34

東京某所。いわゆる、かつて物語の中心だった地。
仁王はとある用事で、そこに赴いていた。

「ここか……」

地図を片手に建物の前で呟く。風に吹かれて揺れる地図には、さまざまな色のうさぎたちが描かれていた。残念ながらそれは若干下手……だったが、まあそこは愛嬌なので目をつむる。ついでに言えば、仁王が立っている場所の上には“ここが目的地だ!”と、案外と言うべきか、やはりと言うべきか、わりと綺麗な字が書かれていた。
仁王は一見、落書き用紙のようなその地図を畳み、ポケットに入れた。仁王の後ろを小さな子供たちが、笑い声を上げながら、パタパタと駆けて行った。今の仁王は、義骸に入り、ごくごく普通の一般人の姿をしていた。それは主に、学校の知り合いへの対策や、堅実的な移動がしたかったためだが、もちろんそんな理由を知る者はここにはいない。
年期が入っている建物のドアに手を掛ける。木製のそれは、ガラガラと懐かしいような音立てて揺れながら、いとも容易く開けられた。
どうやら、ここは駄菓子屋らしい。
陽の光がドアから射して、店内を明るく照らしていた。古い木の匂いがあたりを漂っており、昔からよくあるお菓子や、懐かしい玩具があちらこちらの棚に並べられていた。まさか場所を間違えてしまったのかと思い、動揺する。

「いやぁー、いらっしゃっいませ仁王サン」

唐突に、軽快な響きを持った声が店内に響いた。思わず、びくりと指が動く。
店内の奥を見れば、その声を発した者と目が合った。

「今日はわざわざ遠い所からすいません。なにせ最近忙しいものでして」

そう言って、男はへらりと笑った。
洋風を取り入れたいのか、和風を残したいのか、帽子に仁平という、なかなかに不可思議な出で立ちで座敷に座っていた。
彼の名は浦原喜助。この場所を教えてくれた朽木ルキア曰く、ただの偏屈変態野郎であり、彼に関わると面倒なのだとか。明らかにルキアの助言には歪曲があるが、やはり仁王から見ても、この男はどこか胡散臭いという印象があった。
とりあえず、と仁王は後ろ手で扉を閉め、会話をするために店の奥へと入っていった。

「別に気にしとらんぜよ。で、用事はなんなんじゃ?」

よもや世間話がしたくて呼んだわけではないだろう。仁王は浦原の顔をじっと見た。帽子の影になって目はよく見えないが、仁王の言葉によって、明らかに彼の顔つきが真面目なものへと変わる。
浦原は奥の部屋にあった茶を仁王に手渡して、「実は……」とおもむろに話しはじめた。

「今日仁王さんをコチラに呼んだのは、簡単に言えば……ある虚の討伐についてちょっと相談というか、困ったことがありまして……」
「ん? 浦原さんって確か元隊長だったんじゃろ? そんなに強いんか、その虚は」

思わず口を挟んでしまった。元十二番隊隊長兼技術開発局局長だと聞いていただけに、彼の言葉に驚いてしまう。

「いやいや、戦闘能力自体はそこそこらしいんスよ。ただやることが厄介な虚でしてねぇ……」

浦原は帽子の下で目を伏せ、心底悲しそうにそう言った。まるで今にも溜め息をつきそうな勢いである。が、どうにも仁王の目には空々しく見えてしまうのは、この男の雰囲気によるものだろう。いやはや、なんとも可哀相なことである。仁王も雰囲気が胡散臭いとよく言われていただけに、半分同情心が混じった。
仁王は首を傾げて、浦原の言葉を繰り返した。

「厄介な虚?」
「はい。何しろ、霊圧を隠すのが病的なまでに上手いんスよ、この虚は。しかも人間を捕食する手口も厄介で、わざわざマーキングをしてから集めて一気に殺すんス」
「随分と変わっとるのぅ……」
「だからこぞ厄介゙であり、いままで討伐をされることなく生き残れた」

そこまで情報があるのに討伐されなかったのは、一重にその虚の逃げ足が早いことと、目撃する死神がそこまで強くはなかったからだった。だが、いい加減尸魂界もその存在を煩わしく思ったのか、とうとう討伐任務を出したというわけだ。
尸魂界が本気で調べれば、だいたいのことは知ることができる。はたして情報は集まり、どうやら次は神奈川に出現するだろうと予測されたらしい。詳細を話せばなんてことはない、ただ霊力が高い者が多いからだった。そして、たまたまそこの担当任務が仁王だったために、実力があるならこれ幸いだと、追加任務が下ったらしい。まったくもって、運が悪い話である。
はいどうぞ、と浦原から渡されたものは、またもや書類だった。通信技術などは発達しているくせに、なぜこういうものは古典的なのだろうか。意外とずっしりとしているところに、かなり嫌な予感がする。
ついでに言えば、浦原がわざわざ仁王を呼びつけたのは、単に彼が電話やファックスを使うのが面倒だったかららしい。あっけらかんと言う浦原を見て、仁王はひくりと頬を震わせた。

