∴ うたかたの仮定未来

※体験クエ世界の、まだプロトアーサーとロマニくんが出会ってない時間軸。このあと2人は冬木大橋の近くで出会う。ぐだ子は既にプロトアーサーと会話済み。






その日はやけに暖かい日で、冬にしては心地よい風の吹く昼間だった。
ボクはぼんやりと目の前に広がる川を眺めていた。広すぎる川だったからせせらぎは聞こえないけれども、流れる水というのを眺めるのは気が落ちつくものだった。
穏やかな流れを眺めているうちに思い返すのは、ここ最近のことだ。

聖杯戦争を無事に終えたボクが人間となって、早数日。
時が過ぎるというのは案外あっという間で、途方もなく長く感じられたひとつひとつの出来事も、こうして総括して振り返ってみると、光のようにすばやく過ぎ去ってしまったように思われた。
望みを叶えて、人間としての学びや気づきに翻弄される数日間。時の流れの速さというものはこうも不可思議に変わるものなんだな、としみじみ驚く。そして同時に、時を主観的に意識できたことを嬉しく思った。
普通の人間ならば、こういう喜びを抱くことなんてないのだろうが、ボクは違う。なにしろ、こんな感慨を持つのは、はじめてのことなのだ。
以前のボク――つまりソロモン王にとって、時というものは平等に流れるものであり、すでに視た未来が現実となるまでの、雑に表現してしまえばベルトコンベアのようなものだった。そこに、早い遅いという個人の感覚を挟む自由は許されなかったし、ボク自身にとっても未来視ができる以上、一秒は単なる一秒でしかなかったのだ。知識として「時の流れの速さは主観的に見ると変わるものだ」と分かっていても、実感なんて抱いたことなんてなかった。
でも、今は違う。こうやってゆっくりと休んでいるときは時がゆるやかに思われるし、逆になにかに集中しているときは飛び去ったように感じられる。あまりに自由自在に思われて、魔術でもかけられたのかと思ってしまうほどだ。

人間になって以来、こんなふうに新たに発見できることが多く、あらゆることが新鮮だった。
それがボクにとっては楽しくて仕方ない。
自由に感情を出すことを許され、自由になにかをすることを許されている。そうして、その自由な行為から、また新たな気づきを得る機会がある。
嬉しいことの無限連鎖で、目が回るとはこのことだろうか。
人類の終焉に備えておかなければならないのはもちろんだけれども、その苦痛ですら嬉しく思えてしまうのだから、きっと今のボクは舞いあがりすぎているに違いなかった。



ボクがなぜ、こうして気楽に川を眺めているのかというと、特に深い意味はない。疲労が原因だった。
先ほどまでは、かつてのマスターであり友人でもあるマリスビリーから許可を貰い、拠点の近くにある河川敷を散歩していたのだ。己の心の赴くままに自由に歩き回れることを存分に堪能していた。しかし。悲しいことに、その散歩によって多いとは言えない体力が尽きてしまったのだ。いまは大きな赤い橋が見える遊歩道のベンチに座って、あたりの風景を眺めているところだ。
ボクのいるところから少し歩いた先にある橋は、この川を繋げる貴重なラインだ。あの橋の名前は、たしか冬木大橋だったはず。市の名前を付けられているだけあって、立派な趣きをしている。なぜ名前を知っているかといえば、聖杯戦争中にこの土地について調べたからであって、興味があるわけではない。せっかくなので、この地を去る前に近くで見に行きたいものだ。できることなら今すぐにでも。
……残念ながら、いまは疲れ切っていて、歩くなんてできるわけもないのだけれど。

「はぁ……」

事情が事情とはいえ、情けない現実に肩を落としてしまう。
こんなに体力がないなんて、長年、横着して魔術で浮遊していたのがいけなかったのだろうか。いや、そうじゃない。筋力に問題はないはずなのに、この年まで成長した人間としては歩くのが致命的に下手だったのだ。経験値が足りなさすぎた。それゆえに無駄なエネルギーを使ってしまって、こんなに早くばててしまっている。

魔術王だったころならば、きっと歩行だって浮遊と同じくらい容易にできたはずだけれども、いまここにいる人間のボクはそんな優秀な能力なんてあるわけもない。歩き始めたばかりの幼児のようなものだった。知識として歩き方をインプットされていても、実践経験が足りなさすぎるのだ。
マリスビリーが散歩するのを許してくれたのも、これが理由だろう。だって、こんな青年の姿をした人間が短時間しか歩くことができないなど、救いようがないにもほどがある。技術を身につけるために練習しろと言外に望まれているに違いない。
きっと他の多くのことも、こうやって人間として、はじめから学び直さなくてはならないのだろう。
当たり前の自由すら奪われていたボクにとっては、些細なことでも学習が必須なのだ。その労力は、並大抵のものではないのだろう。
それでも、その苦労を思っても嫌な気持ちにならないのは、その努力をしようと意思決定するのが自由であるからだ。
苦しみも自ら選んで行えるのであれば、それすら、とても嬉しいものなのだ。


