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渡環だったものは呆気なく頭を貫かれ、跡形もなく崩れて消えた。
あまりに拍子抜けするその結末に、彼女に関わった者たちは釈然としない思いを抱いた。あんなにも気がかりだった問題が、たった数分であっさり収拾してしまったのだ。そう簡単に、素直に喜べるわけがない。
あるいはまだ、仁王が傷を負うだとか、渡環が盛大に悔い改めながら亡くなればよかったのだが――そのどれもが実際には起こりえなかったために、現実味は感じられなかった。
この寒々しい校庭にあるのは、着衣者のいない崩れた上下の制服と、大量に倒れ伏している生徒の姿だけだった。清々しい気持ちなどなく、ましてや達成感もない。
なんとも味気ないが、現実はえてしてそのようなものである。

仁王は斬魄刀を元に戻して、鞘に収めた。カチン、と金属が触れ合う軽い音が鳴る。その音を耳にするたびに、いつも仁王はほっと身体を弛緩させていた。
いくら余裕のある戦いだとしても、命を懸けている以上は、多少なりとも緊張するものだ。やはり無事に終えたあとは、どんな戦士であれ、ふっと安堵感が湧いてくる。仁王の場合は、それを知らせる区切りが刀を収める音だった。毎回、斬魄刀の無機質ながらも涼やかな音を聴くと、仁王は戦いの終わりを感じられるのだ。

ささやかな安心感に浸っていた仁王だったが、ふと、視線を感じてそちらを向く。すると、レギュラーらと目が合った。
どうすれば良いが分からず、お互いにただ無言で見つめ合い続ける。
どこかデジャヴュを感じさせる状況だ。仁王は引き気味に身体を硬直させた。

「仁王先輩……ですよね」

その沈黙を破ったのは切原だった。おずおずといった様子で仁王を見つめている。彼の手はこちらへ伸ばそうかと逡巡しているようだった。
仁王は無言で、じり、と後退する。

「あの、また助けてくれたんスよね?」
「……ただの仕事じゃ」
「でも、オレ、」
「礼を言われる義理はなか」

仁王は淡々とした口調で言い切った。その顔にはなにも感情が浮かんでいなかった。
その様を目にして切原は息を飲んだが、しかしめげずに一歩、とうとう足を前へと踏み出した。
切原と仁王の距離は僅かに縮まる。レギュラーらも固唾を飲んでそれを見ていた。

仁王はただ微かに口元を歪め、切原が近づいてきた分だけ後ろに下がると――あっという間に瞬歩で姿を消してしまった。



残された切原は、どう反応すれば良いか分からなかった。
悲しむべきなのだろうか。悔しがるべきなのだろうか。それすらも分からない。道標を失った迷子のような心持ちで、ただ情けなさだけがじわじわと心中を満たす。

いくら手を伸ばしても、その分だけあの人は引いてしまう。
また出逢えたというのに――こんなにもあの人の存在は遠かった。

ぐるぐると深みに嵌まりかけた切原の意識だったが、校庭に横たわる生徒たちのうめき声で、はっと我に返った。彼らはようやく目覚めようとしているらしいが、まだ夢うつつといった様子で、もぞもぞと弱々しく動いているのみであった。
そんな姿を見ながら、切原はいくらか疲れた心中で呟く。

――けっきょくは、悩むだけ無駄なのかもしれない。

暗い思いを振り切るために首を振ろうとし、ふと視界に少女の姿が映った。

「……あ」

切原は思わず声を漏らした。
なにやら考えこんでいるらしい少女は、そういえば仁王と共に校内から現れた。しかも先日ーーいや、先ほども、仁王と同じ格好をしていたはずではないか。黒い装束。変わった日本刀。時代錯誤もいい様相で、化け物相手に戦闘をしていたではないか――!
どんなに鈍い人間だって分かる。仁王とこの少女の間には、少なからず何らかの関係があるはずだ。

「なぁ、アンタに訊きたいことがあるんだけど」

切原はあくまでも、さりげなく少女に声をかけた。
すると少女は彼のほうを見遣り、眉をやや険しそうに潜めた。

「奇遇だな。私もちょうど、貴様らに用ができたところだ」



あのあと、校庭に倒れた生徒らは放置して――とは言っても、あの少女は何やらライターらしきものを破裂させていたが――切原らはひとまず部室へと向かった。
こんな状況では、授業が設けられるとは到底考えられないし、部室ならば部外者に聞かれたくない話をするのにうってつけの場所だ。少女もその考えに異論はないのか、大人しく部室へと足を踏み入れた。

