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「――で、俺のところに来たと」
「ああ。当事者ならば、誤った情報が関与する余地はないだろう?」
「主観的情報もある意味じゃあ誤りに近くなか?」
「そこは他の情報を照らし合わせて補う。さしあたり問題はない」
「なるほど」

仁王は納得して頷いた。柳もそのリアクションを予想できていたのか、手に持つ筆記具は微塵たりとも動かなかった。
仁王が珍しく“古佐直”として振る舞わないのには理由がある。まず、柳は以前、とある出来事のおかげで仁王の正体を断片的ながらも知っている。正体を知っている者を相手に演技をすることは馬鹿馬鹿しい行為だと仁王は考えていた。
そしてそもそもここが学校外の場所であり、仁王雅治という人間を知らぬ者しか周囲にいないのである。仁王からしてみれば、監視器具が設置されているわけでもない場所で自らを偽るなんて、やはり馬鹿馬鹿しいことに違いなかった。
仁王雅治という人物は物ぐさなわけではないが、合理的な性格ではあったのだ。

「それにしても、なしてお前さんは俺ん家を知っとるんじゃ」
「データを取ればさほど困難なことではない」
「そういうことじゃなくてな……。知らん間に変なベクトルを成長させよって」

呆れた風に仁王が柳を睨むと、かのデータマンは慣れた様子でその視線を受け流した。
無造作に出された客人用の茶を飲みつつ、柳は淡々と本題への言葉を紡ぐ。

「それはさておき、仁王の主張を知りたいのだが」
「ざっくばらんに来たのう」

仁王は表情ひとつ変えず、のんびりとした口調でそれを受け止めた。

「俺はなにもしちょらんぜよ。前と同じじゃ。相手方が勝手にちょっかいを出してきたんじゃき」
「だいたいの理由は?」
「知らん。大方、俺と付き合えんから自棄を起こしとるんじゃろ。まあ、こっちは振ってもおらんけどな」
「つまり、身勝手な私怨か」
「虐めの大概の理由はそうだと思うがの」

冷ややかに仁王は呟いた。
至極、もっともな話である。

「容姿がなんだ性格がなんだと言いよるが、つまるところは自己嫌悪がだいたいの発端じゃ。どんなに正義感を振りかざしたところで、それは結局、独りよがりな主観的意見にすぎん。『虐められるほうが悪い』っちゅう言葉は、実際にやられたことのない奴らの妄想じゃき」

仁王はまだ言い足りないとばかりに唇を舐めたが、柳の手前だからか、その勢いを自らの水を仰ぎ飲むことで押さえた。柳は三年前の虐め事件で直接関与していないにせよ、関係者には違いなかったのだ。
気まずい空気が両者の間に流れる。
しかし、あえて柳は空気を読まずに話を強引に進めた。

「渡環は唐突にあれを開始したのだな。しかも、そのきっかけすら不明……と。それで、クラスの者たちは皆信じたのか」
「まあのう。アイツは見た目だけはええようじゃからな。適当にそれらしく被害者ぶっておけば……結果は見ての通りぜよ」

詐欺師の異名も廃業かの、と仁王は冗談めかして肩を竦めた。
柳は手帳に文字を書き込みつつ、仁王の発言を冷静に受け止める。

「おかしいな。仁王の演技力や工作能力は高いはずなのだが」
「は? 俺を褒めても何も出んよ」
「いや、仁王はイリュージョンという珍しい技を所持しているように、人を観察し、解析する能力が長けている。その力を持ってしても、渡環の行為を止められないとすると――」

雲行きが怪しくなる予感がしたため、仁王は慌てて言葉を遮った。

「いやいや、お前さん、俺のことを買い被りすぎじゃろ。第一、俺はこれを止めようなんて努力は一切しとらんし」
「何故だ? 無実なのに虐げられている状況を、ただ愉快だとでも思っているのか?」
「俺はマゾじゃなか。ちゅうか、おまんは信じてもいない考えを言うなや」

柳の頭の良さは仁王もよく分かっている。だが、この秀才は時として思ってもいないことをあえて言い、会話を円滑に進めようとするのだ。
柳から発せられるひたむきな疑問の視線を浴びながらも、しかし仁王は理由を言おうとはしなかった。

「黙秘じゃ、黙秘。突っ込んだことをあまり訊きなさんな」
「……そうか」

どう足掻いても、この件に関して仁王が口を割らないことを感じたのか、柳はあっさりと身を引いた。

「んで、他に訊きたいことは?」
「ないな」
「ふぅん、そうかの」

そのままたわいもない会話を続けると思いきや、柳は素直に礼を言って立ち上がった。律儀な仁王は客人を玄関先まで見送ために、柳の後ろに続いた。
玄関を出て、背中を向けて歩きだした柳に向かって、最後に仁王は思い出したように一言。

「あまり首を突っ込みなさんなよ、参謀」

それは心配からの忠告なのか、それとも線引きを求める警告なのか。柳が訊き返そうとする前に、仁王宅の扉は音を立てて固く閉まった。


偽善者の加害者

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