「あ、ついでに商品どうっスか? 安くしておきますよ?」
「遠慮しておくナリ」

浦原の勧誘を断りながら、ルキアがこいつのことを面倒なやつだと評価した理由が分かった気がするな、と仁王は思った。
とりあえず、この書類たちを入れる袋だけはいただきたい。切実に。



時刻表を見て、発車は五分後だと確認した。
カサカサと重い紙袋を揺らして電車に乗る。休日の昼間だからか人は疎らで、座席もあちこちが空いていた。仁王はそのうちの、比較的ドアに近いところに腰を下ろした。暖かい光が車内に差し込んで、シートや床をやんわりと照らしている。乗客たちも、心なしか眠たげに見えた。
春も中盤に差し掛かり、世間一般に言うゴールデンウィークが近づいていた。仁王にとっては休みなんてあってないようなものだが、それでも、周りの浮いた空気に当てられて、自然と気分は上がっていた。
連休には、ルキアや一護たちと遊ぶ予定だ。遊ぶ、と言っても、任務地区からあまり離れることはできないが、久々にゆっくりとした時間を過ごすことができるのだ。具体的に言えば、ルキアをカラオケに行かせてみるとかだ。きっと、彼女ならば目を輝かせて、あれこれ聞いてくるだろう。仁王にはその姿が容易く想像できた。

ドアの閉まる、プシューと空気の抜ける音が耳に届いて、仁王はハッと我に返った。どうやら物思いに更けってしまったらしい。いつの間にか、仁王の右隣には女性が一人座っていた。人の気配に敏感な自分が気づかないとは、余程集中してしまったのだろうか。または、この女性の出す雰囲気に安心したからかもしれない。どこか落ち着く空気をこの女性は持っているようだった。
仁王は膝の上に置いてある紙袋を自分側に近づけながら、ちらりと横目で女性の顔を見て―――また横目で見た。一瞬、頭が真っ白になる。
―――これは、いや、まさか。
意味もない言葉が脳内を羅列する。手から嫌な汗が滲み出る。ちゃんと持っているはずの紙袋を、膝上から落としそうになる。
横には、仁王がよく知っている人物がいた。



「(―――あね、きじゃ……)」



懐かしい顔立ちだった。
変わらない雰囲気をしていた。
髪型も年齢も変わってしまっていたが、変わることのないそれらが、ひしひしと仁王に彼女が自分の姉であることを痛いほど伝えていた。
どうして? と、思わず出そうになる声を抑える。手に握る紙袋はもうぐしゃぐしゃだ。中の書類は絶対に無傷ではないだろう。仁王はぐるぐると混乱している脳を無理矢理落ち着かせて、なんとかまともな考えを捻り出した。

「(……姉貴だって、東京に行くことくらいあるはずじゃろ)」

ただ、遭遇する確率が低いだけで、同じ地域に住んでいる限り、絶対に会わないということはないのだ。それを仁王は失念していた。全く変わってしまった生活に追われてしまい、遺された家族の存在なんて、考える余裕がなかったのだ。―――なんて、結局これはただの言い訳だ。考えることが嫌で、今も、あの時も、自分はただ逃げていただけなのだから。わざとこの可能性を考えないようにしていただけのだ。
ガタン、と電車が規則正しく揺れた。まるで自分たち二人しか乗ってないように錯覚する。すぐ隣にいるのに、話しかけることはおろか、触れることすら十分にできないのだ。仁王は目を伏せて、唇を噛んだ。ぷつりと切れるような音と共に、咥内に鉄の味が広がる。

何駅か過ぎて、電車がゆっくりと停車した。どこかの駅に着いたようだ。仁王の横で、シートがぎしりと音を立てて僅かに上がる。どうやら、姉はそこで降りるらしい。
仁王は姉の後ろ姿を静かに見つめていた。首に引っ掻いたような跡があるのは心配だったが、どうせ寝ぼけてやってしまったのだろう。相変わらず変わらないなと思い、安心した。
昔から少し不器用で、まわりによく心配をかけていた姉。それでも優しく、気立てがよかった姉は、いつも周りから愛されていた。もしかしたら今は、彼氏なんて存在もちゃんといるのかもしれない。
発車のベルが軽やかに響いた。電車のドアがゆっくりと閉まっていく。仁王は姉の背中に向かって、小さく手を左右に振った。

もう、これで二度と彼女に会うことはないだろう。
これはきっと、気まぐれな神様の悪戯だったのだ。

***

…………。
……。
午後7時。月はもう空高く上がっている
パラリと書類をめくる。
虚のマーキング。その項を読んで、息を飲んだ。

「―――っ!」

どうにかして止めなくては。
これ以上、あの人たちを悲しませるわけにはいかない。

それは小さくとも大きな決意。
動き出した物語は、止まらない。


追いかけないで、近づきたい

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