∴ 変な話と二人のこだわり
※「真実は、小さな洋室にある」の続きのような、前日譚のようなものです
「柳生、血」
そう言って仁王は柳生の腕を引っ掻いた。浅い傷ができて、そこから血がじわりと滲み出る。仁王は躊躇いなくそこに顔を近づけると、ぺろぺろと流れる血を舐め始めた。舌が肌の上を往復して、くすぐったいような感覚に柳生が堪えるのも束の間。数秒もしないうちに、仁王はそれを止めて顔を上げた。そして、口の端に付いた血を乱雑に手で拭いながら、どこか不機嫌そうな表情で、いそいそと柳生の傷に絆創膏を貼っていた。
「もういいんですか?」
毎回血をあげた後に、柳生は確認するように仁王に聞く。その度に仁王は、大丈夫じゃ、と曖昧に返事をしていた。
「……」
柳生は無言で、そんな仁王の姿を見つめる。吸血鬼が血をあまり飲まないなんて、返事からしてみても明らかに大丈夫ではないはずだ。だというのに、仁王の体調を心配して、柳生から血を与えようとすると、いつも仁王は機嫌を悪くして何処かへ行ってしまうのだ。
仁王は柳生の血しか飲まないらしい。噂でも何でもなく、本人がそう言っていたのだ。つまり仁王の栄養源は柳生しかいないわけだ。しかしながら、恋人から血を頂くのは嫌のか、いつも最低限の量しか彼は飲んでいなかった。極論、ずっと飲まないという手段もあるのだか、最終的に飢えて死ぬか、耐え切れずに人間を襲って、殺してしまうほどに飲んでしまうのだから、どちらにせよ、吸血鬼なのだから血を無くして生きることは確実に不可能だった。だからつまるところ、仁王は恋人にも他人にもそんな迷惑を掛けたくない為に、ちょくちょく柳生から少量の血を頂くしかなかった。
そんな仁王が、いつも血を飲んだ後に不満げな顔をしているのは、恋人に迷惑を掛けてばかりいるという自分に対する苛立ちがあるからかもしれない。仁王にとって柳生は、恋人であると共に『大切な餌』というカテゴリーに入ってしまうのだ。それがなまじプライドが高く、変に生真面目な仁王には苦痛であるに違いなかった。柳生はそれを分かっていて、仁王に自ら血を提供しようとするのだが、仁王からしてみれば、自分の存在がまるで同情されているように感じられるらしい。仁王から血を欲して、それが柳生に拒絶されないという形で初めて、愛されていると確認できるのに、柳生から一方的に与えられ続けたら、自分の立場がなくなってしまうと考えているのだ。
実際はそんなことはない。柳生が仁王に血を与えるのは、恋人に対する愛情の具現化であり、同情なんて以っての外の、純粋な気持ち故の行動だった。柳生からしてみれば、自分の物で直接恋人を生かしているという事実には高揚感が湧くし、何より愛おしさが込み上げてくるのだ。可愛い恋人が必死に自分を取り込んで生きる姿には、支配欲にも似て、性行以上の快感を抱かせた。しかし、柳生はまだそれを言うには気恥ずかしい年齢であり、だからこそ、それが仁王に負い目を抱かせているのにも気づけない程幼かった。
すれ違いに、すれ違い。もし、二人がもう少し大人だったならば、自らの意思や愛情をちょっとでも多く伝えられたのならば、積み重なる摩擦は今より少なく済んだのかもしれない。だが、奇跡的にもこんなに衝突をしていながら、彼らは互いを握る手を全く緩めなかったのだ。それが幸か不幸かはわからないが、結局この変な付き合いは、人間である柳生の寿命が尽きるまで続いたことは言っておこう。
(のちの柳生曰く、「遠慮していた頃の仁王くんは可愛かったです」とのこと)
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