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切原赤也はどこにでもいるような、健全な高校二年生である。運動部に所属し、学校の成績に冷や汗をかき、たまの友人とふざけながら遊ぶ、ごくごく普通の高校生なのである。――確かに幽霊が見えるだとか、先輩がチョットおかしいだとかの悩みはあったが、それでも彼は普通の少年でありつづけようとしたし、そうであると信じて疑わなかった。

だが、この状況はなんだ。

切原の眼前に、ひとりの少女がいる。
少女は一般的な日本人特有の黒い髪に瞳を持ち、見覚えのある、これまた黒い着物に身を包んでいた。刀を腰に差し、足袋まで履いているそれは、明らかに普通の人間ではない。十数年間の記憶を持つ、切原の経験値は強く警鐘を鳴らしていた。
目の前のこいつはただの“人間”ではない。そして、ただの“幽霊”ですらない。警戒するべきだ――と。

そもそものことの経緯は数分前に遡る。
切原はいつものように、部活帰りで疲れた身体を抱えながら、ひとりで通い慣れた道を歩いていた。
夕焼けがよく映えるこの道は切原のお気に入りだった。通学路なのでいちいち日々感動をしているわけではないが、それでも疲れた日には――とりわけ厳しい部活で心身ともにくたびれていたときは――自然のささやかなサイクルの贈り物に癒されるのだった。
そんなときだ。切原はこの不審な少女に出会ったのは。
否、少女と“一匹の化け物”に出会ったのは。

「貴様、私のことが見えているのだろう?」

自信満々に、見下すように話しかけるこの少女は、明らかに切原よりも身長が十センチばかり低かった。見上げているくせに、見下すような態度をとる人を切原は始めて知った。

化け物と共に現れた彼女は、刀を片手に、慣れた様子でそれを切り捨てた。躊躇なく頭を潰すその姿は、切原に目眩を起こさせるほどに強烈な既視感を与えた。
この少女は切原が見ていることに気づいていなかった。だから、唖然としていた切原の我に返る時間がもう少し遅ければ、はたまた、切原に“冷静でいる”という選択肢があれば、切原は何事もなかったかのように、ただの日常に戻れていたのかもしれない。
しかし切原は声を出して、そこから立ち去ろうとする彼女を呼び止めてしまった。振り返った彼女の、いささか以上に驚愕した表情を目にした瞬間、切原はその行為をすぐに後悔した。
呼び止めてしまったからには、無視するわけにはいかない。それでも切原は数秒ばかり抵抗してみたが、その間にも彼女は遠慮なく切原の目前へと近づいてきた。

「無視するとは礼儀のない奴だな。呼び止めたのは貴様のほうではないか」
「…………」
「ふむ。しかし見えていないにせよ、一応、記憶を消さねばな。ああ、面倒な話だ」
「は、なんだって?」

思わず釣られてしまった。切原が仰天して反応すると、少女はキラリと目を光らせた。
うわ、やられた。
先輩から散々からかわれている、切原の忍耐力のなさがよく分かる瞬間であった。

慌てて目を逸らそうにも、もう後の祭だ。
黒い着物の幽霊は勝ち誇ったように口角を上げた。

「やはり見えておるではないか」
「うっせ。幽霊が話し掛けんな」
「冷たいな。幽霊であっても元は人間だろうに」
「お前らは鬱陶しいんだよ! なんど振り払っても勝手についてきて、ペチャクチャお喋りを始めたり、マジで憑いてきたり!」
「……昔の一護以上に幽霊嫌いなのか」

