∴ きらい
普通になれない人間だった。
個性的だね、だなんて。変わっているだね、だなんて。そう言われるたびに胸がぎりぎりと茨に締めつけられて、どろどろと血を噴き出させていた。
それでも私は、笑顔でこう返すのだ。
「そうかな? ありがとう」と。その下で泣きたくなるほどの動揺が溢れていることを隠すように、後ろ手の握り拳をぐっと硬くしながら。
普通でないことはわかっていた。
昔から、自他共に認められていたのだ。あの子はおかしい。あなたは変な子だ。友人から、親から、異口同音に吐かれた言葉。
私自身、周りと己との齟齬を自覚していたために、じっとそれを受け入れていた。
分かっていたのだ。やることなすこと人から浮いていることは。なにを選択しても大多数の人間から外れてしまうことは。
私にとってコミュニケーションとは自分の作ったマニュアルなしにはできないもので、人付き合いはもっとも頭を使う活動だった。相槌の存在すら、高校生になるまで認知できかった私は、おおよそ正常な対話というものが困難だった。会話のキャッチボールなど夢のまた夢で、あるのは一方的に投球されるボールの雨だった。
笑うタイミング、適切な言葉遣い、相手の感情を推し量る。そういったものは私にとって自然にできることでも勝手に身につくものでもなく、必死になってマニュアル化して覚えなければならないものだった。上手い会話術の本を読み漁り、臨床心理学の知識を頭に叩き込み、何度も「自分の常識はひとには通じない」と唱えて臨まなければならないものだった。
だから、とても、苦しかったのだ。
その頑張りが続いたのはたったの四年だった。高校一年生から、大学生になるまでの短い期間だけだった。その四年間で、私はもうへとへとに疲れはててしまった。
仕方がなかったのだ。いつおかしなことを口にしてしまいやしないかと気を張って、どう返せばいいかと頭の中の知識を繰って、失言しなかっただろうかと怯えて一言一句を反芻してひとり反省会を開いて。そんな生活を毎日まいにち、ずっと繰り返していたのだ。
高校生のときはよかった。まだそれなりに失敗しても次があるやと前向きに考えられていたし、これから良くなると信じることができていた。でも、それがどうにも向上しないと気付いてからは、地獄のような日々だった。
どうあがいても私は普通にはなれない。どんなに気を張って、勉強して、反省をして、次につなげようとしても。どこかしらから不意に投げ出される爆弾のような「変わっているね」という一言は、いつも私について回った。
どうすれば普通になれるんだろう。
そもそも、どうして私は普通になりたがっているのだろう。
ずっとずっと、長いことの夢だった。没個性的になって、普遍的な存在になって、誰からもおかしいと思われないことが私の夢であり目標だった。
それはもしかすると幼いことから母親に言われ続けた「あなたがおかしいから私が困る」という言葉の影響かもしれないし、己が人から浮いているせいでたびたび傷つけられたせいなのかもしれない。とにかく、普通でないことは私にとって苦痛に違いなく、どうしようもない悲しみに突き落とすものだった。なぜみんな普通であれるのだろうと何度もうらやましく思ったし、どうして自分は完璧な普通になれないのだろうと異常な己を呪った。
いまはようやく慣れて、一対一の対話であればごく普通に気づかう言葉も吐けるようになった。本心でない慰めの言葉も、共感の仕草やセリフも自然と繰りだせるようになった。それでも、数時間もすれば疲れはててしまうし、五日間も続けていれば気力を失って外にも出れなくなるが、進歩には違いない。私はすこしだけ普通になれたのかもしれない。
それでも、相手の数が増えるとだめだった。三人ならまだしも、五人、六人と一斉に相手をしなくければならなくなると、私はとたんにエネルギーを切らしてしまい、ぷつんと唐突に無愛想な人間になってしまった。食事会など最悪だった。さきほどまでしていた愛想笑いすら唐突に消し、会話に乗ることもお世辞を言うこともできず、もくもくと手元の料理だけを食べるような人間になってしまう。むこうから心配を受けても、曖昧な言葉でぼんやりと無視をしてしまうようになってしまう。自分ではいけないと分かっていても、どうにもそれ以上がんばれなくなる。そうして、帰宅してから自己嫌悪にさいなまれて、すくなくとも一年は己を責めるのだ。
私がいったいなにをしたというのだろう。生まれたこと自体がいけなかったのだろうか。普通通りに生きられないことが悪かったのだろうか。人の気持ちも分からない、おおよそ発達の上で身につけられる、正常なものを手に入れられなかったのがだめだったのだろうか。
私が生まれなければよかったと常々思う。こればかりではない他の異常性でも親に迷惑をかけて、人を傷つけて、のうのうと生きているような存在だ。早く死んでしまえばよかったといつも思う。車にひかれた幼稚園生のとき、初めて自殺を考えた小学生のとき、もっと早くに実行していなくなっていれば、こんなにも周りを苦しめることはなかっただろうにと考えている。
私は人を愛せないし、自己肯定感の低さから人と距離を詰めることもできない。交流も下手くそだし、そもそも己を憎んでいるから生きたいと思わない。
なのになぜ、私はこうして息をして、人に迷惑をかけてまで生活しているのだろう。
勇気のない、意気地なし。厚顔無恥の大馬鹿者。
今日も私は私をいっそう呪いながら、明日をのうのうと迎えている。
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