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渡環百花と古佐直のいざこざについては、学校内では有名な話題として広まっていた。『虐め』という、昨今話題にされがちな問題が理由の中心にあったことはもちろんなのだが、両者が共に別の意味で広く知られていたことが、噂の拡大の大きな起因となったのである。
表面化では平時の態勢を取り繕っている学校でも、その内部にいる生徒たちは敏感に不穏な空気を嗅ぎとるものだ。渡環と古佐の話は、とあるさりげない話題として机の列を越え、クラスを越え、学年を越えて、いつしか誰もが知る話題となってしまった。そしてもちろん、例の彼らもこのことを耳に入れないわけがなかった。

「干渉しないようにするべきだと言ったけれど、どうやらそれは、撤回しなくてはならないようだね」

放課後。テニス部レギュラー専用部室内。
藍がかった黒色の髪の男子――幸村は、厳しい顔つきで椅子の背もたれに寄りかかっていた。
その手にあるのは一枚の写真だ。どこで撮影したのかは分からないが、世間一般では美人だと称されるであろう一人の女子がそこに映りこんでいた。
だがしかし、幸村を含めた室内にいる七人の生徒たちは、まるで少女が何か得体の知れない怪物であるかのように、その写真を見つめていた。はたまたそれは親の敵を見るものに見えなくもない。どちらにせよ、うら若き少女を見つめる視線に相応しいものではないことだけは確かだった。
扉側の壁に寄りかかる癖っ毛の男子――切原は、幸村の言葉を受けてさも面倒そうに口を開いた。しかし彼の目は依然として写真から離されていない。

「そりゃーあんな騒ぎを起こしちゃってたら、無視できないっスもんね。無視する気なんてさらさらないっスけど」

誰よりもこの問題に敏感であろう切原の目は、捕食者の如く爛々と光っていた。
三年前の事件にひどく類似した、否、同等と言っても差し支えのないほどに既視感を覚える今回の問題。三年前の事件によって、彼らレギュラーたちは、虐めという問題に対してかなりの拒絶反応を抱くようになっていた。行うことはもちろん、『虐め』という名を聞くことすら耐えられず、その存在が学校内にあるとなれば、今すぐにでも消し去りたい衝動に襲われるのだ。それは虐めによって彼らの絆がバラバラになったという理由もあれば、人の醜さを知り、人間不信に陥ってしまったからだという理由まで、さまざまなものであった。
かつて人と交友関係を深めることで傷つくことを恐れていた丸井は、最近、再び見られるようになった明るい笑顔で、逸る切原を実の弟を扱うかの如く窘める。

「はいはい、赤也は落ち着けって。いまにも襲い掛かりそうな目をしてんぜ? 第一、上を叩けば終わりっていうゲームじゃねーだろぃ、これは」
「だったら……元凶を叩くだけがダメなら、いったいどうすりゃいいんスか? ……それとも、丸井先輩は興味ないんスか?」
「いや、そんなことはねーけどさ」
「ほら! なら、やっぱりアイツをやるしかないでしょ!」
「あー、だからそーいう問題じゃねぇんだよぃ……ちくしょ」

上手い言葉が見つからないのか、丸井は頭を掻いて眉をしかめる。両者の堂々巡りを見かねた柳は、さりげなくも確実な助け舟を出した。

「丸井の言う通りだ。このような問題の解決法には、一人の命令だけではなく、周りの評価も関係してくる。ただ頭を排除したからといって、すぐさま被害者に対する評価が変わるとは考えにくい」
「そう、そういうことだぜ! サンクス柳!」
「え? じゃあ、周りも懲らしめなきゃダメなんスか?」
「だから、なぜお前はそうやってすぐに攻撃的思考へと寄るんだ。そういうことではなく、俺は印象改善も計らなくてはならないと言っているのだが」
「んん、印象? ……でもさー、柳センパイ。印象なんて、元凶が発信するモノが一番強いからこうなっているんじゃないっスか。オレたちがどうこうしたところで、どうにかなるもんなんスか?」
「さあな。そこまでは分からないが」
「なんなんスかもう! 煙に撒かれた!」

ぎゃんぎゃんと騒ぐ切原をさておき、と柳は流して、主宰者へと意見を仰ぐ。

「幸村はどうしたいんだ?」
「さあ、どうだろう。すくなくとも、赤也の考えとは違うかな」
「しかし意見はあるのだろう」
「もちろん」

薄ら微笑む幸村の目にも、やはりどこか仄暗い静けさが潜められていた。切原の表情が黒く熱い炎ならば、幸村のそれは痛いほどに澄んで冷えきった氷だ。どちらも触れればただでは済まされないが、幸村のほうは目視が困難であるが故に、その危うさを察知することは難しい。しかし付き合いの長いレギュラーたちは、今までの経験値から危険な気配を感じ取り、なるたけ彼から距離を置いていた。
そのようなことを知ってか知らずか、幸村はこの三年で凛々しさを増した顔を、周りのレギュラーたちを怯えさせるほどまでに美しく歪めた。

「少し――彼女は反省するべきだよね」

渡環は幸村によって見逃されていた存在だった。いくら三年前の少女に瓜二つであろうとも、無視すべき存在としてぞんざいに扱われていた。
しかし彼女はそのような事情をつゆ知らず、幸村の地雷を盛大に踏んでしまった。ある意味では同情すべきことだが、生憎ながら幸村に、そのような慈悲ある考えはない。なにしろ、彼からしてみれば、面倒だったから逃していた存在が悪臭と共に返ってきたようなものなのだ。――もちろん、そんなものは容赦なく廃棄物として屑箱に投入するのみだ。
幸村がこのように激しく怒る理由を詳しく知らない者ですら、今の彼に無用な口出しをする勇気はなかった。仮に「どうして、ただ瓜二つであるだけの彼女をそんなに敵視しているのか?」などと軽口混じりにでも訊いたならば、恐らくは素晴らしい笑顔と共に、平時の倍以上ある練習メニューを課されることとなるだろう。
彼の怒れる理由を唯一、詳しく知る者――つまりは切原だ――は、幸村のその態度が気に食わないのか、ふんと鼻を鳴らして素直に不満を打ち明けた。

「ハンセーなんかで、解決すりゃあいいですけどね」
「なにかな、赤也」
「あー、はいはい。スイマセン」

切原は滅多なことでもないかぎり、尊敬する上級生にはそれなりの敬意を持って接する後輩だった。その彼が最も憧れている幸村に反抗するということは、つまるところそれほどまでに感情が高ぶっているのだろう。
幸村もそのことを分かっているのか、彼を咎める言葉は吐かなかった。ただし、その代わりと言わんばかりに、手に持つ写真をいよいよ破れんばかりに握った。八つ当たりの対象となっている無機物は、抗議の声ひとつ上げることなく、しわくちゃになってゆく。
部員らは各々考えることがあるのか、幸村の所作をなかば無視して黙りこんでいた。

「……被害者がどちらであれ、たしかに見過ごせねぇよな」

そのなかで、不審な少女を本能的に疑いつつも、桑原はあえて中立的な意見を出した。三年前の事件では素直に仁王を疑ったことを後悔しているのか、彼はただ人の噂のみで信じることには懐疑的になっていた。ただし、桑原は未だにあの時の加害者は仁王だと勘違いしているのだが――それを知らない幸村はきわめて快く頷く。

「そう。だから俺は動くよ。ね、柳?」
「――協力をよろしく、と言うのだろう」

柳は了承の合図をするまでもなく、ごく自然に幸村の提案に従った。あまりに素直なその光景に、もはや六年来の仲となっている周りの者たちは驚いた。
幸村と柳。二人の頭中には、共通して知る秘密の人物、そして、今回の事件の渦中にいる生徒――仁王雅治の姿があった。
災難な話だが、こうして本人の与り知らぬところで、彼はまた着実に、厄介事に巻き込まれているのであった。


ドーナッツ会議

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