05

仁王は声の主を探して走りつづけた。ローファーを履く足が擦れても、久々に走ったせいで脇腹が鈍痛を訴えてきても、ただ一心に走りつづけた。
どうしてそこまで必死になっているのか。それは仁王自身もわからなかった。
ただ、どうしてもこの声の主の元へとたどり着かなくてはならないような気がしていた。それゆえに、仁王は足をもつれさせながらも走ることをやめなかった。

立入禁止の掲示に気づくことなく、仁王は廃ビルへと足を踏み入れた。
埃っぽいこのビルは、数年前に建設が中止されていた。噂では幽霊が出ただとか、不審な事故が相次いで起きたらしい。中途半端にビニールシートや鉄パイプがあちらこちらに転がり、雨で侵食が進んで凹凸ができたコンクリートの床のせいで、仁王はときおり転びかけた。

“――助けて!”

可愛らしい声がすこし大きくなった気がする。この声は、耳ではなく、直に頭に響くテレパシーのようだった。
建物の奥まで進んだ仁王は、荒い息を整えながら辺りを見回した。

「どこにおるんじゃ……っ」

そのとき、ガタリと仁王の目前の天井が穴を空けた。
あ、と言う間もなく、そこから白いなにかが落ちてくる。

「雅花、助けてっ!」

ふるふると震えるそれは、猫によく似ていた。不思議な模様が背中にあり、垂れ下がったものが耳に付いていなければ、仁王はそれを喋る猫だと思っただろう。
猫もどきは全身に傷を負っており、土や埃で薄汚れていた。いつ倒れ伏してもおかしくはない状態だ。それでも猫もどきは仁王を見つけるなり、ルビーのような紅い瞳を輝かせて彼女の元へと走り寄った。
いったい、この動物は何から追われているのだろうか。
仁王が疑問に思ったとき、また彼女の目の前でコンクリートを打ち付ける、軽い音が響いた。
はっと仁王が顔を上げて、注視すると――薄暗いビルの奥から、見覚えのある姿が現れた。

「それを私に渡してください」

冷たい目が仁王を射抜く。感情の灯らない声は、まるで仁王のことを知らないように感じられた。

「や、柳生さん……」

仁王の声が震える。しかし柳生は眉ひとつ動かさず、手を仁王へと差し出した。
柳生はセーラー服に似た、真っ黒い衣装に身を包んでいた。――黒いカチューシャ、黒いスカート、黒いタイツに、黒い靴。焦げ茶の髪を除けば、全身上から下まで闇色だ。さらに、腕には盾のようなものまで付けていた。おもちゃにしては出来すぎているような気もするが、それを含めても、柳生の奇妙な姿はコスプレをしていると言っていいだろう。
非現実的な柳生の姿を前に現実逃避しかけた仁王は、猫もどきが震えて足に擦り寄ってきたために、はっと我に返った。

クラスメイトが、なぜ、ここにいるのか。
柳生はどうしてそのような格好をしているのか。

足元の猫もどきを抱えて、仁王は混乱した頭でなんとか現状を把握しようとした。

「この傷、柳生さんが付けたんか……?」
「あなたには関係ない話です。いいから、早くそれから離れてください」

いらいらとした口調で柳生は言う。
きつく睨まれ、仁王はたじろいだ。腕の中にいる傷だらけの猫もどきを渡せばどうなるかなど、考えなくても予想できる。

「でっ、でも……これはひどいんじゃ……」
「……言うことを聞かければ、いくらあなたとはいえ、私も手段を考えさせてもらいますよ――っ、!?」
「きゃっ……!」

突然、仁王と柳生の間に白い煙が割ってきた。
どうやら、丸井が消火器を片手に飛びこんできたらしい。

「マサ! 逃げるぜっ!」
「ブンちゃん!?」

丸井に手を引かれて、仁王は猫もどきを抱えたまま走り出した。
ちらりと後ろを振り返ったが、煙のせいで柳生のシルエットは霞んでいたため、彼女がどのような表情をしているのかは分からなかった。



白い煙が晴れたあと、ひとり残された柳生は軽く咳こんでいた。暗い色合いだった全身は、まるで小麦粉を頭から被ったかのように、見事に白く染まっている。

「けほっ、けほっ、――チッ」

真面目な容姿に似つかわしくない、忌ま忌ましそうな舌打ちがその口から漏れた。
だが、柳生が苛立った相手は仁王や丸井ではない。

「相手をしている場合じゃないのに……!」

柳生が睨む先には、もやのような黒い霞がビルの壁から滲み出ていた。

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