男子部室特有の、微かにつんとした汗の匂いが鼻を突く。しかし、幸村や真田、柳がいるからか、室内は高校生男子の部室にしてはわりかし丁寧に整頓されていた。床には衣類の類いが一切落ちていないし、予備の部品は分かりやすくまとめられている。棚には数々のトロフィーや盾が輝きながら鎮座していた。そのどれもこれもが金色ないしは銀色で、大きいサイズのものばかりだった。
幸村は自然な流れとして、少女を一番まともな椅子――パイプ椅子に座らせた。他のレギュラーらはロッカーの付近にあるベンチに座りこむ。あたかもそれは、一対多数で尋問をするような形となった。
ひと通り腰を落ち着けたところで、さて、と顔ぶれを確認したレギュラーらは、あることにはたと気がついた。

「……あれ? あの男子は?」

あの男子とは、少女と共に校内から現れた生徒――古佐のことを指している。戦いの混乱の最中ではじっくりと考えられなかったが、あの男子の身体から仁王は現れた。それでもなお動いていた彼の正体もまた、深い闇に包まれているのだ。
少女は、彼らが指す者が誰であるのか分かっているらしく、なんでもないような顔で「主人の元へ行ったのだろう」と答えた。
主人とは、仁王のことだろう。しかし、なぜ生徒が主従関係を結んでいるのか。彼が行って、その後、どうなるのか。文面は分かったが、その意味については全く理解できなかった。
レギュラーらは皆、首を傾げるものの、少女は詳しい説明をする気はないようだった。

「そんなことよりも尋ねたいことがあるのだが……貴様らは雅治の知り合いなのか?」
「ま、雅治?」
「ふむ、知らぬのか」
「いや、そうわけじゃなくて――」

切原の声が震える。
仁王のことを下の名前で呼ぶとは、想像だにしていなかった。もしかすると、予想以上に、この少女は仁王と親しい仲なのかもしれない。
このとき、レギュラーらの考えは奇しくも一致した。

「いったい、仁王とはどんな関係なんだ?」

桑原は動揺しつつも、率直な質問を投げかけた。
しかし、少女は険しい表情のまま、「それには答えられん」と、あっさり言い切る。
あまりにそっけないその態度に、レギュラーらは疲労と混乱した精神状態も相まって、室内の空気を一気に険悪なものにした。

「一方的に訊くばっかりとか、礼儀がなってないんじゃねぇの? せめて名前くらい教えろよ」

切原は鋭い目つきで乱暴に言う。大概の女子ならば泣いてもおかしくはない迫力だった。切原もそれを経験からよく知っていて、わざとそう振る舞ったのだ。だが、少女は怯むことなくそれを正面から受け止める。
しばらくのあいだ、両者の間には睨み合いに近いものが続いた。静まった部室内で、時計の針を刻む音だけが響く。
そして、秒針が半周しかけた頃に――ついに少女のほうが折れた。

少女はふうと溜め息をつき、肩の力を抜いた。そして、「すまぬ。私もすこし焦っていたようだ」と謝罪の言葉を口にした。打って変わった素直な態度に、切原は少したじろいだ。
改めて居直り、少女はレギュラーらと向きあう。

「私の名は、朽木ルキア。見ての通り女生徒だ。雅治とは……そうだな、友人関係だと思うが」

そちらはどうなんだ、と少女――ルキアは切原らを見上げる。
幸村は部の代表として、その問いかけに応えた。

「俺らは昔、仁王の部活仲間だった。三年も前の話だけどね」
「部活、仲間……?」

ルキアははっと思案するように指を口元へと持っていく。そして何かを思いだそうとするように、ぶつぶつと呟きだした。

「三年前、部活……テニス、立海大……。ああ、そうか。すっかり忘れていた――!」
「なにが?」

ゆっくりと顔を上げ、ルキアは幸村をじっと見つめる。その瞳には呆れと、こちらを責めるような色があった。

「……貴様らが、雅治のことを追いつめたんだな」

嘆息しながら呟かれた言葉は、彼らをただ硬直させた。


少女の告発

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