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懐かしい視線を感じた。
懐かしいなんてものではない。
冷たく、一方的な、批判に満ちた視線。
たった一人の人間から、たくさんの人間に送られる虚構。
ひたすら受け身な人間たちは、なにも疑問を抱かずにそれを信じ続けるのだ。

正しさなんて、どこにもないというのに。
自分の信じる正義を振りまくあの者たちは、確かに加害者という名の偽善者だった。



ねぇねぇ知ってる。
なぁなぁ聞いたか。
ひそひそ、こそこそと生徒たちが囁いては、廊下を歩く一人の少年を遠巻きに見る。
あの古佐って男子がさ――。
オレのクラスの古佐がさ――。
ええっ、ありえない!
まさか!
……でも、もしそれが本当だったら――。

ガラリとドアが開く。それと同時に、教室で騒いでいた生徒たちは水を打ったように静かになった。
皆が注目する先、そこには古佐と呼ばれる少年――つまり、仁王が無表情のまま立っていた。静かな、しかし確かな緊張が教室内を包む。仁王はこちらを見つめるクラスメイトたちを一瞥し、なんともないような落ちつき払った態度で、席へと歩きだした。しかし、それによって、教室内に漂う緊張が微かに和ぐ。そのなかで、固まっていたクラスメイトのひとりがぽつりと呟いた。

「――渡環さんをイジメたんだよね?」

仁王の、椅子に触れようとしていた手が止まる。しかし、依然として仁王の顔は何も表していなかった。その反応を見たクラスメイトたちは、それが質問に対する肯定と受け取ったのか、まるで決壊したダムのように、大量の暴言や質問を仁王に向かって浴びせかけ始めた。
なぜあの渡環さんを。どうして真面目な古佐くんが。暴行だなんてありえない。いままで俺たちを騙していたのか。最低。あなたなんて信じられないわ。嘘つき。渡環さん泣いていたんだよ。なにが気に入らなかったの。おい、制裁を下そうぜ。そうだ。制裁を。正しいオレたちが制裁をこいつに――!

「や、やめろぃ!」

ガタリと椅子を引く音が鳴り響いた。盛り上がりつつあった生徒たちの勢いを遮ったのは、いままでずっと無言で俯いていた、唯一のクラスメイト、丸井ブン太だった。
ちょうどいい雰囲気で高揚してきていたところで妨害を受けたクラスメイトたちは、批判的な空気を丸井に向ける。それをひしひしと感じながら、丸井は立ち上がったときのままの体勢――両手を机に付け、顔を俯かせていた――のまま、次の言葉を紡ぎだした。

「……べっ、べつにそいつがやったっていう証拠はないんだろぃ? まだ肯定も否定もしてねぇやつを、勝手な判断で糾弾すんのはおかしいと思うぜ……」
「でも丸井! 渡環からメールが来たんだぜ! 助けてってな!」
「そうよ! それともあなたは古佐くんの味方をする気なの……?」
「いやっ、そういうワケじゃ――」

丸井が顔を上げて、即座に慌てた様子で否定する。その姿を、仁王は冷ややかな目で見ていた。しかし、自身の保身で必死だった丸井や、懐疑的な視線を注ぐクラスメイトたちがそれ気づくことはなかった。

「……ならいいわ。とりあえず、古佐くんね」
「しっかり話は聞いてやるからな」
「――ホント、いい人だと思ってたのになぁ」

残念だ、と誰かが呟いた。黙りこむ仁王を囲んだ生徒たちの目つきが険しくなる。まさしくそれは、一触即発と呼ぶにふさわしい空気だった。
そのとき、ガラリとタイミングよくルキアが教室のドアを開け、その空気を裂いた。
ほほ全員に視線を向けられ、クラスの異様な雰囲気に気づいたルキアは、猫を被ったままに首を傾げた。

「あら。皆さま、どうかなされましたの?」
「それがね、朽木さん――」

ルキアの近くにいた女子が嬉々として説明しようとした瞬間、さらにタイミングよろしく始業を知らせるチャイムが鳴った。このクラスの担任が時間に厳しいことを知る生徒たちは、それを聴いて、みな苦々しい表情で席に着いていった。
ただ一人、ルキアだけは不思議そうな顔のまま、仁王の隣の席に着く。

