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空気が淀んでいる。
それがここ一週間、学校に通った仁王の感想であった。

「(やっぱり、的中したのぅ……)」

仁王は疲労が溜まりつつある身体を無視して、刀を抜いた。同時に思い出すのは原因であろう女子生徒の顔だ。
何もかもがデジャヴュだった。
馴れ馴れしい態度も、気まぐれではね除けたときに見せる気迫に富んだ表情も、彼女と過ごす時間が長ければ長いほど、それが三年前と酷似していることを判らせた。
仁王にとって、三年前のあのことは消し去りたい記憶だ。誰でもそうだろう。自身の自殺という結末にまつわる事件を、好きこのんで回想する者はいないはずだ。仮にいるとすれば、それはとんだマゾか、自虐的な人間だけである。そして仁王はそのどちらでもなかった。
思い出したくもない記憶を無理矢理掘り起こして、現在と照合する。
顔つき、態度、特徴的な癖……そして、嫌悪感を掻き立てる異様な雰囲気。例えるなら、得体のしれない惨殺死体を発見して、処理をしたいのにも関わらず、そのまま放置してきてしまったかのような恐怖と、僅かばかりの罪悪感を湧かせるとでも言うべきか。そこに存在していること自体が罪科で、今すぐにでも斬魄刀で切り付けたくなるようなおかしさを、確かにあの女は抱いていた。

「……はぁ」

仁王が溜め息をついたのはそれだけが原因ではない。今の現状を見て、疲れがどっと押し寄せてきたのだ。
目の前の光景では溜め息の一つもつきたくなる。もし仁王が他人に不真面目だと言われたら、そう答えるだろう。

――オォオオオォ――

心地好いという言葉とは掛け離れた、実にホラーじみた鳴き声が空気を震わせる。いわずもがな、虚だ。
虚とひとくくりに言っても、大きさも階級も様々で、普通の雑魚に分類されるものから、巨大虚と呼称されるものまであり、虚を鑑賞するために集めたのではないかと疑うほどに数も多い。破面がいないだけでもまだましなのだろうが、仁王一人だけで相手をするには些か以上に分が悪い。
時刻は午前十時。当然、仁王の足元に建つ校舎内には多くの生身の人間が授業を受けている。

「さーて、どうしようかの」

このような場合、限定解除でも申請して卍解をするべきなのだろうが、今の仁王はそれを行う気がない。ただでさえ見える人間がいるというのに、これ以上目立つような真似をして厄介事を増やしたくないからというのもあるし、仁王が卍解を使用できるということをあまり周りに知られたくないのもあるからだ。

「(変に知られて席官昇格とか……面倒じゃしな)」

ちなみに今の仁王の位は八席だ。入隊したばかりの人間にしては優秀すぎることだが、幸か不幸か、仁王にその自覚はない。ただ、過度な注目を浴びることが、経験上、苦手だったのだ。
悩む間にも、虚は数を増やしている。仁王はあれこれと解決策を模索しながら、手際よく斬魄刀を振るって、それらを昇華させる。虚の発生を告げる伝令神機は面倒なため、とうの昔に電源を切って、懐に入れてある。もし、まだそれを点けていたら、いつかの朽木ルキアが見たように、けたたましい音を響かせていたに違いない。
考え事で油断していたのが悪かったのか、大虚の攻撃が仁王の着物の裾をわずかに切った。

「チッ……」

そろそろ始解をするべきなのかと斬魄刀を構えたと同時に、聞き覚えのある妙に間延びをした声が耳に届いた。

「おや、どうやらお困りのようですねぇ」
「……浦原、さん?」
「はいはーい。しがない駄菓子屋の店主、浦原ですよん――っとォ」

空気を読まずに襲い掛かる虚を、浦原はなんなく避けて切り倒す。身のこなしからして明らかにただの駄菓子屋の店主ではないが、それに突っ込む者はここにはいなかった。

「なんでここに?」
「詳しい説明は後にしましょう。ひとまず、この虚たちを倒さなくては」
「……そうじゃな」

カシャ、と今度こそ刀を構える。
浅い息と共に、口から解放の言葉を零した。

「――踊り狂え、玲幻――!」



――数刻後、とある校舎の屋上の一角。

「で、なんでこんな所におるんじゃ」

仁王と浦原は、互いに向き合うような形で立っていた。仁王は壁に寄りかかり、万が一のために死神のままでいるが、浦原は何らかの対策をしているのか、はたまた隠す気がないのか、自身が開発した義骸の姿のままだった。おそらく後者であり、確信犯なのだろうが、仁王はそれについて何かを言うつもりはなかった。どうせこのような人間は、見つかったとしても、記憶置換でも使って飄々と逃げるはずだ。第一、隊長だった者がへまを犯すことはほとんどと言ってもいいほどないだろう。まったく、心配するだけ無駄である。

