∴ ゼラニウムの夢幻

 ──きっとあれは、傑にとっての夢だったのだろう。



 四月三日。午後一時。
 その日、五条悟は珍しくもマンションの自室で午後からの半日休暇を満喫していた。

 五条は特級呪術師と呪術高専の教師、そして現当主として季節を問わず多忙な日々を過ごしている立場にあった。そのため、半日の休暇を取れるなど滅多なことではなかった。ましてや昼時の休みなど夢幻と言っても過言ではない。今回、五条が得られたこの半日休暇はまったくの偶然による産物であったが、それゆえに忘れていた記念日に菓子の差し入れを貰えたときのような、一種の高揚感すら得られていた。
 春の麗かな日差しを受けているリビングのテレビには、過去に何度か観た洋画のエンドロールが流れている。嫌いなわけではないが、たいして好きでもないそれを選んだことに深い理由はない。単なる気まぐれによるものだった。
 それ以前に、そもそも映画鑑賞を余暇の過ごし方として選んだことにすら深い意味合いがあるわけではなかった。画面を見つめるためにサングラスないし目隠しを取るがゆえの六眼に掛かる負担を無視すれば、無駄に体力を使わず暇を潰せるため、習慣づいていただけだ。
 実際、五条が映画の円盤を大量に所持していることを知った者が「あの五条が長時間おとなしく座っていられるのか?」と驚きを露わにした際に、五条自身も「だよね〜」と明るく笑いながら返せる程度には思い入れの浅い行為であった。

 作中で使われた音楽と共にだらだらと連なるスタッフロールの終わりは未だに見えない。いつ観ても分かりやすいオチだよなぁ、という味気ない感想を呟き、五条は数時間ぶりにソファから立ち上がった。手にしたマグの中のコーヒーはとっくに尽きており、溶けきれていない砂糖がマグの底で折り重なってきらきらと光を反射している。
 次は何を観ようか、と鼻歌混じりに追加のコーヒーを淹れるためにキッチンへと向かった五条は、この休日を間違いなく上機嫌で過ごしていた。さらに言えば、日の終わりまではその機嫌が損なわれることはないだろうと信じきってもいた。それゆえ、この直後の事象は間違いなく五条に動揺をもたらした。



 ──束ねられた黒髪。見慣れた生地の黒制服。鈍く光る黒曜色の丸いピアス。
 こちらの気配に気づいたのか、外に向けていた目線を外し、穏やかな顔つきで振り返ったその青年を知覚して──これが白昼夢であることを、五条悟は自身の眼によって即座に了解した。

 五条が新しくコーヒーを注ぎ入れたマグを手にリビングに戻ったとき、その青年は音もなく窓辺にぽつりと立っていた。青年の足元には大量の花弁が散りばめられており、そのどれもがいやに生々しく輝いて沈んでいた。ピンク色から深紅まで、深みの異なる赤色の花弁の群れのなかに黄色が点々と混じっている光景は、青年が中心に立っていることも相まって、どこか腹を裂かれた人間からこぼれ落ちた中身を連想させた。
 なんて悪趣味な光景だ。五条は咄嗟に心中で悪態をついた。平日の麗かな昼間には到底似つかわしくない。非常識である。しかし、この情景を見せているのは自分自身であり、悪趣味であるのは己の頭による問題だった。原因は疲労か呪力の回しすぎか、はたまた、先ほどまで観ていた映画の影響か。殺された人間が幽霊となって現れる、という内容だったのがいけなかったのかもしれない。

