも宿儺は女を苦しめられた。
そうして十月十日が過ぎたある日、女は一人きりで娘を産んだ。
それは、ちいさな女の子だった。
手足の数は一対ずつ。目の数も普通の人間と同じ。見た目だけならば、ありふれた赤子である。
しかし女は、その赤子を抱きあげることはおろか、触れることすらしなかった。
ただただ、これでようやく死ぬことができると安堵し――先に逝ってしまった家族や夫、愛すべき我が子のことを想いながら――霞む目で己に課された縛りが死を与えてくれるのを待ち望んだ。
そこには今しがた腹を痛めて産んだ子供に対する愛情など欠片もなかった。むしろ、災いを齎した厄介者としての恨みしか存在しなかった。
そうして、女はこの世を去る寸前、今際の際に宿儺の落胤を呪った。
己が命が彼岸へと差し掛かる最中、どんなに赤子が無垢であろうとも、そこには決して辿り着かぬようにと。
あの男の血を継ぐ子供など、あの世ですら二度と顔すら合わせたくないのだと。
――お前は永劫に、この世に"縛られて"生きなさい。
◆
あまりにも身勝手な経緯によって宿儺の娘は誰にも愛されずに生まれたが、その力は宿儺に認められるにふさわしいものを有していた。そのため、幸か不幸か、生後すぐに殺されることもなく、すくすくと成長することができた。そして数年もしないうちに、宿儺が待ち望んでいた子供の術式が判明した。
――彼女の術式は「接合」。端的に言うならば、何かをくっつける程度の能力でしかない。だが宿儺はその能力を大いに評価した。
何しろこれは母胎であった女の一族の術式には存在しえなかったものである。また、宿儺の呪いとも異なる性質でもあったからだ。
一見するとつまらない能力に思えるが、接合はなかなかに「解釈を広げられる」術式だ。さらに有する呪力量も人並み以上となれば、失敗作として捻り潰すにはなかなか惜しい逸材であった。
そうして、宿儺の娘は術式が判明すると共に、結(むすび)と名付けられた。
結は、父親に似ず、大人しく忠実な性格をしていた。それは、宿儺に命じられた人間共によって赤子の頃から育てられたからかもしれない。はたまた、もっと強くなれ、もっと可能性を見せろとたびたび父親に言われて育ったからかもしれない。
とにもかくにも、時折現れる父親に死なない程度に弄ばれつつ、結は、気づけば七つの歳を迎えていたのだった。
◆
それは春の暮れのころだった。
見頃だった桜も散り果てた屋敷で、一対の親子が向かい合って座っていた。
一人は男。四本の腕と二対の目を持ち、尊大な態度で胡座をかいている。
もう一人は女児。男と同じ退紅色の髪を一つに結び、頭を下げて座している。
「結」
「はい、父上」
女児――結は、歳に見合わない落ち着き払った声色で応えた。名を呼ばれても頭を上げず、静かに次の言葉を待っている。
男――宿儺はその従順な態度を気にすることもなく、面倒そうに言葉を吐き出す。
「オマエはもう七つ。単なる俺の好奇心から生み出された子のわりには、なかなかに興味深い力を持っている。こと術式に関しては、この十数年のうちで最も愉しませてもらったと言っても良い」
それは呪いの王と呼ばれる男にしては、過分にして優しい内容であった。
しかし、娘は喜びを露わにすることはない。ただ黙して次なる言葉を待った。
「とはいえ、"新たな術式を生み出す"という当初の目的はとうに満たされた。その意において、オマエは用済みとなる。そもそも世話を見るのも面倒になってきた」
あまりに身勝手で温度の乗らない言葉が、実の子供に対して向けられる。しかし、その異常性を非難するものなど、この空間内において存在し得なかった。
娘は黙したまま、さらに言葉が続けられる。
「――だが、折角七つになるまで手塩に掛けて育て上げたのだ。ここでわざわざ殺すのは流石に惜しい。術式発展の可能性を見守るという意味においても、生かす価値がある。……そこで、ひとつ命を下そう」
宿儺はそこで初めて笑みを浮かべた。
それはおおよそ人間の持つ温もりからかけ離れた、醜悪で無情な嗤いだった。
「俺の庇護から抜け、独りで強くなれ。あらゆる呪霊、あらゆる呪術師と殺し合い、己が力を高めよ。そして、成長し切った際は俺の前でその力を魅せてみせよ。全力を出すに足る戦いを魅せたならば、褒美として殺してやろう」
「――承りました」
結は頭をさらに深々と下げた。
宿儺の言を要するならば、「好奇心から生み出し、七歳まで育てたが、いくら人間に世話を任せていたとはいえ近くに存在しているのが面倒になってきた。旅に出て勝手に強くなって、いつか楽しめる戦いを繰り広げに戻って来てほしい。存分に楽しめたら殺してやる」というものだ。
それは、実の父親のものとは思えない、あまりに傲慢な命だ。事実上の放逐命令でもあり、殺害宣告でもあったが、しかし娘の表情に変わりはなかった。
「もう下がれ。準備が整い次第、疾く出でよ」
「はい」
