61

時は進み、あの日から二週間後。
あのようなことがあったにも関わらず、仁王とレギュラーたちの関係には何ら進展が見られなかった。その理由のひとつには、仁王とどう接触すればいいかわからないということがあり、もうひとつには、仁王に対して負い目があったからだ。
柳や幸村はともかく、仁王が生きてここにいたこと――厳密には死んでいるが――を知らなかった者たちは、動揺し、困惑していた。
なにせつい最近まで、もう二度と会えないだろうと思われていた仲間が、いつでも話せられるほどに近い存在になったのだから。混乱するなというほうが無理がある。

丸井ブン太もその内の一人だった。「仁王に殴ってもらう」とは言ったが、本当にたやすく殴られるほど近い距離にいたとは――。想像だにしていなかっただけに、むしろ仁王とは最も物理的に近い距離にいながらも、一番、精神的に距離を置いていた。
クラスの違う柳生や幸村、ましてや学年が違う赤也はむしろ気楽なものだ。丸井はそう思っていた。こっちは嫌でも毎日顔を合わせなければならないのだから、よほどストレスがかかる。会うための口実を作る必要がないだけに、「なぜ、仁王と会話をしないのか?」という問いかけに対する言い訳が苦しくなるのだ。
「ただなんとなく仁王に対して物おじしてしまう」だとか、「申し訳ない気持ちがある」だとか、そんな感情論を弁明に使えるわけがない。しかし、事実、理由としてはそうなのである。丸井は仁王に対し、今さらどんな顔をして話しかければいいのか、さっぱりわからなかった。

ならばいっそ、このまま接触する必要なんてないと割り切ってしまえばいい。そうしてしまいたい丸井だったが、苦しいことに、それすらもできなかった。
丸井には仁王に対して、謝罪しなければならないことがあった。たとえ仁王が許さなくとも、頭を下げなければならない罪があった。

――せっかく仁王がいるならば、謝罪しなければならない。
このまま仁王がずっといる保証なんてないのだから、早く、なにかを言わなければ――。

そんな罪悪感と切迫感に追われて、切り捨てる踏ん切りすらつかないのだ。

――いっそ、仁王からやって来ればいいのに。

最近の丸井は、そのようなありえない願いに縋りつつあった。

――仁王が話しかけてくれたら、こんなに悩む必要はなくなるのに。そうしたら、こっちも簡単に謝ったりだとかができるのに。

それは、流れ星が自ら目の前に墜落してくることを願うようなものだった。一般的に容易くはない流れ星の目撃にだって、ちゃんと窓を開けて、空を見上げる手順が必要だ。ましてや流れ星の墜落だ。流れ星が勝手に降ってきて、空を仰ぎもしない人の目の前に現れてくれるわけがない。
物事は、機会を手に入れようと動く者にしか起こりえない。なにか行動を起こさなければ、得られるものはなにもない。――たしかに“生きる”という生命維持活動を行動と呼ぶならば話は別だが、この際の丸井に必要なのは、そんな必要最低限の行為ではなかった。

『仁王に話しかける』

文面にしてみれば、しごくあっさりとしたそれは、それこそ長らく実行に躊躇うような、膨大なエネルギーのいる行為なのだ。
他のレギュラーはいざ知らず、丸井にとっては、全国大会の決勝で試合に臨むこと以上に勇気のいる、大変なことなのである。



そんなふうに、表面上は日々を安寧に過ごしていた彼らだったが、とある少女の発言により、それもついに終わりを告げることとなった。

「雅治なら、六ヶ月の任務が三ヶ月に変更されたために、今月末にはここを去るのだが。貴様らはこのままあやつを放置しておくのか?」

柳眉をついと上げ、少女――ルキアはレギュラーらに問うてきた。あまりに急なその知らせに、各々のレギュラーらは言葉に詰まった。


ルキアはあの日の夜、レギュラーらの過去の行動を糾弾しようとした。しかし、いくら三年前のこととはいえ、仁王の所属していた学校名をすっかり忘れていた己に、人の非をあれこれと言える立場はないと思い直し、言葉を飲んだ。
深く追及され、責められないことに安心した幸村たちだったが、ただひとり、柳だけは、彼女をそのまま放ってはおかなかった。

――お前は、仁王と同じなのだろう。いったい、お前らはなんなんだ?

ルキアが仁王と同じように分裂(レギュラーたちにはそう見えた)する姿を目の前で目撃しておきながら、たったあれだけの会話で、簡単に帰せるわけがない。
どうはぐらかそうかと悩むルキアを前に、柳はさらに追い打ちをかけた。

――仁王は人形に取り憑いていると言っていた。先ほどの事柄から鑑みるに、お前もおそらくは幽霊なのだろう。しかも、ただの幽霊ではない。そうだろう? これは俺の推測だが、お前らは何かの組織に所属しているのではないか?

