カフェを出て、仁王くんと別れた私は自宅へと向かった。ついでにどこかへ出かけるのも魅力的だったけれども、着ている服が重くてあまりにもつらかったし、財布には冬が訪れている。なにより、こんな天気のいい日は、逆に読書日和だと思うのだ。
さんさんと輝く日の影で、涼やかに本の世界に浸る。きっとそれは、古来から最高の娯楽だったに違いない。
古い本独特の、あのなんとも言えない心を騒がせる匂いを思い出しながら帰路を歩く。心なしか、私の足どりは軽かった。

私の家はどこにでもありそうな住宅街の、ありふれたデザインたちの中に建っていた。だからといって私の家が変わっているわけではなく、やっぱり他の家々と同じような、没個性的な見た目をしている。けれども、馴染んだ帰るべき家は少しだけ、ほかよりも目立っているように感じられた。
家に近くなったところで、はじめて私は自分の家の前に見慣れた姿が立っているのを見つけた。この天候のなかで待たせるのは悪いと思い、小走りでそこへ近づく。
すると、その人はすぐに振り向いて、私に微笑みかけた。

「久しぶり」

低くも高くもない、落ち着いた声だ。しいて言うならアルト寄りの声なのかもしれない。

「本当に久しぶりだね。こんな暑い日に、ずっとここで立ってたの?」
「そんなことないよ。だいたいこの時間に帰宅するだろうなと思って来たばかりだったから。仁王さんとのカフェは楽しかった?」
「えっーと……、それは……、うん」

まぁ、そんなことはどうでもいいんだけどね、とその友人――椎梨ちゃんは眠たげな様子で微笑んだ。いつもながら彼女の洞察力、または超能力には驚かされるばかりだ。
椎梨ちゃんは、黒髪を首元にかかるか、かからないか程度の長さに伸ばしていた。洋服は涼しそうな色のTシャツにロングスカートで、ラフな格好ながらもそれがよく似合っている。
そこまで来て、ようやく私は椎梨ちゃんの手の中になにかが握られていることに気づいた。

「それなに? 届け物?」
「正解。あなた宛ての手紙だよ」

渡された手紙はまっしろい紙に包まれていた。シールも貼られていなければ、宛名も書かれていない。いまどき手紙の絵を描けと言われても、ここまでシンプルには描かないだろう。そう思えるくらいに、それはまっさらな手紙だった。
中身が詰まっていることをやや気になりながら裏返して、やはり真っ白な、糊付けされている封を開ける。その中身を覗いた私は素直に感嘆の声を漏らした。

「わぁ……」

ふわりとたんぽぽの綿毛が風に吹かれたように、たくさんの色が目の前に広がる。
表の簡潔な姿とは対称的に、手紙の中身はとても華やかなものだった。眩しい赤色から深い藍色まで、色とりどりの花が白い便箋を囲むように入っている。まるで色彩の海に飛びこんでしまったかのような鮮やかさがそこにはあった。

「これ、すごいね」
「そりゃあ、あの人の手紙だからね。それと、言づてがひとつあるよ。『その花は棄てないでほしい』、だってさ」
「こんなに綺麗な花は棄てたくないよ」
「絶対に枯れても棄てないよ」

歌うようにきっぱりと断定された。
椎梨ちゃんが言うならそうなのだろう。私は頷いて、手紙を閉じた。これは自分の部屋で落ちついて読みたかった。
ついでに、暑そうな様子を微塵も出さない椎梨ちゃんに誘いをかけた。が、彼女は涼やかな顔でそれを断った。

「本当にいいの? 水くらい飲んでいかない?」
「ううん、遠慮しておくよ。あなたこそ疲れているだろうし、今日はゆっくりしてほしいな。厚着をして、汗をたくさんかいたでしょ?」
「そうだね。じゃあ、またね」
「うん。きっと一ヶ月以内にね」

