52

ドラマのような風景。そんな代名詞がまさに似つかわしい光景が、とある学校内の片隅で繰り広げられていた。

「ほらっ、どうだよっ!」
「反省したか!」
「う……っ」

場所はテンプレ通りの校舎裏。
虚構話のような、複数人が無力なひとりの人間に暴力を振るいつづける展開。
もちろん、輪となって集まり、暴力を行使するのは、絵に描いたような不良少年たちだ――と言いたいところなのだが、あいにくここは私立校であるために、彼らの格好はいささか純朴そうなものであった。だが、いくら見た目が大人しいと言えども、その所業は決して看過できるような生温いものではない。すくなくとも、虐げることを自己に肯定し、数十分にわたって同じ者を傷つけられるほどにはその行為は過激であり、非人道的なものであったのだ。
そして彼らの輪の中心にいるのは、これまたお決まりのような文学系の真面目な少年――と言いたいところではあるが、これもまた、真面目というにはわりと険のある顔つきというべきか、なかなかに挑戦的な雰囲気を身に宿していた。言ってみるならばこうか。
「やれるもんなら、やってみろ」
まるで勝者の如く台詞である。虐められっ子――この状況から察するに、恐らくそうであるはずなのだが――にしては、かなり根性がある身構えだろう。しかしながら、だからといって、彼が自分に対して暴力を振るう輩に反撃や抵抗をしているのかといえば、決してそういうわけではない。むしろ、その暴力を享受して、達観、あるいは傍観しているような、そんな俯瞰的な強者の態度をとっていたのである。
もちろん、それに気づいた不良少年たちが憤らないわけがない。十七、八の少年のプライドにいったいどんな素晴らしい価値があるのかというわけでもないが、この時期の彼らの素直で、真っすぐな心というものは、とかくそういった、自分にとって良からぬものからの刺激を敏感に受けやすいものだ。つまるところ、良く言えば感受性が豊かなのだが、悪く言えば繊細なのである。端的に言ってしまえば、この少年たちはプライドを傷つけられてしまったのだ。

「はっ、どうだ」
「…………」

うずくまる少年の口の端は切れ、血をたらたらと流している。それが、両者にとって唯一の、目に見えてわかる数十分の暴力による成果だった。
肩で息をしている少年たちは、ただ地面にはいつくばるだけの、この被害者をじっと見る。これまで明らかに圧倒的有利に立ち、被害を与えてきたのは自分たちだというのに、のうのうと大した怪我を負わずに座りこんでいるだけの少年を見ると、誰からともなく、まるで自分たちが疲れるために、意味もなくこの行為を行ってきたのではないかという疑惑に憑かれ始めた。――だが、その不安は、自分たちが心酔している少女のために、という正義の言葉の前で一瞬にして霧散した。
思春期の少年たちの、はたしてこの暴力が正しいのだろうかという正常な疑問は、正義という名の暴力によってかき消されたのである。
そして、その壊された疑問は粉末となり、まるで靄のように広がって、彼らの明晰な思考を困難なものにさせた。曖昧な思考回路のなかで、ただ、目の前の者は暴力を受けるに値する人間であり、罰さなければならないという考えだけが、代わりにこの少年たちの脳内を支配するのであった。
悩むことなどなにもない。そうだ。すべては彼女――渡環百花のために。

「まだ反省してねぇようだなぁ」
「おら、もっとやってやんよッ!」
「っ……、う」

殴る。蹴る。力任せにたたき付ける。
そして昼休みの終了を告げる鐘が鳴るまで、その校舎裏では肉を打つ痛々しい音が続いたのだった。



ふらふらと覚束ない足取りで、校内を歩く少年がいた。土で汚れきった制服を身に纏って廊下を歩く姿は、誰もが控え目に見ても、その身になにかが降りかかったことを感じさせた。しかしながら、生憎と言うべきなのか、幸運と言うべきなのか、人気のない校舎の廊下を、ましてや授業中にわざわざ通りがかる生徒はほとんどいなかった。
ほとんどと言うことはつまり、少なからず通る生徒がいるということだ。その数少ない生徒の一人である切原赤也は、たまたま、とある所用からその廊下を急ぎ足で通っていた。だかしかし、授業を数分以上も遅れている焦りから、そのように異常な生徒がいることを強く認識することができていなかった。仮にできているとしても、ただ見知らぬ人間がそこに存在しているという程度であったのだ。

「うわっ、と……すいません!」

焦っていることが原因となったのか、切原はすれ違いざまにその生徒にぶつかってしまった。同時に、軽い何かが落ちる音が辺りに響く。なにが原因なのかと切原が床を見回せば、足元におそらく目の前の生徒のものであろう携帯を見つけた。当然、切原は躊躇いもなく、慌ててそれを拾う。

「あの、どうぞ!」
「…………」

切原から携帯を受け取った生徒は、たいして顔も上げないまま軽く会釈をする。その態度にもちろん良い印象を抱けなかった切原だが、遅れている授業の存在のほうが大きかったために、結局はほとんど気にすることなく、また廊下を急ぎながら歩き出した。

