∴ 寂しいつぶやき
私は人を愛せない。
だから、誰かに恋をする物語など書けないのだ。
人間不信やら、人間からひどくされたトラウマやらで、私は人を愛せなくなった。愛してはみたい。しかし、私は人を愛せない。異性は恐ろしく、同性は醜く私の目に映る。
美しい人間ほど、私には吐き気がするほど醜く見える。綺麗に整った人間の、あの食事をするときの醜さときたら! 美麗な女性が嫌悪感に眉をひそめたり、人を睨むのを目にしたとき、私はたまらなく吐き気をもよおす。世に言うイケメンと呼ばれる男たちがこちらにやって来たとき、私の身体は天敵に射定められたネズミのごとく恐怖に震える。
美しい女性は醜い。男性は恐ろしい。これでは私が外を歩くのが苦痛なわけだ。
電車内で、ときどき美しい女性を見かける。白い肌。すっと伸びた鼻。赤い唇。まぶたの長い睫毛が天を向き、アイラインがそれを支える。髪型はなんでもいいが、彼女らは一様に美しい。そして同時に、恐ろしく醜い。
あなた方は美しい女性が苦痛に顔を歪める姿を、食事をする姿を、口を開けて眠る姿を目にしたことがあるだろうか? ないならばそちらのほうが幸せだ。あれほど生々しく、グロテスクなものはない。整った顔がぐにゃりと歪み――そこにあるべくして収まっていたパーツが移動し――ある醜さを生む。女性は美しくなさすぎるほうが良いのではないか?
短いスカートやパンツを履く。はしたない! 女性とは本来慎ましやかであるべきだ。情けなく脚を丸出しにするなど、汚らわしい、まるで娼婦のようではないか。女性は長いスカートを履けば良い。脚など見せるものではない。
男性はすべからく苦手である。あのような性欲にまみれた、汚らわしい、暴力で生きる生き物と女性を同じ『人間』というカテゴリーに入れるのはあんまりではないか。
男は性についてばかり考える。幼稚な遊びに興じる。そうでない男は暴力か性格が悪いかのどちらかだ。まともな男性などいるのだろうか?
しかし紳士的な男性――物静かで、知的で、優しい男性――がたとえ存在するにしても、私はやはり愛せないだろう。人間不信である。人を常に疑い、常に敵だと考えてしまう病である。これのために私はなかなか良いとされる男性だろうと好きにはなれない。好きにはなれたとしても――付き合いたいだとか、一緒にいたいだとかは思えない。平面のキャラクターと同じだ。届かない、自分とは異なる世界の生き物だと考える。
こんな私だから、人を愛するだの、人を信じるだの、そういった話を書けるわけがない。
愛したことのない人間が、平和な人生を知らぬ人間が、どうやって普通の人間の恋の物語を書けばよいというのか? 不可能に決まっている。
私は親の無償の愛を知らないし、平和な家庭を知らないし、不朽の友情も知らない。男から言われのないことで何年も虐められ、友人から裏切られ、親からも完全に愛されなかった人間だ。人間の利己的な、醜い面を見てしまった人間。『あなたのことを永遠に愛しています』だなんて言わせられるわけがない。ちゃんちゃらおかしい台詞だ。永遠? 愛? 笑わせる。
誰しもが平凡な人生を嫌う。しかし私にはそれが羨ましい。私の家庭が腐っておらず、人間不信になるきっかけがなく、しっかりと愛されていたら――しかし、そのようなものは夢にすぎない。私が人間不信であるということのみが事実として眼下に横たわっているだけだ。
断っておくが、私は自分も大嫌いだ。自己憐憫に浸った、人間不信の、いやらしい裏切り者だと考えている。
私の人生など普通ではないか? 誰しもが体験することではないか? だというのに生温い不幸ごときで人間不信だのなんだのわぁわぁと騒ぎたてる。実に馬鹿らしい。自己嫌悪である。
私は人を疑う私が嫌いだ。いっそ憎い。息をするように人を敵だと判断するこの脳みそときたら――一思いに叩き割ってしまいたいほどだ。人を嫌う自分に、不幸な自分に酔っているのだろうか? 私は日々それに悩む。はたして私は不幸だと言えるのか? 自意識過剰なのか? こうなって当然の人生だったのか?
こんなことで、私は恋愛小説を書くことが苦痛でたまらない。無償の愛。信じ合う心。ずっと一緒にいたい……あああ、体中を掻きむしりたい!
私は恋愛小説が嫌いだ。恋愛らしきものが出ると本を閉じる。だから私はあの作家が好きなのだ。
恋愛のない小説は美しい。恋愛なんて醜いだけだ。永遠なんてものはない。男女の愛に芸術を感じる者は幸せ者だけだ。一度、異性から長年虐められ、親から虐待され、両親が離婚騒動を繰り広げたり家庭内暴力が日常になったり精神病になるといったことを経験をしてみればいい。それでもなお永遠の愛に憧れるなどという妄言を吐けるのか見物である。私としては吐いてみたいものだが。
小説を書く身としては、いつか恋愛でも書かなくてはならないのか。物語の構成を練っているときは平気だ。たった一行、主人公は誰其に恋をしている、と書けばいい。しかし、いざ書くとなると難しい。まず感情移入ができない。恋愛をする主人公に違和感を抱く。理解ができない。筆が乗らなくなる。恋という単語を出せない。あげくには共感できずに作品を丸投げしたくなる。
空気を吐くように恋愛について書ければよいのだが――今日もまた、私は人間不信と自己嫌悪に悩まされて生きるのだろう。
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