「やあ、元気かい」
 今どき洋画でも耳にしないような、ありふれた挨拶が五条に差し向けられる。彼の細められた目は揺れることすらなく、まっすぐにこちらの姿を射抜いていた。
 ──こいつ、喋るのか。
 ぽつりと溢れた感慨。それが思考ではなく喉から発せられたものであることを、目前の青年がくつくつと笑い声を上げはじめてようやく五条は自覚した。
「ひどい挨拶だな。親友との再会だろう?」
 十七歳の夏油は、教室で五条の悪戯の話に耳を傾けていたときのような、どこか愉しげな面持ちで語りかけてきた。
 その態度に対して、五条は懐古の念に駆られつつも彼の返答に鼻白んだ。なぜならば自分の生み出した幻覚と親友になった覚えなど、自覚しうる限り存在しえなかったからだ。
 青年から目を離すことなく、五条は手に持ったマグをそっとテーブルに置いた。湯気を立てているコーヒーを持ちながらリビングの出入り口に突っ立っている姿はあまりにも不恰好であったし、幻覚といえども両手は自由にさせておきたかったからだ。しかしどんなに五条が真剣に立ちふるまおうとも、第三者からすれば虚空を睨んで身構える不審者に違いなかった。
「生憎だけど、オマエみたいに薄気味悪いやつと親友になった覚えはないね」
 五条が不快感を露わにしようとも顔色ひとつ変えない幻覚は、やはりかつての十七歳の夏油とは程遠く、しかし現実味に欠けた存在感があった。
「大人になってまで、意味のない嘘をつくのはやめなよ」
「大人だからこそ嘘をつくんだろ」五条は舌打ちをした。
「悟の場合は昔からでしょ」
 夏油は、子猫が悪戯で毛糸玉を解れさせる姿を見守るような、ある種の微笑ましさと仕方ないものを許すような笑みを浮かべた。それはかつての三年間で頻繁に目にした表情であり──いまとなっては五条にとって苦々しい棘をもたらす記憶であった。
 五条の内心など構うことなく、五条の幻覚は言葉を続ける。
「それに、つい最近だって、性懲りもなく私に言ってきただろ」
「……最近?」
 五条は顔を顰めた。幻覚との噛み合っていないやり取りは、苛立ちからやがて不安感へと移りゆくのを感じる。
 夏油のほうも、五条の反応が想定と異なるものであったのか、ふと訝しげに眉根を寄せた。
「ほんとうに覚えてない? ──クリスマス・イブのときに、私に向かって言ったじゃないか」
「────」 
 クリスマス・イブ。
 それが己の脳によって創られた幻の音であったとしても、やけに耳に残る響きだった。当然だ。それは五条にとって、特別になったばかりのイベントである。

 忘れることなどできるものか。
 親友の、冬空に消えてゆく微かな呼気も、ゆらゆらと虚空を彷徨う視線も、命をこぼすように垂れてゆく血液の匂いも──あのとき目にした最期の情景すべてが、忘却するには近すぎた。
 故に、言うまでもなく。彼に手を下す直前、最期に交わした言葉の内容も、五条は明確に記憶していた。
「──『傑は、僕にとって唯一の親友だよ』」
 聞き慣れた、否、とうの昔に忘れたはずの、若々しい親友の声が響く。
「あのとき、私に向かって最期にそう吐いたのは君だろ」
 五条悟が見ている幻覚は、いつの間にか袈裟を身に纏った大人の姿で立っていた。