「いやぁ、仁王サンがピンチな予感がしまして――駆け付けてみれば案の定、大ピンチだったではありませんかー!」
「一応、俺は真面目に訊いとるんじゃが。……わざわざ浦原さんが東京から来るっちゅうことは、それなりのことがあったんじゃろ?」
「なんてことはない。ただの届け物と調査目的っスよ」
「届け物……と、調査?」
「えぇ。仁王サンはおかしいと思いませんでしたか?」
「え?」

ここはあまりにも虚が多すぎる。
浦原の帽子の下で、目が射抜くようにこちらを見る。

「普通ならこの場所――つまり、立海大附属はそこまで霊力がある地じゃあないんス。むしろ、鎌倉の周りにある山の霊脈に吸い取られているくらいだ。
 ……だというのに、この虚の発生はあまりに異常すぎる。空座町だってここまではひどくない」
「それは――」
「なにか原因があるはずっス。しかもかなり曰くつきなやつがね。仁王サン、なにか心当たりはありませんか?」
「…………」

あると言えばある。そんな控えめなものではない。かなりあった。しかし仁王は口を閉じたまま首を横に振った。この問題は自分、いや、自分たちのものだ。他人を巻き込むにはあまりに面倒で複雑な……足を踏み入られたくないものなのだ。だから仁王は浦原の疑問にノーと答えた。欺くつもりはない。ただ踏み込まれたくないだけなのだ。
これは、仁王とテニス部の問題なのだから。

「そうっスか……じゃあ、仕方ありませんね。地道に探しましょう」
「じゃな。――ちゅうか、なんでこんなにいきなりやって来たんじゃ」
「えっ、連絡はちゃんと入れようとしましたよォ。でも、仁王サンの伝令神機に繋がらなかったんス」
「あぁ、……スマン。電源を切っちょった」
「持つ意味ないじゃないっスか」

ジト目で見られる。確かに通信機の電源を切るというのは、通信機を所持する意味がないだろう。
仁王もその自覚があるのか、浦原の視線から逃げるように顔を逸らした。

「虚が発生しすぎててうるさいナリ。霊子変換されとる携帯電話があるならええんじゃが――」
「ありますよォ。変換されている携帯」
「あるんかい」

図ったかのように浦原の左手に携帯が現れた。
仁王が突っ込むと同時に、投げてそれを渡される。

「特別に差し上げます。いつ連絡が来てもいいように、肌身離さず持ち歩いてください。もちろん霊子変換されているので、一般人には見えないことを忘れないでくださいっス」
「……ありがとう、ございます」
「いえいえー! ちゃーんとお代は仁王サンの給料に差し引かせていただきますから☆」
「横暴じゃな! せっかく少し感動したんに!」
「やだなぁータダなワケがないじゃないっスかー! ……というか、仁王サンと黒崎サンって似ていますよねぇ」
「はぁ?」
「あれ、自覚ないんスか?」
「いやいやまったくない」

何をどう見たら黒崎一護と似ているのかがそもそもわからない。
そう言うと、浦原は興味深そうな目つきになった。

「ふーん……。ま、判らないならそれはそれで充分っス」
「……?」
「そんじゃあ、アタシはこれで失礼しますね。調査は後日、誰かサンを派遣しますから」
「ちょっ……!」

頭の帽子を押さえながら浦原は瞬歩で瞬くまに消えた。
屋上に残されたのは仁王と真新しい携帯、そして間の悪い空気だけだ。

「……使い方くらい教えてくれてもええじゃろ」

三年間近くも携帯機器を触れていない人間に、突然最新の物を渡すのはあまりに酷すぎるのではないか。
仁王の訴えに答えたのは、一陣の風のみであった。


知らぬ存ぜぬ

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