38

数日前、目の前に突然現れた仁王くん。着物に刀という、おおよそ幽霊らしくない者を手に私たちを怪物から守ってくれた。結局、一度も言葉を交わすことはできなかったけれども、確かに声を聞くことはできたのだ。そして、あれが幻でなかったことを他の部活仲間たちと同じくはっきりと分かっていた。

――きっと、アレは地縛霊だ。

非科学的なことは嫌いではない。そうでなければSF小説を好きになるわけがないだろう。それに、病院にいれば、時には科学で証明できないことも起こるのだ。
私は恐らく、一般的な人間と比べたら霊感が高い方だと思う。何故かと聞かれたら、ハッキリと確信を持っては言えないけれども、幽霊を触ったりできるというのはとにかく普通ではないだろう。
最初は、私の頭がおかしくなったのかと思った。なにしろ、この霊感は後天的に上がったものだからだ。幼児や小学生くらいだったなら、まだよかったのかも知れない。しかしながら、私は中学生にしてそれが上がってしまったのだ。
災難とでも言うべきなのだろう。幽霊が見えるなんて、まともな頭をしていたら言えるようなものじゃない。飄々としていて掴み所がない仁王くんに言ったって、馬鹿にして笑われるのが関の山だ。
――そう、その仁王くんなのだ。彼が何故、あの日、私たちの前に現れたのかが全く分からない。だって、幽霊ならばこの三年の間に会う機会はたくさんあったはずだ。それに、いままで隠れていたのであれば、あのような危機のときだけに現れてくれるなんて、あの仁王くんがするとは到底思えない。一見ふらふらしているようで、変に頑固な面があることを知っているだけに、奇妙なのだ。
仮に、彼が地縛霊だとしたら、この土地に何らかの執着心があるはずなのだ。たとえば、私たちに恨みがあるのだとか――ありえない話だろうが――テニスがしたくて、わざわざ残っているからだとかだ。

あの夜から、私は帰宅してからずっと理由を考えていたが、これだという確証を持てるものは浮かばなかった。今日だって、ずっと考えていたらいつの間にか昼休みまで終わってしまった。これでは埒が明かない。頭を抱えて悩み込んでいたそのとき、ふと私は思いついた。

幽霊に話し合いが通じないわけではない。
だったらまずは、仁王くん本人と会って、直接、理由を聞けばいいのではないか。

一度思いつけば、するすると考えが浮かんでくる。

――とにかく、生前、彼が好きだった場所を回って探すしかない。

そうと決まったら、行動を起こすしかなかった。
悪いとわかっていながらも、五限の授業をサボタージュして、私は屋上に向かった。教員は信じてくれないだろうが、出来ることなら友人のためにしているのだと言い訳がしたい。
屋上の扉に手を掛けた。――そう言えば、ここは仁王くんが自殺した場所とは違う気がする。しかし、私の中にある何かが「それを開け」と囁いた。
深呼吸を一つして、思い切って扉を開ける。勢いよく光が入ってきた眩しさから、私は目を細めた。



天気がいい、の一言に尽きる。仁王は溜め息をついて、無気力に床に横たわった。
結局、仁王は教室に戻らず、屋上にいた。もちろん、今の仁王は魂魄の姿であるし、ちゃんと義骸は真面目に授業を受けている。サボり癖はなかなか抜けないなと分かっていても、やめる気はまったくない。ふと、仁王は何となしに懐から伝令神機を出して、目の前に翳した。

「…………」

虚の反応は、なし。当然だ。鳴ってもいないのだから、いるわけがない。
そういえば、いくらサボりをすると言っても、この仕事だけは果たさなかったことはなかった。仁王はぼんやりとそう思いながら伝令神機のボタンを爪で弾いた。自分でも、ふらふらとした性格だと自覚しているだけに、今さらながらその事実に驚く。やはり人命が掛かっていると、人間は変わってしまうものなのだろうか。
仁王はそれからしばらく伝令神機を手で弄んで、また懐に入れた。だが起きる気力にはなれずに、目の前を通る雲たちをぼんやりと眺め続ける。
そういえば、お前は人命というよりかは、戦いに必死なのだと、以前誰かに言われたような気がする。
あれは一体、いつのことだっただろうか――。

そのとき、背後(頭上)でガチャリと扉が開く音がした。どうせただの生徒だろうと、そちらを見ることもなく仁王は目を瞑って、寝ようとした……のだが。

「――……仁王、くん?」
「(――っ!?)」

聞き慣れた声が耳に届く。飛び起きそうになるのをなんとか堪えて、仁王は眠っているフリを続けた。
最悪だ。仁王は舌打ちをしたくなった。よりにもよって、こいつと出くわすとは。運が悪いとしか言いようがない。

「(まさかお前とはのぅ……柳生)」

柳生は、仁王が知る中では唯一、中学生の頃から霊力が高い人間だった。やはり、命を預かるようなところは力が高まるのだろうか。詳しいことは仁王も知らないが、とにかく霊力が高い者として、仁王は一方的に存在を認知していた。
これはどうしたものかと仁王は頭を回転させた。起き上がって逃げるにはタイミングが悪いし、だからといって、元ダブルスパートナーとのんびり会話――なんてしたくもない。悪戯が得意な詐欺師と言えど、さすがにこのような状況は体験したことがないために悩む一方だった。
そんな表向き上は眠り続ける仁王を見て、一体何を思ったのだろうか、柳生は仁王の右隣に来ると静かに腰を下ろした。

「……幽霊でも眠るものなのですね。せっかく会えたというのに、まさか昼寝をしているとは思ってなかったです」
「…………」
「でも、会ってすぐに逃げられるよりかはましですよね」

ぶつぶつと独り言を言う柳生は、仁王が見えていてもいなくても、端から見れば痛々しい。仁王は今後のために、柳生の霊圧を覚えようと心に決めた。



「――仁王くんが亡くなってから色々なことがありました」

いきなり柳生は、そう言って語り始めた。
どうやら聞き手が寝てようが構わないらしい。柳生はそれを、自らに言い聞かせるように滔々と話していた。

「元部長だった幸村は、一時期はふさぎ込みがちになって、引きこもったこともあります。新部長になった赤也くんも、幸村と同じように何かを思い詰めるように考えていました。
 真田くんやジャッカルくん、丸井くんたちは仁王くんが悪いと考えているようですが、どうやら完全に玖苑さんを庇っているわけではありません。それに、丸井くんはあのあと、かなりの人間不信というか、臆病になってしまいました。
 柳くんは、何も変わらずに傍観者のままです。ただ、以前よりチームを大切にしているような気がします」
「…………」
「私は――、私は変わらないと皆から言われました。でも、私だって変わった所はあります。
 仁王くんが亡くなって、私は悩みました。
 もとはと言えば、原因は私たちにあるようなものなのです。あの事件は、結局、不注意による転落死として解決されてしまいましたが、それで全てが解決したわけではない。あとで考えてみれば、いろいろ不審な点だってあったんですよ。玖苑さんの行動の些細な矛盾、仁王くんの動機。普通に考えたら、あの仁王くんが女子に告白を断られたくらいで、暴力を振るわけがないんです。ですが、あのときの私はどうにかしていました。玖苑さんが自分の全てに見えて――いや、言いわけをするのは良くないですね。私の観察力がなかっただけのことですから。
 玖苑さんは仁王くんが亡くなってから、すぐにどこかに転校しました。一部では失踪と噂されましたが、今は玖苑さんの話題をする者すら少ないです。寂しさはありませんが――それと共に仁王くんの存在も皆さんの記憶から薄れていっているようで、空恐ろしかったです。
 そんなとき、その仁王くんが突然目の前に現れました。嬉しかったですし、また悲しくもありました。どうしたって、私たちと仁王くんはもう交わることができないのだと、はっきりと告げられてしまったからです。
 私は今日、仁王くんに聞きたかったんです。どうして今まで姿を隠していたのに、突然現れてくれたのか。私たちを憎んで、嫌っているのだとすれば、どうして助けてくれたのか。答えてもらったところで、何かがあるわけではありません。でも、私は知りたいのです。今の仁王くんの考えを、そして私たちに対する思いを」
「…………」

さぁっと辺りを浚うように風が吹く。
柳生は満足したような顔をして、立ち上がり、屋上のドアに向かって歩き出した。
そして、柳生の手がドアノブに触れる直前、

「……話が長いわアホ」
「――!?」

勢いよく柳生は振り向いた。
柳生の目には、先程まで眠っていたはずの仁王が上半身を起こして、不機嫌そうな顔でこちらを見る姿が写っていた。呆けたような声で、柳生はぽつりと言う。

「え、起きていたんですか……」
「当ったり前じゃ。第一あんなに近くでべらべらと喋られたら、寝ていた奴でも起きるじゃろ。お前、マナーってモンを知らんのか。マジで一回紳士っちゅうあだ名を本気で捨てやがれ」

早口で、表情通りの不機嫌そうな声音で仁王は喋ると、呆然としている柳生の前で向き合うように立ち上がった。そして死覇装に付いた汚れを落とすために叩く。

「あの時に、あれは俺の責任だって言うたじゃろ?」
「でも、それは……」
「お前らの前に出なきゃいけなくなったんも、仕事をちゃんとしなかった俺が悪いんじゃ。もちろん、仕事に私情なんて挟めん」
「…………」
「でも、本当に憎むだとか嫌いだったら、お前らを助けんかったよ。普通はあのまま見捨てるに決まっとる」
「――えっ」
「べつに、俺は憎いとか、そんなのはないんじゃ。……柳生なら、分かってくれると思ったんじゃけどな」
「仁王くん――!」

必死に自分の名前を呼ぶ柳生の声を背景に、仁王は瞬歩で屋上から去った。
最初から何もなかったかのように、四月下旬にしては寒い風が屋上に吹く。
柳生はそれを受けながら、無言でずっと立ち尽くしていた。


平行線の夢と私

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