 最期に顔を合わせた親友と同じ歳の幻覚を前に、五条はらしからぬ動揺を覚えた。いよいよ無視できない存在感と不快感から、頭を振り、瞬きをする。
 しかしこれは自分の脳の働きが狂った末に生み出した白昼夢である。覚醒しながら知覚する幻であり、実在性のない妄想でしかない。
 それゆえ、当人がいくら消えることを望んだところで、その望みが叶えられることはなかった。
「まあ、そんなことはどうでも良いんだ」
 夏油青年──否、成人した夏油は、どこまでも自分勝手に振る舞うつもりらしい。腕を上げるとき、変化した己の衣装に対してついと眉を上げたが、しかし言及することなくそのまま五条に近寄った。
 一歩、二歩。歩みが進められ、床は軋む音はおろか擦れる音すら立たない。歩いた先から彼を囲むように花が表れては散るが、生々しい現実感とは裏腹に、匂いすら感じられない。これらは全て幻覚だからだ。ゆえに、夏油が五条の肩に触れようとしたとき、五条は身動ぎひとつしなかった。
 はたして幻覚の手が感触も残さずにすり抜けた。彼の指の先が離れ、落とされるのを眺めている最中ですら、感慨も生まれなかった。しかし、どうやらそれは五条の理性の発露にすぎなかったらしい。
「残念だね」
 夏油は言葉の通りの感情を滲ませた呟きを落とした。
「僕に触りたかったの?」揶揄うような口調で明るく問うたが、見えすいたことをわざわざ口に出すほど虚しいものはなかった。特に、こんなものを相手にしているときはなおさらだ。
「そうに決まってるだろ」
 夏油は懲りずにまた手を動かす。そのたびに着物の裾がゆらゆらと蝶の羽のようにはためく。
 これは未練なのかもしれない。五条はふいにその考えに至った。幻覚症状について詳しい知識は持ち得ていないが、たとえば負の感情が呪いを生み出すように、存在しない姿を生み出す原動力なんてまともであるわけがない。
「思い通りにはいかないものだな」
 夏油が呟く。
「せっかくこんなところに来れたのに、悟はつれないし、触ることもできないし」
「…………」
「でも、会えただけでも僥倖か」
 リビングのテレビ画面に映し出されてたエンドロールはとうに終わり、戻されたタイトル画面と共に作中楽曲が何度も流れている。この場に似つかわしくないロマンチックな音楽が、虚しく二人の間に漂っていた。
 できればテレビの電源を落としたい気持ちは山々だったが、この狂気の産物を無視して動く余裕は今の五条にはなかった。どうすればこの幻覚を消すことができるのかについて向き合うほうが、煩わしい背景音楽の存在よりも重要な課題であったからだ。

 話を仕切り直すように夏油はウウンと唸り、腕を組んだ。
「君さぁ。ワザとかもしれないけど、ぜったいに忘れてただろ」
「なにが」
「忙しすぎてカレンダーに目を通せてないの?」
 チラリと夏油は目線を逸らす。その先にあるガラスのローテーブルの上には、卓上カレンダーが堂々と置かれていた。年明けに同僚らと新年会を行った際、ビンゴゲームで引いた安っぽい作りの物だが、それでも列記とした今年度のカレンダーであった。
「もしかして、今日ってオマエとの何かの記念日だった?」
 五条は平時からスケジュール管理は全て伊知地に投げているが、日付感覚や記憶力に関しては自信があった。
 本日は四月三日だ。
 それが何がしかの記念日や特別な日ではないことは明白に理解していた。しかし、今の五条は幻覚を相手にしている狂人である。無意識のうちに記憶の底に沈ませた何かが存在している可能性も否めなかった。
 記憶から作られているモノに対して記録を問いかけるなど、冷静になって考えてみると馬鹿馬鹿しい行為だ。そして律儀にも、夏油の姿をした妄想は──無論、これも己の脳に依るものだが──しっかりと頷いた。
「そりゃあ、今日は百日目だからね。ある意味で特別な日ではあるんじゃないかな」
「百日……?」
 百日目。つまり、百日前の日付にこそ意味がある。今から約三ヶ月前の出来事といえば──両者にとって思い入れ深い出来事はひとつしかない。
 苦々しげに五条は息をついた。
「……オマエ、本当に悪趣味なヤツだな」
「そうかな」と笑う夏油に悪意の色など微塵もない。それこそがむしろタチの悪さを助長させていた。まるで生前の夏油にそっくりな面倒臭さがあった。
「呪霊は詳しいつもりだったけど、死んだことはなかったからね。いい勉強になったよ」
 それはあくまでも己のことを幽霊だと主張するつもりらしい。そのスタンスを突いて崩すのも、今の五条にとっては面倒であった。
 夏油は悠々とした足取りでまた五条からすこし距離を取り、こちらに顔を向けた。
「これでも教祖をやっていたからね。死後について説いたことも、供養についてアドバイスしたこともある」と夏油は袈裟を摘んでみせる。
「猿どもに『信じるものは救われますよ』と吐いていたけど、信じていなくても叶うものなんだね」
「オマエは神なんて信じていなかったくせにな」
「本当にね。興味深いよ」
 己を救世主に見立て、多くの非術師の縋る先として振る舞った男は、五条の創造の産物にしては貫禄のある面持ちで満足げに頷いた。
「でも、君だって神も死後の世界も信じちゃいないだろ。だから今日みたいな日にのんびりと映画鑑賞なんてしている」
「俺のことを責めてんの?」
「まさか。その逆だよ。そして、それこそが今回の目的」
 夏油は静かに笑う。それはあの日、最期に浮かべた笑みに似ていて非なる、五条の知らない微笑みだった。
 ──いったいコイツはなんだ。
 目の前の男の言動を前にして、五条はようやく疑問を抱いた。
 六眼で確認ができない、呪力のない存在。五条が生み出した幻覚。あるいは未練を持つ脳の機能不全。ただそれだけの存在だったはずだ。出力される現象が五条の思いつかないことならば、それは無意識の働きであると納得できる。しかし全く知らない動きは別だ。それは想像力の限界を超えている。ありえないことだった。
 知らず身構えていたはずの手を下ろし、五条は口を開けた。──が、それよりも早く、夏油は続く言葉を紡いだ。
「今日みたいな日に、何事もなく好きに生きている悟の姿が見たい。それが私の、ちょっとした夢だったんだ」
 黒曜と、藍玉色の瞳が交差する。
 そのとき五条は初めて、彼を目を合わせたような心地がした。
「すぐ──」
 一歩踏み出し、たしかに届いていたはずの着物の先は、やはり触れることができなかった。そうして夏油は瞬きひとつで、ふっと幻のようにかき消えた。あんなに散らばっていた足元の花も綺麗に失せ、寒々とした空白だけが残される。
 ひとかけらの夢のようであったが、しかし未だ流れている映画の音楽と冷めつつあるコーヒーだけが確かな時間の経過を示していた。