とはいえ、疲れているのは確かなので、すこしでも癒すために、目を閉じてベンチにもたれかかった。日光がちょうどよく照って、冬のわりには暖かい。鳥の声が聞こえるなぁ、なんて環境音に耳を澄まそうとした――瞬間。
どさりという鈍い音と共に、可愛らしい女の子の短い悲鳴が川岸のほうで響いた。
きっと、おっちょこちょいな子が走って転びでもしたのだろう。そんな甘い予想は、目を開けると共に霧散した。

「あ――」

そこにはひとりの少女が座りこんでいた。きっと学生くらいの歳だろう。制服にしてはやけに薄着な、衣装じみた服で身を包んでいる。
そこまではまだよかった。しかし彼女は、転んだ衝撃で落とした荷物を拾うわけでも、痛みに目に涙を浮かべているわけでもなく、ただひとりの人間だけをじっと睨みつけていたのだ。――ボクだ。

「ロマニ・アーキマン!」

大声でその少女は叫んだ。あまりの必死な形相に、思わずビクリと身体が跳ねた。
真冬の真昼間で、ここが人通りの少ない河川敷なのが幸いした。突然の大声だったけれども、ボクらを注視する人は誰もいなかった。ただ、名前を呼ばれたボクだけが、びくびくしながら彼女と向き合う形となっただけだ。
何なんだろう、この状況は。名前を知られているということは、彼女はマリスビリーの知人なんだろうか。

「ええと――」

彼女は橙色の瞳を強く輝かせ、ボクのことを一心に見つめていた。まるで、すこしでも目を逸らしたらボクを見失うと信じているかのように、その視線は強烈にこちらを射抜いていた。
ここで人違いでした、なんて、あるわけがないだろう。それなのにこちらは、まったくもって覚えがないのだ。
それがどうしてか申し訳なく思われて、ボクは「初対面の間柄として当然の質問」を投げかけた。

「あの、……キミは誰かな?」

そのときの彼女の反応を、ボクはきっと忘れられないだろう。
彼女は、ボクの問いかけを受けるや否や、目を見開き、唇を噛みしめて身体をこわばらせた。
もしかして怒るのだろうか、と身構えたそのとき。
先ほどの気迫ある形相とは打って変わって、いまにも泣きそうな――それでいてどこか懐かしいものを愛おしく思うような顔つきで、そっと微笑んだのだ。
その表情は、歓喜とも、悲哀とも言えないものだった。あらゆる感情が湧きたっていて、そのくせどれもがギリギリで抑えこまれている微笑みだった。
こんな笑みをボクはかつて目にしたことがなかった。もしかすると私だったときに目にしたことはあるかもしれないけれど、そんな知識はまったく意味をなさなかった。

「――――」

ボクはただ茫然としてそれを受け止めるしかなかった。どう形容すればいいか分からないほどに、思考が硬直しきってしまった。
彼女のそれは、まだ人間となって日の浅いボクが受けるには、それほどまでに複雑で眩しい感情だったのだ。

「――はじめまして。貴方の隣に座ってもいいですか?」
「えっ」

そして、人間としてあまり対話経験のないボクが相手をするには、あまりにも不審な子でしかなかった。




当然だけれども、いきなり現れた女の子に話しかけられて、気軽に乗れるような能天気さはボクだって持ち合わせていない。
それにも関わらず、戸惑いながらも断る言葉を出す前に、少女はさっさと立ちあがり、ボクの横へと勝手に腰を下ろしてしまった。

「あの、せめてキミについて教えてもらいたいんだけど――」
「悪いけど、それには答えられない。でも、貴方に伝えたいことがある」
「えっ、でも」
「とんだ狂言だと思ってもらって構わない。……私がこれから述べる言葉はただの独り言のようなもので、もしかすると貴方にはまったく関係のないものかもしれない」

少女は訥々と話しはじめた。明らかにボクよりも年下だというのに、馴れ馴れしい態度だったし、敬語すら外してしまっている。
しかし、それに対してむっとするよりかは混乱が勝ってしまったので、黙って聞くほかはなかった。

不審なこの少女は、今度はちらりともこっちを見やることはなく、ただ目前で流れる川だけをじっと見据えていた。いや、実際のところは川ではなく、もっと遠くの、ここではないどこかを想起して眺めているのかもしれない。人がなにかを郷愁の感情と共に語るとき、こういう目をするのをボクはよく知っていた。