茶化すように椎梨ちゃんは口角を上げて微笑み、そのまま去っていった。その後ろ姿をしばらく見ていた私は、手に持つ手紙を弄びながらその差出人を考えた。
交流の少ない私に手紙を送る人間なんてそうそういないはずだから、予想が外れることはまずないだろう。椎梨ちゃんが差出人の名前を言わないのも、私が分かっていることを解っているからなんだろうなぁと考えて、一風変わった友人のことを、少しだけ、羨ましく思った。



私の予想通り、差出人はとある友人だった。
私の知人のなかで、花好きで、シンプルなものを好んで、そのくせこんな洒落た手紙を送るようなことをするのは彼くらいだろう。当たらないほうがおかしい。
四季の挨拶も、形式的な口上もすっ飛ばしたその内容は、男前の一言に尽きる。綺麗な花たちにつつまれた文章がはたしてそんなものでいいのかと、微笑ましく思ったのはもちろんのこと。ただし、やっぱり文字は女の子顔負けの美しさで並んでいた。

「……そうだよね」

最後まで読んだ私は手紙をまた折り畳んだ。
期待はしていない。でも、期待をしてしまう。欲しいと願っていないはずだったのに、それでも気になってしまうのは、心のどこかで焦がれているからなのだろうか。

封を切られた手紙のまわりに散らばる花たちを見る。さまざまな種類の、とりどりの色をしたこの子たちは、千切り取られた瞬間から死んでしまった。助けてと懇願することもなく、生きたいと主張することすらできずに。ただ刈り取られるためだけに生かされて、綺麗に咲き綻ぶまでの一生は儚くとも決められた運命。どんなに足掻こうとも、絶対的な神たる人間の前では無意味な行為に等しい。
美しくなろうと頑張れば頑張るほど、死に近づいてしまうだなんて。それはなんて、残酷な……。

「知っていて願うのと、知らずに願うのとは、いったいどちらのほうがつらいんだろうね」

華やかに死につづける花は、やはり、私の呟きに答えることはなかった。



いつのまにか眠っていたらしい。ベッドから身体を起こし、辺りを見回したら、机の上に幸村くんの花が散乱しているのが見えた。風でも吹いたのだろうか。
窓のほうを見たが、私の記憶と違わず、枠との隙間は寸分たりとも空いていなかった。

「…………」

問題がなければいいかな、と私は悩むことを放棄して、散らばった花を集めはじめた。記憶なんて不確かなものをあれこれ探るくらいならば、このドライフラワーたちを愛でるほうがまだ生産性がある。私の不思議なくらいに前向きな考えは、こういうときに現れるのだった。

ひい、ふう、みい。
幼稚な声を脳内で出しながら、枯れた花々を手で摘む。
これを送ってくれた幸村くんをさすがだと感謝をしつつ、また、私は恨んでもいた。
半永久的なものを送るだなんて、私の知人はとんだ嫌がらせをするものだ。それとも、生物はみな、いつか枯れ果てるとでも言って、私を慰めようとしてくれているのだろうか。
――そのどちらにせよ、有難迷惑はなはだしく、嬉しさよりもむしろ苛立ちのほうがまさっているかもしれなかった。

「(……仁王くんだったら)」

ふと、友人関係のような間柄の、彼の顔を思い浮かべた。
あのプリズムのような迷子の彼だったら、いったい、私になにを送るのだろうか。花を集めながらあれこれと想像を試みるが、どれもしっくりとこなくて、そのうち私は思考することを放り投げた。

そもそも、仁王くんが私に贈り物をするほどに、私のことを考えてくれているとは考えがたい。仮に――仮に、考えてくれていたとしても、やはり、いまいちその光景じたいが想像できなかった。

――仁王くんは私になにかをもたらす人よりも、共有してくれる人なのかもしれない。

カフェで交わされるたわいもない会話をなんとなしに反芻し、私はそう結論づけた。
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