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波乱はいつも唐突にやってくる。これもまた同様に、その波乱は唐突にやってきた。
それは、ゴールデンウイークが終わって間もない、ある日のことだった。

「渡環百花ですぅー。よろしくねっ!」

激しいデジャヴュを植え付けながら、彼女は仁王の目の前に現れた。
名字こそ違えど、華やかに笑う彼女の容姿や仕種は三年前とまるっきり同じものだった。それがまるで、この三年間が巻き戻されて、初めから無かったかのように錯覚させる。
ざわざわと、クラスメイトの声が揺れる。恐らく転入生が珍しいからだろう。私立校ではまず、生徒が途中で入ることはないからだ。その中で一人、動揺している仁王は、周りから突然切り離されて、遠くから眺めているような気分に陥った。

「……な、んで」

その言葉を吐いたのは誰だったか。
可愛らしい転入生に喜ぶクラスのざわめきの中で、一言、驚きと絶望を混ぜた響きが、仁王の耳にハッキリと届いた。
もちろん、その答えはどこにもない。



「――おい、柳ィっ!」

バンッと激しい音を立てながら、部室のドアが開け放たれる。室内にいた者たちは何事かと視線を向けるが、入室してきた人間の顔を見るなり、納得したように各々の準備に戻った。
しかしただ一人、名前を呼ばれた柳はドアの前に立つ者に向かって、ゆっくりと近づいて行った。

「どうした丸井。そんなに慌てているのは珍しい――」
「そんなんどうでもいいだろぃ! 柳っ、今日の転入生を見たか!?」
「……ああ、確認したぞ」
「じ、じゃあ、あれについて何か……」
「何も分からないんだ」
「――は?」

柳が首を振る姿を、丸井は放心したように声を漏らして見つめた。
しかし、すぐに真面目な顔つきに戻り、今にも掴みかからん勢いで食いつく。

「おまっ、データマンなんだろぃ!? 何もって、戸籍とか住所とか――」
「それもない。何も存在しないんだ。だというのに、この学校の人間たちは何一つ疑問を抱いていない。……とりあえず落ち着け丸井。お前が来るのを待っていたんだ」

目を開き真っすぐに見つめる柳に、丸井は口を一文字に閉じて黙り込んだ。しかしその顔つきは、動揺や驚愕、混乱している様子がありありと見受けられる。
どうにもならないことに直面すると、人間はまず、誰かに当たり散らしたくなるのだろう。あるはずのない答えを必死に探して、ある程度、自分が満足できるような、答えらしき何かを手に入れるまでいつまでも動き続けるのだ。それが意味のない行動であろうとなかろうと、関係はない。大切なのは納得ができるか否かなのだ。

「……とにかく、ここにいる皆は正常みたいだね」

これを言ったのは幸村だ。
一番奥のロッカーに寄り掛かる幸村は、腕を組みながら真剣な表情で空を見つめていた。肩に掛けられたジャージと相まって、威厳という言葉がまさに似合う雰囲気を抱いている。

「いや、もしかしたら俺たち以外の人間が正常な可能性もあるぞ」
「ははっ、じゃあ俺たちが異常? みんなとは違う記憶を植え付けられて、アイツに似た少女を知っているという思い込みをしているっていうのかい?」
「あぁ。ありえない話であるし、確かに精市の意見は一理あるが、それでも集団洗脳という線は消せないんだ。――なにせ、他の奴らは、全くあのことを覚えていないのだからな」

シン、と部室内が静寂に包まれる。
おかしいのはどちらなのか。その証明方法が全くないことは、彼らの心をさらに乱した。

「……結局、どちらが正しいという根拠すら挙げられないんですね」

暗い表情の柳生が生徒手帳から出したのは、一枚の写真だ。そこには現在の彼らよりも幼い姿が、鮮明に写されていた。柳生の隣には、若干口元を上げている銀髪の少年も入っている。眩しいまでの陰影から、これを撮ったのが夏だということがよくわかる。青春だと言わんばかりの写真は、柳生の手の中で永遠の時を留めていた。今の彼らとは対照的に、ここに写る少年たちの顔に曇りは一点も見られなかった。
この写真を撮った数ヶ月には、転入生が部活内に入りこんでくるのだ。
柳生は別の写真を取り出した。やはりそこにはやや幼い少年たちがそこには写っている――が、その格好は不自然な体勢で止まっていた。
本来ならばもう一人、この写真の中央に人間が写っていたのだ。しかし、今朝、柳生が確認したときには綺麗に消え失せていた。そう、まるで最初から何もいなかったのだと言わんばかりに、まっさらに。

「これからは極力、アレに接触しないようにしてくれ」

真っ直ぐな幸村の目が底光りをする。静まり返った室内で、複数の人間が頷く気配がした。



人間は同一の存在を作ることができない。
それは、どんなに似たものを作ろうとしても、それを取り巻く時間や状況が異なるからだ。もし仮に、まるっきり同じ人間を作れたとすれば、それはもはや、魔法か奇跡の類に分類されてしまうのだろう。

「ねぇ、古佐くんー!」

見れば見るほど、渡環という女子は玖苑にそっくりだった。他人の意見はいまところ耳にしていないが、とにかく、仁王から見る彼女はそうだった。違和感を振り撒き、嫌悪感を与える存在は、三年前のあの女子以外に今までいなかった。それにも関わらず、まるで魔法のように、その女子にそっくりな転入生は以前と同じく負荷を仁王に掛ける。
まるで、同一だと言わんばかりだ。

「……なにかな?」
「えっと、あのねっ、ちょっとしたコトなんだけど――」

だったら話し掛けないでほしい。
しかし、仁王は笑みを崩さずに続きを促した。

「この問題が分からなくて……。百花に教えてくれないかなぁっ?」

首を傾げる仕種でさえ、計算されつくしている。それは、どのようにすれば自分が一番可愛く見えるのかを理解しきっているようだった。
渡環は純粋そうな目をして、仁王の顔を見つめる。身体の奥から沸き上がる嫌悪感を無視して、なんとか仁王は頷いた。

「うん、俺でよければよろこんで」
「ほんとー? やったぁ!」

いやな予感がする。仁王は喜ぶ渡環を見ながら目を細めた。
彼女が玖苑と同じならば、おそらく、あの行為が始まるだろう。その根源は理解不能な、狂気的なまでの愛への執着だ。
また、誰かを傷つけることになるのか。
仁王の脳裏に、テニス部の人々の顔が浮かんでは消える。
嫌いでもない。しかし、好きでもない。無関係になってしまった彼らとの繋がり。今度はいきなり、敵対関係から始まってしまうのか。
いや、と仁王は首を振った。
そんなことにはさせない。元々、三年前のあれは、親しかった彼らが、自分たちが無実の人間を傷つけていたことを知って、心に傷を負わせることを避けるためにしたのだ。面識もほどんどない今の状態ならば、たとえ虐めが起こったとしても我慢せずにすぐに解決したい。何しろ、あまり傷を負うことは、任務に支障が出てしまう可能性があるからだ。それに、下手に目立ってしまうこともなにかと面倒なので避けたかった。

「(……しゃあないのう)」

とりあえず、この状態では全て仮説にしかならない。
もしかしたら渡環が何もしない場合もあるのだ。あまり気を張りすぎて空回ってしまうことは、仁王としても喜ばしくない。
――ならば、様子見をしてみよう。
それが現実的での、仁王が弾き出した結論だった。


またなにかが始まってしまった

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