「私の述べる言葉は、きっと無意味なものだ。きっと、これを聞いた貴方は困惑する。呆れもするかもしれない。とんだ戯言だと一蹴するかも」
「それは聞いてみないとわからないよ。これでもボクは、荒唐無稽な話には慣れているつもりだし」
「でしょうね。……それでも、期待はしていない」

彼女のスカートが冬風に煽られて揺れる。その上に置かれた手は、過剰なほど強く握りしめら
れていた。
その手が一瞬、傷だらけに見えて、しかし瞬きすると映るのはやはり綺麗な女の子のものだった。

「でも、だからこそ。私は、貴方にこの言葉を伝えたい」

強い風がひとつ、ボクらの間を駆け抜けた。

少女はそこでふたたび、鮮やかなオパールの瞳をこちらに向けた。近くで見るそれは、うつくしい焔のような光をきらきらと抱いていた。
まるで、彼女の命を燃料として輝いているかのような光だった。

「ねえ、ロマン。――私は愛と希望を担う『誰か』になれたよ」



彼女のその言葉が答えとなった。
疑問となって散乱していたパズルのピースが綺麗に収まり、ボクの脳裏に、とある仮定が浮かぶ。
ああ、もしかすると、この不可思議な少女の元いた場所は――。

「それって――」
「詳しくは言えない。分かっているとは思うけど、こういうのを語りすぎるのは良くないことでしょう?」
「……そうだね」

どうやら彼女はボクの事情をよく知る者らしい。ボクは安堵して、いつの間にか緊張させていた肩の力を弛緩させた。
ああ、この子が敵でなくてよかった。ただの人間となり、無力になってしまった今では、こんな少女にですら凶器を向けられたら勝てる自信がない。
……それにしても、いったい未来のボクは、こんな可愛らしい女の子とどうやって知り合えたのだろう。とてつもなく気になるところだけど、やはり尋ねるだけの勇気は持ち合わせていなかった。

なにしろ、未来はもともと不確定なものだ。彼女の語るように、あれこれ知ってしまうほうが不利益で、恐ろしい事態を引き起こしてしまいがちなのだ。
千里眼によって視れる、確定された未来のとおりに動くならまだしも、あいまいな予言なんてものは下手に意識すると国を滅ぼすことだってある。未来を語るということは、それだけ重いものでしかない。
それを彼女も分かっているだろうに、こんな無理をしてでもボクに伝えたかったのだろう。まだ人間として自由を手にしたばかりのボクにとってはどんな意味であるかすらも分からないのに、それだからこそ、あの言葉をここで紡いだかったのだ。

ボクが彼女の言葉をなんとなくでも理解できたのが、よほど彼女にとっては喜ばしいことだったのだろう。先ほどよりかはずいぶんと力の抜けた様子で、彼女はこちらに身体を預けてきた。
年頃の子にしてはずいぶん積極的だなぁと他人事に思ってしまうのは、あまりこの状況に現実味を感じられないからだろうか。

「ワガママが許されるなら、もっとたくさん話しても構わないんだろうけど」

しばらく川を共に眺めていると、ぽつりと彼女は言葉を漏らした。

「ここは私にとって過去であり、夢の世界だ。貴方は私にとっての幻。だから、好き勝手に言ったって、こちらとしてはべつだん構わないんだもの」

未来に生きる彼女は、謡うように呟いた。
そして、わずかに首を傾げてみせる。

「でもきっと、貴方にとっては違うでしょう?」
「ああ。ボクにとっては現実だ。……キミのほうが、うたかたのような存在だよ」

彼女にとっての現実、ボクにとっての未来は、この世界では現時点でまだ不確定だ。たとえ、人理の終焉が約束されていようとも――その過程で誰と出会うかは確約されていない。彼女とはこの先で知り合うこともなく、生涯を終える可能性だって十二分にある。
あまりにこれは、不確かな事象だった。ちょっとしたことがきっかけで、いくらでも彼女は消え失せてしまえる。
きっと、こんな出会いは、瞬きをすれば忘れてしまうような歪みなのだろう。

この現状の不安定さを自覚してしまえば、一気に焦燥感を覚えた。
先ほどの彼女の一方的な語りも、こんな気持ちを抱いていたからだろうか。いまなら気持ちがよく分かる。

「いま、この時点でボクはキミのことを知らない。まあ、でも、ボクたちは友人だったんだろうね」
「……そうだね」
「じゃあ、ボクもひとつ、いいかな」

こんな機会はきっと二度とないだろう。そう思うと、いつもは優柔不断なボクにも、いますぐ言わなければならないことができた。
それが、この陽だまりのような少女への希望になればいい。目の前で、じっとボクの言葉を待つこの子の未来を願いながら、口を開く。