そこまで言われてしまえば、もう逃げようがなかった。そもそも仁王とルキアが同じ黒装束を身に纏い、親しげに言葉を交わしていた時点で、この結末は決まっていたことなのかもしれない。
ルキアは渋々ながらも、ついに嘘偽りない正体を明かした。――つまり、己がいわゆる“あの世”という世界で死神をしており、仁王とは同僚で友人関係だということをだ。
この説明には、まず尸魂界の存在から、死神の概念と役割、はたまた護廷十三番隊についても言及しなければならなかった。おかげで彼らは無駄な知識を付けることとなったが、最終的にはそれで納得してくれたので良しとする。

現世の人間に対して、このような話をすることは賢明とは言えないだろう。それを重々承知しているルキアは、ただ自らについて話すのみで、これを終わらせなかった――。


時は遡り、今に戻る。

「こ、今月? 早すぎやしないか?」
「仕方なかろう。私たちにとやかく言える立場はないからな」

そっけなくルキアは言う。そして「伝えるだけ伝えたからな」と言葉を残し、さっさと部室から出て行こうとした。
――しかし、それを柳生が引き止めた。

「すいません、朽木さん。少しだけ、私に力添えしていただきませんか?」
「……内容によるが、なんだ?」
「私が仁王くんに謝罪しに行くことを、手伝ってくれませんか?」

図々しい要求だということは承知の上です、と柳生は言いながら頭を下げてきた。予想外の申し出に、他のレギュラーらは目を見開いて彼を見た。

「私が手伝ってどうなるというのだ。第一、それは貴様の自己満足だろう」
「自己満足ではなく、仁王くんのために謝罪をしたいのです。いくら仁王くんが否定しようとも、私が彼を傷つけたことは事実ですから。
 仁王くんは恐らく、私から逃げると思います。きっと、協力者がいなければ、いつまでも接触はできません。だから、あなたの力を必要としているのです」

しめた、とルキアは内心でほくそ笑んだ。
任務期間が短くなるなど真っ赤な嘘である。だがこうして発破をかけなければ、レギュラーらはいつまでもうじうじと言い訳をつけて仁王から逃げつづけるだろう。

ルキアは、昔の事件に区切りをつける必要があると考えていた。
仁王が自殺をしたために、レギュラーらは自らの過ちを認め、許しを乞う機会を失った。一見すると終わりを迎えたように感じられる過去のそれは、決して完結しているわけではないのである。ただ被害者が消えただけで、しかるべき解決も決着もついていない。
つまるところ、仁王とレギュラーらの間には、漠然とした事件の遺跡が横たわっているだけなのだ。
任務期間が短くなると知らされることは、仁王と顔を合わせて話せる機会が永遠にあるわけではないことを自覚させる目的があった。そしてそれは、計画通りに働いてくれた。レギュラーらは各々、思うところは異なるだろうが、動揺し、問題を見つめようとしてくれた。

実のところルキアは、柳生のように、レギュラー全員に謝罪をさせたかった。だが、それはこちらから促せばいい話ではない。向こうが真剣に悩み、考えぬいた上で、行動に起こさなくては意味のないことである。

謝罪というものは、なにも加害者たちの自己満足のためにあるのではない。被害者にとっても、それは必要なことなのだ。
謝罪を受けた被害者が、必ずしも加害者を許す必要性はない。加害者の諸行を無理やりに許すことは、ある意味で自分の気持ちを押し殺すことになるからだ。ただし、謝罪を受けることで、心の傷がわずかでも癒されるときがある。事実を認めることは人にとって難しいことであるがゆえに、それからもたらされる力は絶大なのだ。
逆に言えば、最も問題とされるのは『事実の否認』である。それは人間にとって自らの心を守るために必要な機能かもしれないが、一方で、心理学上ではかなりよろしくないことである。
特に、感情に関する『事実の否認』は、よりその者の心を苦しめるときがある。「自分は苦しくない」、「自分は悲しくない」。そう言い聞かせて目を逸らす分だけ、倍になって心に累積してゆく。そして、沸騰しつづける鍋の蓋の下からいつか湯が漏れ出すがごとく、抑えきれなくなった感情は溢れ返ってしまう。
そうなれば、その人間は意味もなく苦しみや悲しみに襲われるようになる。現実にある自分の感情から逃げつづけたがために、慢性的にその感情に襲われるようになるのだ。そうでなくとも、そういう人間は鬱傾向になりやすくなる。
つまるところ、『事実』から目を背けることは、誰にとっても良いものではないのだ。

仁王は口では「恨んでいない」と言っているが、柳生の言う通り、レギュラーらが仁王を追い詰めたことは紛れも無い真実だ。友人から疑われ、傷つけられた事実は消えようがない。いくら仁王が否定しようとも、彼にまともな感性がある限り、そこに負の感情がないわけがないのである。
ルキアは、仁王が時おり、一護から貰ったテニスの雑誌を物憂げに眺めていることを知っていた。

許さなければならない。
だが、心から許せない。

仁王の目はありありとそう語っていた。本人にその自覚はないようだったが、端から見ていたルキアはそれに気づき、また気にかけていた。
いくら付き合いがそこまで長くないとはいえ、仁王とは友人関係なのである。大切な友人が苦しんでいる姿をのうのうと見過ごすには、ルキアはいささか以上に優しすぎた。そして、仁王がまた優しすぎる性格であることを重々承知していた。

だから、ルキアはあえてあのような発破をかける発言をしたのだ。
しかし、同時に彼女は、レギュラーらが仁王に謝罪をしなければ、それはそれでいいとも考えていた。
友人を傷つけた者をおいそれを許せるほど、ルキアは愚鈍な女性ではない。『仁王のため』を建前としているだけで、本当ならばレギュラーらを一発……いや、できるならば限界まで叩きのめしてしまいたかった。実際、彼らが仁王の友人でなかったならば、あの夜の時点で迷いなく足か手を出していただろう。

「……わかった。“雅治のため”に、できる限りの協力はしてやろう」

頷くルキアを見て、柳生はほっと息をついた。
目の前で繰り広げられる光景を唖然として見ていた残りのレギュラーらは、改めて自分はどうするべきなのかと悩みはじめる。それは数ヶ月前であるならば、ありえない出来事であった。
たとえば幸村が己の行為を客観的に振り返ろうとする姿など、誰が想像できただろうか。

――かくして仁王の預かり知らぬ場所で、着実に物語が進んでいっていた。


裏の協力者

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