∴ 私の姉
※去年の5月ごろに書いたものです。
私には姉がいた。正確には、姉がいるはずだった。
しかし戸籍上においても家族の認識としても姉はこの私であり、長女もまた、この私である。私が生まれたときには両親の間に子供など存在していたなかったので、私は生まれながらにして当然に長子だった。ゆえに、姉がいるなどというのはとんだ妄言に聞こえるのかもしれないが、たしかにいたのだ。
私の姉は、水子だ。
生まれる前に死んでしまったひとだ。
母のお腹の中で、たしかに名前までつけられていたのにもかかわらず、この世に生きて産まれることのできなかったひとなのである。
姉は私よりも6つ年上である。生きていれば、とっくに社会人として働いていてもおかしくない歳になっている。
私が姉のことを知ったのは、高校生のときだ。あるなんでもない日に、母が唐突に、あなたには姉がいると言いだしたのである。
あまりに唐突な話であったために半信半疑であった私も、尋ねた父から肯定され、以前、水子供養の寺に行ったときのことを思い出させられては信じるほかはなかった。
あのときは、なぜ水子供養をしているんだろうと幼い頭で不思議に思っていたが、なんてことはない、両親の水子供養だったのである。
「ああ、○○寺に行ったのって……そういうことだったの」
「そうよ。お姉さんの名前は××っていうの。生きていれば貴方よりも六つ年上だったわね」
あのとき、結婚したばかりの両親は生活がとても貧しかった。ゆえに、母のお腹に宿った赤子に対して、父はぽつりと「生まれても生活が厳しいから養えるかどうかわからないなぁ」と言ったらしい。はたして、すぐに姉である××は流産してしまったのだ。
まるで、「死ぬことを望まれたからだ」と言っているようだったと母は語っていた。
常々、この環境にいると思うのである。
もし、私の姉が生きていたらどうなっていただろう。
私ではなく、姉が人生を送っていたらどうなっていただろう。
スーツを着て、仕事に出る姉を想像する。きっと私よりもしっかりしていて、貧しい時期に生まれたから自立も早いだろう。親との軋轢も少なく、きっちりとした人間なのだろう。もしかしたら、恋人がいたり結婚しているかもしれない。想像するだけで悲しく、切なくなって涙がこぼれそうになる。どうして姉は生まれなかったのだろう。私ではなく、彼女がいるべきだったのに。祝福を受けるべきなのは彼女のほうだったのに。
希望に満ちた名前。姉の名前は、「××」という。
未来を生きられなかった姉の代わりに、私はクズとしてのうのうと生きている。
今度あのお寺に行くことがあったら、またお参りに行きたい。姉に話したいことがたくさんある。考えていること、最近のこと、伝えたいことはたくさんある。
区切りを一度つけたいのだ。たぶん、今年は忙しくなる。私も前に進むべきなのだろう。
そのきっかけとして、私に近くて遠いあのひとのお墓に行きたい。死者にすがるのはおかしな話なのかもしれないが、一度話をして、まとめてしまいたいのだ。
そうしてお墓の前で、こう切り出したい。
お久しぶりです、お姉さん。
どうか、私の話を聞いてください。
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