結は表を上げないまま、静かな足取りで部屋を出た。
最後まで泣き喚くことはおろか、声を震えさせることもなく己の前から去った娘の姿を目にし、宿儺は満足げに呟いた。
「俺の血を継ぎ、珍しい術式を持つとはいえ、たかだか七つの童が独りでどこまで争えるのか見物だなぁ。俺から逃げ惑うも良し、貪欲に強さを求めるも良し。――お前の行く末が如何様なものになるか。再び合間見るまで、せいぜい愉しみにしておこう」
それは最後まで親らしからぬ、情に欠けた呟きであり。しかし、この世の人々から恐れられてきた呪いの王にしては恩情のある声援でもあった。
◆
宿儺のいる部屋を出た後、結は真っ直ぐな足取りで自室へと向かった。死ぬのがわかっていようとも、逃げも泣きもしない。父親から命を下されたならば、それがどのような内容であっても守るのは絶対。それが、常に怯えた顔で自分のことを育て上げ、たまに戯れで命を奪われてきた親代わりの人々を見ながら育った結が学んだ、絶対的な教訓であった。
「ああ、結姫さま……。お帰りなさいませ」
自室の前で、青い顔を湛えて待機していた侍女がほっと柔らかに相好を崩す。
その表情をすぐに凍らせることになるのはいささか申し訳ないと思いつつ、結は先程のことを告げた。
「今しがた父上から、ここを出るようにとの命を賜りました。私は今宵のうちに屋敷を出ます」
「あ、ああ……、そんな……」
「短い間でしたが、貴女には世話になりました。……どうかお元気で」
あまりに酷い命令を聞き、座り込んではらはらと涙を流し始めた侍女の手を握り、結はそっと微笑んだ。否、微笑もうとはしたが、その表情は先程と代わり映えのないものであった。
それはおそらく、幼少の頃より血の通った暖かや環境で育たなかったためだろう。
だが、侍女はそれを気にすることなく袖を涙で濡らし続けた。侍女にとって結という少女は、例え彼女のせいで村から攫われてきたとしても、もはや実の子のように可愛らしい存在であった。
結はどんなに冷たげな相貌をしていようとも、父親とは異なり残忍さのない子だったのだ。彼女が屋敷から去るなど、まるで太陽を失うがごとく絶望を感じられる。
「結姫さま、どうか、どうか息災で。戻る日まで毎日欠かさず祈りましょう」
「ありがとうございます。……いずれ縁が合うときは、また、共にお手玉などをしましょう」
侍女を慰めて約束しながらも、結はそのような日が来るなどとは信じていなかった。
何しろ、父親から殺害の宣告を受けてきたばかりである。これは単なる甘い妄想だ。ただ、夢も希望もない現実を落ち込む侍女に告げる必要性はない。まだ幼いとはいえ、人並み以上に賢しい結はそのような配慮ができていた。
自室に戻ると、そこは今朝から何も変わらない空間が広がっていた。いくばくかの着物が掛けられた板間。寝床に敷かれた筵。乾き切った血の色に染まった小刀。そして妖しげな紋様が描かれた木簡。玩具など一つも見当たらない。七つの子の部屋にしては殺伐としている。しかし、結にとってはこれが普通であり現実だった。
結は小刀を手に取ると、懐へと入れた。包みには着物と木簡を入れて背負う。食糧や水の確保はどうとでもなるだろう。今までも何度か父親に連れられて外に出たことはあるし、なんなら数日ほど放置されたこともある。単純な生存技術にはやや自信があった。
「……行って参ります」
屋敷の門を潜り抜けたとき、結は小さな声を零した。
これから果てのない修行の旅が始まる。自分がいつか本当に強くなり、再びここに戻ってきた際。この屋敷は呪術師の襲撃を受けて燃え尽きているかもしれないし、宿儺が何らかの呪いを放って潰しているかもしれない。
その考えは杞憂とは言えない。なぜならば以前から、そのような経緯で何度も屋敷が潰されてきたである。そして、宿儺らはその度に住居を変えてきた。この屋敷は、物心ついてから既に五軒目の引越し先である。もちろんわざわざ建てたのではなく、住民の命を奪って手に入れたものであるし、愛着など湧くわけもない。
それでも。結にとって家から離れることは、父親の居る場所から離れる――つまり故郷を去ることと同意義であった。
故に、漏れ出た声は儀礼的なものであり……彼女自身も意識していなかった感情が含まれていたのかもしれない。
一体全体、その感情が如何様なものであったか。
そして、彼女は何処に向かうのか。
それは神のみぞ知る――否、天の神ですら知らぬものであることは確かであった。
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だいぶ前に書いていたネタです。
特に生き延びたい理由もなくただ強くなろうとしていた娘が、頑張って戦ったり殺されかけたり現代に飛んだりして宿儺と向き合う話――になる予定でした。
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