「それじゃあ失礼します!」

それは、この数刻後の切原がこのような事柄があったかどうかすら忘れてしまうような、とてもたわいもない接触であった。人との衝突はもちろんのこと、床に落ちた携帯がなかなかに新しい機種だったことや、生徒が男であることなどは、普通に日常を送る切原にとっては強く記憶するほどの価値がない、ありきたりな情報だったからだ。もし、そのような瑣事をいちいち覚えていたとすれば、切原を含めた通常の人間ならば、おそらく瞬く間に許容過剰を起こして倒れてしまうだろう。人間というものが忘れる生き物であるのは、それゆえに己の防衛のためだと言っても過言ではないはずだ。

切原から別れたあとも、彼から携帯を受け取った生徒はその後ろ姿をじっと見つめ続けていたが、手の中にある携帯が突然震えだしたために、ふいと視線をそちらに落とした。ボロボロの衣装を身に纏う生徒は廊下の壁にもたれ掛かり、面倒そうに携帯を開きながら耳に当て、応答のボタンを押す。

「……なんじゃ、わざわざ電話で連絡するほどの事でもあったんか」

小さく辺りに響く少年の声は、ここらの地域ではあまり聴くことのできない訛りを確かに含んでいた。



仁王は、鈍い痛みを訴える身体を休めるように壁にもたれつつ、ルキアからの電話に出た。その頭を占めるのは、先程の元後輩との接触だったが、いま集中すべきなのはこちらだと、無理やりそれを端に追いやる。

『すまんな雅治。授業中だったか?』
「いや……そんなことはなか」

生徒のざわめきひとつない、しんと静まり返った廊下。仁王は本鈴がとうの昔に鳴っていたことを知りつつ、ルキアに対してそう答えた。

『ふむ。ならいいのだが……』
「で、なんなんじゃ?」
『……単刀直入に言おう。渡環というあの女子は、もしかすると虚かもしれん』
「は?」
『任務ついでの暇潰しに、あやつについて調べてみたのだがな――』
「この一週間、学校に来とらんと思っとったら、おまんはそんなことをしとったんか」
『クラスに来るなと言っているのは雅治のほうだろう。私は時間を有効利用しているだけだぞ』
「へぇ……」

仁王が教室に来てほしくないとルキアに主張したのは、もちろん、無実ながらも自分が大勢から虐げられているような、情けない状況を友人に見られたくないという心持ちがあったからだ。それに、ルキアにしたって、親しいはずの人間が傷つけられている姿を進んで見たいとは思わないはずだろう。
――つまるところ、己の自尊心と、友人のストレス回避のために、仁王は彼女に告げたのだ。「なるべく教室には来てほしくはない」と。ついでに言えば、仁王からそう告げられたルキアは、その言葉を貰うことをあらかじめ分かっていたかのように、あっさりと頷いてその意を承諾したのだった。

『それで、渡環の話なのだが……驚くことに、あやつの戸籍や住所などがまったく存在しなかったのだ』
「……たまたま見つからなかったんじゃなか? モトが取れないからって、そんな安直に虚だって言うてもええんか」
『いいか。聞け、雅治。私が調べたのは何も生まれだけではない。あやつのこの一週間の買い物の記録。それをすべて調べたのだ』
「はぁ。それのどこに虚っちゅう証拠が……」
『゛虚は正の魂魄しか喰わない゛。あやつの――渡環百花の購入表には、ものの見事に食材の類が抜けていたよ』
「…………」

仁王は疲れたように壁にもたれたまま目を瞑る。数週間前の、あの嫌な予感はものの見事に的中したようだ。しかし、さしもの仁王も、よもやあの女子が虚だったとは想像だにしなかった。
――いや、まだ虚だと確定したわけではない。
仁王の内から、警戒する声が囁いた。

「まぁ、そうは言うても、明確な証拠はひとつもないんじゃろ。現に……伝令神機はまったく反応せんからの」
『それはそうなのだがな。とりあえず、貴様はただの人間相手だと油断はするなよ。いつでも義魂丸は出せるようにしておけ』
「りょーかいじゃ」

ふつりと回線が切れる。無機質な電子音を聴きながら、そこでようやく仁王は溜め息をついて、しゃがみ込んだ。唐突に現れた波乱の疑惑。それは、さきほどの不良との戯れが何もなかったと思わせるほどに、仁王の神経を擦り減らした。

「(……霊子変換されとる携帯はばっちり見られとったしのう)」

かつての後輩だった少年の、くしゃくしゃとした頭を思い出し、仁王はわずかに目を細める。虚やこれが見える程度の霊力があるならば、明らかにこの波乱に彼も――いや、彼らも巻き込まれるのだろう。
仁王の死神姿を見てしまった、かつての仲間たち。
クラスに居座り害を振り撒く、打算的な正体不明の女。
ただの駐在任務のはずだったのに、と仁王はやり切れない思いに襲われる。もっと平和な場所に配属されたかったと、この任務を決定した者たちを恨みつつ、なんとなしに窓から景色を仰ぎ見る。
仁王の視界に映るのは、やはり、憎らしいまでに晴れ渡った空だった。


ままならないのが当たり前

prev top next

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -