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真田にとって、部活とは、好きな競技で精進できる場であり、チームメイトとは自分と切磋琢磨し合える仲間だった。本来ならば、同じ目的のために規律を守りつつ行うことさえできれば、それで十分なのだ。極論で言えば、チームメイトがみな乖離して、各々が好き勝手にプレイすればいいのである。仮に、チームメイトが互いに憎しみ合っていようとも、結果的に訪れる大会の成績が良ければ、学校からも評価されるし、それが一番正しいのだと認識もされよう。
真田の持論(言い訳)はここまでだ。次からはその心境である。
しかしながら、いかに堅物だと揶揄される真田であっても、そこにはひとりの人間であるという前提がある。心や情緒というものは、人並み程度には持ち合わせているのだ。たとえ友人でなかったにせよ、チームメイトであり、同じ目標を目指して努力した者たちの諍いに何かを思うくらいのことはするのである。前回の場合は、それが虐めなどという、正義感にさし障るものなのだからなおさらだった。生真面目な真田が、それを気にしないわけがなかったのだ。

「…………」

当時、玖苑と仁王の間に存在した問題は、真田にとっても大きな事件だった。どちらが真実で、虐めは何が原因なのか。自分は被害者だと主張する玖苑も、どう見ても被害者にしか見えない仁王も、どちらが正しいかと判別できるまでの決定打は欠いていた。
ゆえに、真田は放棄した。元来、いくら真面目だ、大人だと言われていたとしても、彼はまだ子供だったのだ。まだ齢十六にも満たない彼は、最終的に、大多数の流れに従い、己の正義をそこに委ねるほどに未熟だったのだ。
しかし、だからといって、真田が全面的に悪いわけではない。むしろ、はたして彼を責める必要性すらあるのだろうか。果てしない困難に巡り合い、悩みに悩んだところで投げ捨てるのは、実に人間らしく、わかりやすい行動だと言えまいか。

「なぁ、真田聞いてる? 仁王がさ、この学校にいるんだよ」

真田の眼前で、無邪気そうな声で話すこの男、幸村は、話し相手の心境なんてものを気にする様子はまるでなかった。ただ、本当に嬉しそうに話し続けるから、恐らくその通りに嬉しいのだろう。真田はぼんやりとそう考える。昔からこの男は、自分自身に対しては、やけに正直に生きているのだから。
機嫌が悪いときはあからさまに、
嬉しいときは笑顔で、
幸村という男は、育ちのせいかもしれないが、とにかく自由な人間だった。
それと同時に、幼い頃からこの男は、自分がこうだと決めたら梃子でも揺るがない芯の強さも持ち合わせていた。だからこそ、テニスという(一部においては)激しいスポーツをここまで頑張り続けることができたのだ。
しかし、長所は時として短所にもなるうる。
自由とは、すなわち他人の意見を受け流す性質があることであり、芯が強いとは、すなわち頑固で、思い込みが激しいということでもある。
真田が知る限りでは、責任感の強さも相まって、彼が限界をきたしたことも一度や二度では済まされなかった。

「……ちゃんと聞いている。ただ、驚いただけだ」
「うん、だよね。あのときは俺もビックリしたなぁー」
「普通はそうなるだろうな。……しかし、どうやってそれを知ったのだ?」
「非合法的な立ち聞きで。たまたま聞いちゃったんだよ」

仕方ないだろ、と言わんばかりの顔で、幸村は真田を見る。批判を発しかけた真田に対し、不満げなその表情に悪意は見られなかった。
悪意がないほうがよほど質が悪い。立海のテニス部の者たちは言わずもがな、悪意なき幸村の行動に振り回された女子の数は数知れない。

「機会があれば、俺もまた会ってみたいものだ」
「いつか会えるよ。なんたって学校は広くないんだからさ」
「ああ、そうだな」

真田は頷いた。
結局のところ、短所も考えようによっては長所なのだ。幼い頃から一緒に居続けた幸村の性格なんて、とうの昔に分かりきっている。
いかに幸村の性格に癖があろうとも、真田は幸村を大切な友人だと認めていた。
だからこそ、真田は悩むのだ。
変わってしまった友人は、本当に正しいのだろうかと。

「このことは、みんなに秘密だからね?」

真田の考えをよそに、幸村は凛々しくも優しい笑みを顔に浮かべながら、右手の小指を立てた。



「(……なんで、俺がこんなことをやらんといかんのじゃ)」

心中でそう呟いた仁王の手には、紙袋が二つ下げられていた。
階段を降りる脚はやや覚束なく、表情も古佐にしては暗い。放課後だとしても、人が疎らにいる校舎で、仁王がそのようなことをするのは珍しいことであった。
紙袋の中に余すところなく詰められた本が、仁王の腕に負荷をかけ続けている。この他意なく作られた鈍器を、仁王は三階の図書室から一階の倉庫まで移動させなければならないのだ。ただの片道だが、辞書や無駄に大きい単行本らの遺物は、予想以上の負担を仁王にかけていた。
いくら図書委員だからといって、本来ならばもう一つの係の者がやらなければならない仕事を、ついでの一言で労働させられるのはあまりにも理不尽だった。頑張ってね、と紙袋を二つも渡してきた年若い司書の笑顔と、偶然そこにいた自分の運のなさが恨めしくなる。

「(いや、これは労働じゃなか……)」

雑務だとか、手伝いだとか、呼称は様々だが、簡単に言えば態のいいパシリである。労働のように賃金や報酬が与えられるわけではないのだ。確かに司書からの微妙な信頼度は上がるが、そのような不可視なものは報酬とは呼び難い。

「……はぁ」

やはり、どう考えてもパシリだった。
とりあえず、どうこう考えたところでこの本たちが軽くなるわけでもないので、仁王は紙袋を持ち直し、重い足取りで倉庫へと向かった。
否、向かおうとした。

「なにやら大変そうだな。手を貸そうか」

背後から聞き慣れた、懐かしい声が掛けられた。仁王は無意識のうちに口元をヒクリと動かす。
恐る恐る振り返れば、案の定、そこには風紀委員長、兼、テニス部副部長である真田が立っていた。
道理で、親しみやすい霊圧だと感じたわけだ。仁王は逃げ出しそうになる足を押さえつつ、脳裏で呟いた。旧知の人間のものならば、親しみやすくて当然である。しかも、最近の虚騒動の渦中の一人なのだから、その霊圧を知らないわけがないのだ。
どうやら、慣れない長期任務で気が緩みつつあるらしい。罰されるわけではないが、個人的な理由で落ち込みたくなってしまう。

「……いや、大丈夫。好意だけ頂いておこうかな」
「む、そうか。ならば邪魔をしたな」
「ううん、わざわざありがとう」

古佐こと仁王はニコリと笑った。社交辞令のものにしては、随分と自然に作られてたいた。
そして、おもむろに重い荷物を床に降ろして、笑顔のまま問う。

「――それで、俺に何か用があるんだろ?」

断定した口調を聞き、真田は僅かに目を開いた。しかし、それはすぐに真顔に戻り、消える。

「噂に聞いていた転入生だったゆえに、気になっただけだ。特に用事などはないな」
「……そっか。勘違いだったみたいだね。ごめん」
「いや、突然見知らぬ輩に話し掛けられて疑うのは当然だろう」
「まぁ……そうだね」

“古佐”は苦笑いをした。内心は、別の意味で苦笑いをしてしまう。
――あいつらの察しがよかっただけなんじゃな……。
疑いすぎて勘違いをしてしまうのは、明らかに最近あったことが原因だ。仁王の考え通り、彼らが察しが良すぎたり、運が良すぎたりするだけなのだが、そのことによって、いつも以上に気を張らねばならなくなったのだから仕方がない。先程にも、クラスメイトである女子から曰く付きな言葉――ねぇねぇ、古佐くんって銀色と関連性があるの?――を掛けられたのだから、今日はいつにもまして慎重だったのだ。(余談だが、その女子には念入りに否定をしておいた。霊力がある人間に記憶置換が効かないことで、これほどまでに苦情を言いたくなったことはなかった)。

「あー……、知ってると思うけど、俺は古佐直だよ。君は?」
「真田弦一郎だ。風紀委員長を務めている」
「へぇ……」

いかにもだと告げたら、この男はどのような反応をするのだろうか。おそらく、高校生らしからぬ厳格そうな顔を僅かにしかめて、しかし、何も言うことはしないのだろう。
仁王の適当な相槌を聞いて、真田は初めて訝しげな表情をした。

「……以前、どこかで会ったことはないか?」
「えっ?」
「いや、……誰かと似ているような気がしてな」

これがデジャヴというやつか。などと真田は呟くが、仁王は動揺から、一瞬、演技を忘れかけた。
今日が厄日なのか、最近の運が悪いのか。占いの類いを信じることはなかったが、ここまで来ると射手座の運勢を心配したくなる。確認すれば、きっと最底辺をずるずる這いずりまわっているのではないのか。
――どちらにせよ、疑いの芽は早めに摘まなくてはならない。

「ううん、初対面だよ。記憶力には自信があるからね」

“古佐”としては初対面なのだから、嘘はついていない。もちろん、本当のことも言ってはいないのだが。


真実なんてそんなもの

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