「……今日は百一日目なんだよ。エセ坊主」
 知らぬは仏とはよく言ったものだ。嬉しげに接していた親友の姿を思い起こし、ひとり残された五条はぽつりと文句を吐いた。



 十二月二十四日。夜。

「最後くらい、呪いの言葉を吐けよ」

 赫い術式が発動される。痛みよりも先に来る、左半身への重い衝撃。
 心臓を中心に大きく抉られ、あたたかい血が吹きこぼれる。

 壁に寄りかかり、座り込む夏油は、今なお落ちぬ意識と己のしぶとさに苦笑いを零そうとして──その気力すら残っていないことに気づく。
 心臓も片方の肺も大量の血液も失い、意識が曖昧な闇へとずるずる沈んでゆく。おぼろげながらも、あと数秒もしないうちに酸素と血液の不足で脳が死んでゆくのを悟る。
「――――」
 視界が霞み、開いているはずの目は機能を放棄しつつある。しかし、傍に立ちすくむ親友の気配だけは明白に感じられた。ただ死を待つばかりとなった夏油にとって、それは確かに穏やかな感情をもたらすものであった。
「――――」
 これから夏油は死ぬ。それはどうしようもなく変えようのない事実である。親友と喧嘩別れし、大義は果たせず、家族を遺して逝ってしまう。ここが夏油傑の人生の終着点だった。夢半ばに終わるなど、常識的な感性になぞらえれば未練や悔恨のひとつでも残りそうなものだ。
 しかし、その最期として親友に看取られるのであれば。それはきっと百点満点の出来事ではないかもしれないけれども、悲劇でもない。たとえばなんでもない日に花を贈られるような、淡いけれども暖かい幸福ではあるはずだ。
「――――」
 夏油の夢を詰ませて、終わらせたのは五条だ。だからだろうか。未練のように流れる走馬灯は家族との思い出ではなく、あの青い三年間の日々ばかりであった。
 だからこそ、夏油はこぼれ落ちてゆく未練と共に、ささやかな願いを浮かばせた。

 この世に神などいない。
 死後の世界もない。
 幽霊など存在するわけがない。
 しかし、これから無に堕ちる前の一瞬。わずかな胡蝶の夢でいい。
 どうか、悟が──この期に及んで私のことを親友と呼ぶ男が──傷つくことなく生きている未来(ユメ)を、ひとかけらでも見れますように。

