∴ 雲雀夢のような
「リサ、冷えてるよ」
そう言って不意に私の手を取る雲雀。
顔を上げれば、身長差のためにちょうど雲雀の肩が私の視界を覆う。肩越しに覗くお互いの吐く息は白く、冬の訪れを確実に感じさせた。
「雲雀も冷たい」
クスクスと笑えば、雲雀も僅かながらに口元を緩ませた。
11月も半ばに差し掛かった日曜日。私たちは久々に二人きりで出掛けていた。
それは世間一般に言えばデート、というものなのかもしれない。でも、私たちにはそんな甘い雰囲気なんて何もなかった。あるのはただ、肌を刺すような凍てついた空気だけ。
別に険悪なわけではない。
かといって親密なわけでもない。
私たちの間には、本当に「何もない」のだ。
今さらそれに何かを言う気は私にはないけども。
日曜日の都市街は予想以上に人間が溢れていた。防寒のために羽織っていたはずのコートもマフラーも、この熱気で邪魔な存在になってしまった。服の下にじんわりと滲み出る汗に不快感が募り、小さく眉を潜める。普段から外に出ないためか、ちょっとの刺激でストレスに感じてしまう。今だってそう、行き交う人々の脚が蠢く様子を直視してしまって、くらり、と目眩がした。
人混みに飲まれそうになるのを必死に抵抗して前へ前へと進む。脚の短い私に揃えて、隣を歩く雲雀もいつの間にか歩幅を狭ませていた。無神経なようでいて、こういったところにまで気を配れる雲雀に、また、私は恋をするのだ。
有名な洋服店に行って、ランジェリーショップに行って、カフェに入る。店内には数組のカップルがちらほら座っていた。どれを見てもみんな幸せそうな表情をしている。
注文したカプチーノはマニュアル通りの色と香りを携えて私の前で揺れていた。雲雀はいつものように紅茶を注文していた。
「リサはこれからどうするの?」
雲雀には恋人がいる。
結婚を半年後に控えた相手だった。
「雲雀はどうしたい?」
お似合いだとよく言われていた。
お似合いだとよく言われた。
「リサが決めてよ」
半年前、雲雀は事故に遭った。
命懸けの戦いなんかじゃなくて、本当にただの事故。
幸い大した外傷は無くて、すぐに雲雀は退院できた。でも、内傷は駄目だった。
「……僕はここら辺の地理には詳しくないし、リサの事も全然知らないしね」
「うん……」
私は曖昧に頷いてカプチーノを飲む。温かいはずなのにいくら飲んでも身体が暖まった気がしなかった。湯気が私の頬を撫でて、不意に泣きたい衝動が私を襲う。
雲雀は私を何も知らない。いや、全て忘れてしまったのだ。事故にあって、雲雀の頭から今までの雲雀を築いていたものを失った。
それは、いわゆる記憶喪失。
私のことはもちろん、雲雀に親しい者も、親しくない者の事も、全て、全て雲雀の記憶から抜け落ちてしまった。闘い方から日々の習慣まで忘れてしまった雲雀は、もう私の知る雲雀とは到底違う存在になってしまった。
―――きみ、誰…?
あの日、雲雀が言った言葉は私を揺るがし崩れ落とすには容易いものだった。室内に入るなり泣き出した私を筆頭に、ツナや守護者たちはただただ困惑していた。
今日のデートらしき遊びは私と雲雀が初めてしたデートをなぞったもの。リボーンやツナが勧めてくれた治療法。結局、それは無意味に終わってしまったのだろう。
顔を上げれば、目の前に座る雲雀がにこりと笑いかけてきた。
それが、昔の光景と被ってしまった。
頬を何かが伝う感触がする。
あのとき、不器用ながらも私の手を引いてくれた貴方。獰猛な鋭い空気を持ちながらも、優しく笑いかけてくれた貴方はもういないんだ。
雲雀は生きていてもあの時私が愛した雲雀は死んでしまったのだと痛感し、涙で濡れた婚約指輪を視界から消しながら私も雲雀に向かって曖昧に笑いかけた。
―――いっそ私も全て忘れてしまえばいいのに。そう願うのは愚かなことなのですか?
0から終わる物語
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