「――きっといつか、この先で、キミと友人になろう。だからそれまで、待っていてくれ」

彼女はきょとんとこちらを見た。
そうして、ふふっと破顔したかと思えば、けらけらと実に女の子らしい声をあげて笑いだした。

「なにそれ。あはは。そんなことを、そんなに真剣な顔で言うなんて――!」

笑いながらも、彼女の目の端に浮かんだそれを、ボクは見なかったフリをした。いくら人間としての歴が浅くても、それを指摘するのはどこか気が引けた。
そうして、あまりに明るい笑い声を一通りあげると、彼女は指で目の端を拭って、居住まいを正した。

右手の小指がすっと目前に差し出される。それをどうすればいいか悩もうとするボクを前に、彼女は静かに微笑んだ。

「――うん、約束だよ。未来で待ってる」

ああそうだ、自分の小指を絡めればいいんだ。
そう思い出した瞬間に、彼女は幻のように、ふっと消え去った。



ぱちりとまばたきをする。
鳥の鳴き声が心地いい。木々のざわめきの音を風と共に受けながら、ボクは疑問の感情と共に、首を傾げた。

「あれ、なんで右手を上げてるんだろう……?」

中途半端に上げられた右手。その小指だけが、まっすぐと自分の横へと向けられている。
――当然、横には誰もいない。ベンチの隣は空いている。

「夢遊病かなぁ。怖いなぁ」

なぜだか結構休んだ気がするのに、立ちあがるにはまだ疲労が抜けきれていなかった。ボクは素直にベンチに身体を預けたまま、ぼんやりと川を眺めた。

いくら暖かい日とは言えども、冬の風に当たりながら長時間ずっと座りこんでいるのは身にこたえる。こういうとき、隣に話し相手でもいれば互いの暖かさでも分かちあえたのだろうか。恋人なんて大層なものは望まない。友人としてただ会話をするだけでも、きっと寒さを忘れられただろうに。
そんなことを考えていると、人類の未来を守ること以外のささやかな欲が、人間となってから初めて、ぽつりと湧きあがった。

「――いつかこの先、一緒に川を眺められるような友人くらい、作りたいなぁ」







「――――」

目を覚ますと、この一年で見なれてしまった自室の天井が視界に映った。
あの頃と比べると、この室内もずいぶんと物が増えた。それのほとんどがガラクタと遜色ないようなものだけれども、私にとっては大切で、ひとつひとつが宝物だ。部屋の隅に置いてあるコタツなんて、もはや値のつけられない存在となっている。

「……友人になりたいだなんて。ただそれだけを、あんなに真面目な顔で言うなんて」

あれはきっと、並行世界だ。
どこかで耳にした、剪定事象という言葉がちらりと脳裏をよぎる。

並行世界とは、つまるところは別ルート。またはIfの世界のことだ。
あの世界の生まれた理由は、なんとなくだけれども分かる。

ソロモン王はあらゆる軌跡を投げうって、その存在を無に帰した。完全なる人類史からの消滅だ。どんなに覆そうとしても不可能だろう。
しかしながら、彼がいなければ、私はあの戦いで生き残ることはできなかった。私がいまこうして、カルデアで安寧を享受してぬくぬくとした目覚めをなせているのも、彼のお陰。だから、どんなにソロモン王の存在が消えようとも、私がこうしている以上、ロマニの存在はどこかで必要とされている。
ああ、それなのに。やはり、ソロモンの軌跡がないのだから、ロマニが存在することは許されない。
どうしたって、私の世界に存在することは許されてはいない。
それならば、別の世界を利用して、つじつま合わせをすればいいのだ。

ゆえに生まれたのだろうあれは、小さなうたかたの世界。
私がここに存在してはじめて成り立つ、夢でしかない過去の並行世界。

「――きっと、あの世界でもいつか、彼の存在は消えてしまうだろうけど」

それがソロモン王の存在抹消による影響なのか、剪定事象としての世界の消滅かは分からない。
世界は案外、頑丈にできているものだ。
そのうち、彼がどこにも存在していなくても、私が生き残れるように調整されてしまうのだろう。

私はベッドの上で、手を強く、強く握った。
その小指に熱はない。あの記憶は、私の夢でしかない。
身体が冬の風で冷えているわけでもなく、頬も涙で濡れた跡すらない。

「それでも――」

それでも、私は覚えていよう。
彼と約束した「過去」を、ずっとずっと覚えていよう。
いつか、彼のことを世界が忘れたとしても、私だけは、彼のことを忘却するものか。

「待っているって、貴方と約束したから」

うたかたの世界で彼が追いつくそのときを、私はずっと夢想して、この未来で待っている。



***


プロトアーサーが巡る世界はどれも滅びてしまった世界、というよりも剪定事象の世界。
つまり、このぐだが出会ったロマニの世界もそういうこと。

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