「古佐く――」
「出席取るぞー。席に着けー!」

話しだそうとした瞬間に、担任に遮られたルキアは教師を恨めしげに睨んだ。しかし、それでも隠れるように仁王の口が動いたことは見逃さなかった。

『またあとで話す』



昼休みになるまでがここまで遠く感じられたのは、一体いつぶりだっただろうか。仁王は四限の終了を知らせるチャイムが鳴ると同時に、瞬歩を使用しているかのような速さで荷物片手に教室から飛び出した。ルキアは時をおいてから、着けられないようにさりげなくその後を追った。
霊圧を探ることができれば、人を探すことなどたやすい。とくに見知った死神のものならばさらにそうだ。ルキアはたいした時間もかけずに、仁王のいる場所に到着した。

仁王は屋上にいた。出入口の後ろにある建物の裏で、隠れるように座り込んでいる姿を確認したルキアは無言で近づき、傍の壁に寄りかかった。いきなり横に座らないのは、おそらく彼女なりの配慮なのだろう。
仁王はといえば、呆然といった様子で床をじっと見つめ続けていた。その姿はいつぞやの幸村を彷彿とさせる。なにかを見ているようで、その実、彼が見ているのかコンクリートの床ではなく、かつての思い出なのだ。ルキアがどんなに視線を追おうが、それを見ることはやはり不可能だった。
昼休み特有のざわめきが校舎内から響いてくる。しばらくして、仁王はようやく閉ざしていた口を開いた。

「……わかっていたはずじゃった。慣れていたはずだったんじゃ。なのに……、どうしても怖いと思ってしまう」
「…………」
「あのときとは違うから、平気だと思ってたんに……。俺は弱いな……」

自嘲するように口元を歪める姿を、ルキアはただただ沈黙して見ていた。

「……ルキア、すまんのう」
「なにがだ」
「情けないじゃろ? こんな……逃げるだけの奴なんて」
「いや、違うな」
「……は?」

仁王は呆けた声を出した。
すると、ようやくそこで、ルキアは仁王の隣に歩み寄り、すとんとその腰を降ろした。

「貴様は逃げていただけじゃない。ちゃんとそこに留まることもできていたではないか」
「……いや、でも結局、逃げたぜよ」
「結果ばかりが大切なのではない。私は貴様ではないから、思いや考えなぞ寸分もわからぬが、あの状況の中でずっと戦っていたとは知っている。普通の餓鬼ならば、朝っぱらから早々に逃げるほどの空気だったんだぞ。それを貴様は耐えて耐えて、耐え抜くことができた。
 ――なぁ、雅治。これのどこが弱いのだと、情けないのだと言える?」

ルキアは真っすぐな目でこちらを見つめてきた。一点も曇りがなく光る目は、見慣れていたはずなのに、初めて目にしたかのように仁王を錯覚させた。

「……そうか。すまんの――」
「謝るなっ!」
「痛っ!」

げんこつが飛んできた。
仁王は思わず涙目で、抗議の叫びを上げてしまう。

「な、なっ、なにするんじゃ!」
「貴様が謝る必要などなにもないと言っただろう。――第一、戦い抜いた仲間に謝罪を求める人間なんて、一体どこにいるというのだ」
「……っ。
 ――……ありがとな、ルキア」
「ああ、どういたしまして」

ふわりと、ルキアは目を細めて笑った。
普段は男のような振る舞いをするくせに、やけに綺麗に微笑むものだと仁王は思った。それと同時に、だからこそ、阿散井や一護が必死になって守ろうとしたくなるのだな、と納得もした。特に、一護の場合は、ルキアが処刑されそうになったときに、わざわざ現世から尸魂界に殴り込みに来たというのだから、よほどこの少女が大切な存在なのだろう。
ひとり頷く仁王を見て、ルキアはきょとんとしたふうになった。

「なにをしているのだ?」
「ん、こっちの話ナリ」

ルキアは疑問符を浮かべながら首を傾げる。
その様子が、まるで自分を殴った人間とは思えないほどにやはり綺麗で、さきほどまでの陰鬱な空気を忘れるように、仁王はくっくっと笑いつづけた。


不可思議の空気

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