「――……」
 さいごの微かな呼気が、冬空に紛れて消えてゆく。
 春の麗かな日差しが、閉じられた瞼の裏できらめいた。

 暗転。


 余談。あるいは、とある秋の一幕。


「へぇ。今日はユリウスとアンズなのね」

 任務の帰り道。夕日に照らされた商店街を歩きながら、ふと釘崎が声を上げた。
「なにそれ。どゆこと?」
 先を歩いていた虎杖が振り返り、首を傾げる。
「誕生花って聞いたことない? 生まれた月日にちなんで花が結びついているのよ」
 ほら、と釘崎が指差すほうを辿ると、花屋の掲示されている黒板に行きついた。
 そこには可愛らしげな丸い筆跡で、『本日はユリウスとアンズです!』などといった情報が小さな花のイラストと共に書きこまれていた。せっかくなので一行で近寄ると、花言葉も載せられていることに気づく。
「ユリウスの花言葉は『叶わぬ恋』に『善良な家風』、アンズの花言葉は『乙女のはにかみ』……ねぇ」
 しかし、彼女の琴線に触れるような花言葉ではなかったらしい。釘崎は顎に手をやり、唸り声をあげていた。快活そうに見えて、どこか淑女らしい一面も持っている彼女のことだ。もしかすると、気に入った花言葉であれば購入して、談話室の花瓶に挿そうと考えていたのかもしれない。
「花屋に一時期よく行ってたけど、そういや聞いたことがあるような、ないような……?」
 虎杖は腕を組み、空を見上げながら首をひねっている。しかしうまく思い出すことができなかったのか、はたまた諦めたのか。パッと伏黒と釘崎に顔を向けながら出された話は、彼の独白からズレた内容だった。
「でもさぁ、こういうのってなんか面白いよな。俺とか伏黒とか、みんなの誕生日についてるんだろ?」
「そりゃあそうよ。だからといって絶対ってわけじゃないし、だいたいは贈り物のときの参考程度、らしいけど」
 すべての日に花言葉が添えられているからといって、今日のように、本人ないしは相手にとって都合の悪い言葉もありうるだろう。誕生日に贈る花は、誕生花である必要性はないのだ。
 誕生石みたいなもんか、と伏黒は呟き、携帯電話を手に取って何かを調べ始めていた。当然のようにその画面を覗く虎杖と釘崎が、「虎杖の誕生日ってその日なの?」「あ、俺の誕生花調べてんじゃん!」となどと思い思いのコメントを発している。
 釘崎が発し、虎杖が広げ、伏黒が手助けをする。各々の性格や方向性は異なっているが、意外にもしっかりと噛み合って回る関係性だった。いま繰り広げられているような動きも、この数ヶ月間で見慣れてきた光景だ。
 きっと各々が意図して励んだわけではないだろう。尋ねたところで首を傾げられるのが、せいぜい得られる反応であるはずだ。だが、この三人の間に流れているものは、不慮の事態によって空白期間が挟まれたものの、それでもなお崩されることなく構築されていった唯一無二の空気感であることは確かだった。
 呪術師といえども彼らはまだ十五、六の子供だ。なんの衒いもなく笑い、共に喜怒哀楽を味わう思い出を日々積み上げていっている。どうしようもない現実は横たわっているが、彼ら自身が今できることを協力し合いながら生きている。
 きっとそういうものを、ひとは青春と呼ぶのかもしれない。

 花屋の端で、賑やかに会話を繰り広げる一年生らをよそに、珍しく任務に付き添っていた五条はあの春の出来事をふと思い出していた。
 ――もしかすると、足元に落ちていた花々にも、あの日に関連づいたものであり、何かしらの意味があったのだろうか。
 浮かんだ考えは、しかし伏黒のように調べようとする原動力にはなりえなかった。その理由はきっと、誰にとっても分かりきっていることだ。

「人の夢の内容をいちいち知りたがるなんて、さすがに野暮だもんねぇ」
秋の夕暮れの商店街に零れ落ちた言葉は、誰に拾われることもなく、子どもらの明るい声に紛れて消えた。


(了)

prev top next
×
「#学園」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -