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さきほどまで回線が繋がっていた携帯を閉じてポケットにしまい、服装を整える。この一連の動作を、ルキアはなかば無意識のうちに行っていた。
彼女しては珍しいことに、どこかぼんやりとした様子で風景を俯瞰してた。屋上の風にスカートの裾を揺らしながら、ただただ無言でそこに立ち尽くしている。屋上とはいっても、ルキアがいる場所は立海の敷地内ではなく、そこからほどなく距離を置いた、とある廃ビルの上であった。だだっ広い空虚な空間ながらも皐月の涼やかな天候に包まれているそこは、照らす太陽も、吹きつける風も、一般的な高校生ならばたちまち睡魔に襲われてしまうほどに心地好い。つまるところ言うまでもなく、そこはゆっくりと休息することにおいては最適な場所であった。現に彼女のすぐ近くでは、雀が数羽、不規則に鳴き声を上げながら羽を休めていた。

「虚、か……」

ルキアは、抜けるように青い空を見上げつつ、ふいに数ヶ月前の会話を思い出す。
――仁王が現世任務になった理由。わざわざ不自由な義骸に入らなくてはならない不可解な理由。隊長である浮竹曰く、「まだ中央四十六室からは疑われているようだ」というものだったが、ルキアからしてみれば、仁王はもう立派な仲間であり、友人だった。だからこそ、何故あんなにも疑われているのかと当てる先のない無意味な疑問を心中に抱いていた。
疑われている友人を見て友情に厚い彼女が心苦しくならないわけがない。ゆえに、自身が助っ人として仁王と同じ任務につけると知ったときは、飛び上がらんばかりに喜んだものだ。
あんなにも現世で苦労したのだから、せめてこの任務くらいは安らいでいてほしい。ルキアはそう願いながら、仁王を追うように現世任務に就いた。
――しかし、そのささやかな願いは、いともたやすく打ち砕かれた。それはまるで、仁王を苦しめた事件を繰り返すようにして……。

一際強い風が吹く。それとほぼ同時のタイミングに、雀が無言ではたはたと飛び上がった。どうやら彼らの休息は終わったらしい。ルキアは明るい茶色が青の中に浮かぶ点として消えるまで、その飛び立つ様を見送っていた。じっと屋上に立ち続ける彼女の姿は、難題に考究する賢者にも、ルーティンワークに疲れきった会社員のようにも見て取れた。
雀の姿を眺めがらも、その脳裏では数ヶ月に交わされた浮竹との会話が反芻されていた。

――「なぜ、雅治が現世任務に……」
――「それが、上からの通達だからだ」
――「いえ、私が訊きたいのはそのようなことではございません。なぜ、まだ席官になって日の浅い――否、死神になったばかりの者に、そのような任務を与えたのでしょうか?」
――「それは、俺の預かり知らぬところだよ、朽木」
――「……ええ」
――「でも、俺の推測ならひとつだけある。推測だから、怒らないでくれよ」
――「はい」
――「つまるところ、雅治くんはまだ中央から信用されていないんだ。どちらかと言えば、監視対象に近い存在なんだと思う」
――「そんな! あのように真摯な若者はそうそういないというのにですか?」
――「だから怒るなって言っただろう。それに、俺自身は朽木と同じく、雅治くんを信頼しているさ。しかし、上はそうは考えちゃいないんだ。
 なにせ、゛突然、瀞霊廷のほうに魂魄が現れたというのは、異常でしかない゛んだから」……

先程よりも、さらに強くなった風がルキアの身体を煽った。ルキアは髪を押さえつつ、辺りの様子を見回す。空気の気配から察するに、どうやら、これから天候が悪化する可能性が高そうだ。
憂いた気持ちを無理やり奥へと押し込めて、ルキアは屋上から出る扉へと向かった。長らく人に使用されていない扉は、歳老いた鳥を連想させるような音を立てながら、侵入者の力を阻むことなくいとも簡単に受け入れた。
屋上はとうとう生物の気配が一切なくなり、ただ薄汚れた灰色の景色だけが風に晒されて広がっているのみとなった。その頭上では、碧空にまったく似つかわしくない墨を零したような暗雲が静かに、しかし確実な速度で集まってきていた。


真っ暗闇をかき集める

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