いや、蹴り飛ばしてこないだけまだ良いのか、などと少女は何やらぶつぶつ呟いているが、切原にとってはイチゴも幽霊も関係なかった。

「お前、ついてくんなよ!」
「はんっ、誰が貴様のような餓鬼を相手にするか」
「むっかつく……!」

ぎりりと歯噛みをする切原だったが、それよりも本題を――つまり呼び止めた理由を思い出したらしく、ふっと真面目な顔つきになった。

「……なぁ、アンタさ、仁王ってヒト知ってる?」
「仁王?」
「仁王雅治。アンタと同じような真っ黒い着物で、腰に刀を差してるんだけど」
「そいつも幽霊なのか」
「ああ、たぶんな。で、幽霊のアンタは知ってんの? つってもその様子じゃあ知らなさそうだけど」
「うむ。知らんな」

すっぱりと少女は肯定した。
切原はその答えを残念に思いつつ、ふと浮かんだ次なる質問を投げかける。

「アンタらって、いったいなんなんだ?」
「それは幽霊のことを問うているのか?」
「違う。その着物で刀を差している、普通の幽霊とは違うアンタらだけの話題だ」
「存在意義を訊いていると?」
「さっきみたいに変な化け物と戦っている理由もな」
「ふむ。難しい質問だな……」

少女は腕を組んで、こちらを睨むように目を細める。
思わず、切原は喉を鳴らした。

「しかし、ひとつだけ明確に言えることがある」
「なんなんだ?」
「“現世の人間には教えてやらん”」
「はぁ!?」

意地悪く――切原にはそうとしか見えなかった――にやりと笑った黒髪の少女は、腕を組んだままに鼻で笑った。先ほどまでの堅い雰囲気は、動作ひとつで途端に挑発的なものへと変わる。

「こっちにもこっちの都合があるのだ。せいぜい悩めよ青少年!」
「ちょっ、待てっ!」

再び発した切原の制止は、今度は何も効果をもたらさなかった。
少女は高らかな声と共にあっという間に掻き消えて、ただ苛立つ切原のみが夕闇になったほの暗い道端に残された。
最初から何事もなかったかのように、道はいつもの佇まいをしている。

「……なんなんだよ、アイツ」

もちろん、その呟きに応える者はいなかった。



時を同じくして、某所。

「ねぇ、君だよね」
「なにの?」
「あれの首謀者だよ。君なんだろう?」
「わたしが首謀者? なんで?」
「あの状況を見れば、そうとしか捉えられないな。君はなぜ、あんなことをしたんだい?」
「ちっ、違う……! わたしは――!」
「否定するなよ。ちゃんと証拠は取ってある。いまさら被害者ぶるには遅すぎるな」
「でも、わたしは本当に! 違う!」
「なぜだい?」
「あいつが――あいつが悪いの! わたしを傷つけて、ひどいことをしたんだから!」
「ひどいこと? それは君のことじゃないのか? 第一、仮に攻撃されたにしても、やられたらやり返すだなんて、あまりに低俗すぎる」
「そんな……」
「動機がなんであれ、無実の人間を陥れることはモラルとして最低だ。罪悪感を抱かないなら、さらに救いようがない」
「…………」
「ああ、別に君を裁きたいわけじゃないんだ。これはただの忠告だよ」
「…………」
「これ以上、モラルのない行為はするなよ。然るべきところに通報してあげるから。恐喝、暴行、窃盗。虐めだなんて甘い言葉を隠れみのにするべきじゃない」
「……、わかったわ」
「そう。ならよかった。じゃあ、用件はそれだけだ」
「…………ええ」

ドアが閉まる音が響く。
足音が遠ざかる。

「……ええ、ええ、わかったわ。つまり、彼が悪いんでしょう? あの人は、ああしてわたしを心配してくれたんでしょう? だって、わたしは無実だもの。彼がわたしを振ったもの。わたしをひどく傷つけたの。『お前には興味がない』って、わたしを睨んできたの。悲しくて、辛くて、わたしはたくさん泣いたんだわ」

ガタンと重いものが揺れる。
机が蹴られたようだ。

「おなかが空いた。もう、飢えてしまいそう。なにも食べてない」

なにかを引っ掻くような音。

「……明日がたのしみだわ。たのしみ」

そして永遠と高笑いが続き――。


舞台裏のアクター

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