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世の中は自分の思い通りにはいかない。
人差し指と中指の二本を真っすぐ伸ばし、残りの指を曲げる形―――いわゆるじゃんけんのチョキを手で作りながら、仁王はそう思った。

数日前のことだった。委員会活動に入る予定の仁王は、もちろん部活には入らず、委員会の役員決めに参加した。が、人間誰しも楽な仕事を選ぶ生き物であり、ましてや高校生がその存在に入らないわけがないので、当然、仁王の狙っていた委員会は高倍率になってしまった。これが普通の生徒ならば、お互いに譲り合ったり、辞退するのだろうが、生憎、仁王や、仁王以外の帰宅部の生徒たちにそんな常識や優しさはない。彼らの間にあるのは、「いかにして」「公平に」「相手を蹴落とすか」という言葉だけだった。
そして、公平という面で、最終的にじゃんけんで決着をつけることになり、仁王はそれにあっさりと負けてしまったのだった。委員長が嬉しそうに自分の偽名を黒板に書き込む姿を見て、仁王は口から出そうになる溜め息を静かに飲み込んだ。



昼休みの開始を告げるチャイムが校内に鳴り響く。ドアを開ければ、図書室独特の、紙と木が混じったような匂いが仁王の鼻腔を刺激する。
結局、負け続けた仁王は、最終的に図書委員になってしまった。こんなことになるならば、多少の詐欺をすればよかった、と後悔するのもあとの祭。それに、自分が狙っていた委員会を女子が希望していたため、゙皆に優しい古佐直゙として譲らなくてはいけなかったのも一因なのだろう。周りと円滑な関係を築き、任務を簡単に果たすために作り上げた性格が、自身の任務の阻害をするとは、なんとも皮肉な話だった。

立海の図書委員の仕事は、大きく分けて二つある。名称は広報班とカウンター班。広報班は教員に本に関するインタビューをし、それをまとめて全校に配布する班であり、カウンター班は言わずもがな、図書室のカウンターで本の貸し借りを管理したり、蔵書の整理をしたりする班だ。どちらにせよ定期的に時間が取られるため、義魂丸はあるにしても、仁王にとっては迷惑なことこの上なかった。

「じゃあ、仕事内容を教えるわね」

図書室に勤務する司書が仁王をカウンターまで連れていく。結局、仁王は楽そうな方を選び、カウンター班に入った。その代わり昼休みは犠牲になるが、昼間に虚はあまり出現しない。それに、つい先程、数時間に渡る虚の異常な出現がやっと落ち着いてきたのだが、あのようなことはそうそうあるようなことではないのだ。もし、仮にあったならば、今頃ここは、原因不明の死体がたくさん横たわっていることになるだろう。

「あら、さっそく来たわね」

しばらくして、仁王が久々にパソコンを弄っていると、ドアが開かれる音がした。司書は訪問者を見るなり、嬉しそうな声を出して挨拶をしている。まだ年若い司書の声は、わかりやすいほどに感情が乗せられていた。
仁王はそれに釣られて、作業の手を止め、顔を上げた。と、共に硬直した。

「お前が噂の転入生か」

仁王の前には一人の男子が立っていた。左手にはノートが握られていて、胸ポケットには、いつでもそれに書きこむために、ペンが大人しく収まっていた。眠っているような細さで開かれた目は、仁王の顔を真っすぐに見つめている。
柳蓮二。それがこの男子の名前だ。仁王が所属していたテニス部のレギュラーであり、かつてはあだ名で呼ぶほどには仲が良い間柄だった。事あるごとに参謀、とふざけて仁王が呼ぶ度に、柳は満更でもなさそうな表情をしていた。しかしながらそれは、あの事件以降まったく見受けられることはない。そして、高校から編入してきた者たちは、この黒髪の麗人が、以前は達人以外の呼び名で呼ばれていたことを知らないのだ。

「うん。俺は古佐直。クラスは―――」
「三年B組……とお前は言う。ちなみに身長は175cm、体重はまだ不明。皆に公平で優しく、紳士的であると評判を受けているな」

変わらない。
昔と同じように、自信を含む声音で、しかし、淡々とした口調で、目の前の男はデータを吐き出す。仁王は、眩しいものを見るように、僅かに目を細めた。
もし、今ここで三年前のことを聞いたら、一体、この男はなんと答えるのだろうか。ふと、そんな考えが頭を過ぎった。話術は得意だし、ふざけるように言えば、もしかしたら、あのときの心境を語ってくれるかもしれない―――。だが、仁王はすぐに今の立場を思い出して、その幻想を振り切った。馬鹿馬鹿しい。例え聞いたとしても、初対面の人間にちゃんと答えるわけがないのだ。乾風に言えば、確率は0%だろう。
仁王は人当たりのいい笑顔を作って、元仲間との会話を続ける。

「よく知ってるね。どこでそんな情報を集めてきたのかな」
「ふ、それは秘密だな。ちなみに俺の名前は柳蓮二だ。よろしく」
「こちらこそよろしく」

かつての仲間は、仁王がよく知る笑みを顔に浮かべて言った。その手にはノートが開かれており、ペンがその上を踊っている。
仁王がわざと不思議そうな顔にして、それを見ていると、柳はまた口元を緩めてノートを閉じ、本棚へと歩いていった。おおかた、至って平凡で穏和な少年だとでも書いたのだろう。

「柳くんはこうやって、よく人の情報を集めているのよ」

司書が仁王の横でそう言った。仁王は「そうなんですか」と、柳を見つめながら、曖昧に返事をした。仁王に注目されている男は、目当ての本が見つかったのか、本棚から本取り出し、パラパラとめくっている。そのうち、いつまでも柳を見つめるのは不自然だと思い、仁王はまた作業に取り掛かる仕種をした。

変わらない柳と変わってしまった丸井。同じ部活内であり、あの事件の渦中に巻き込まれた人物たち。両者の間には、どのような違いが働いたのだろうか。仁王は思考の海へと静かに沈んでいく。
残念ながら、どんなに第三者が考えようとも、その者たちの内心だけは分からないのだ。そう、例えそれが、渦中の中心にいた人物がしたとしてもだ。どんなに積み重ねようとそれは仮定でしかないし、真実は本人たちの胸の中にしかない。だが、仁王にとって、その行為が無駄だと理解していても、やめることはできなかった。
そして、ポケットに入れられた、伝令神機が震え出す。


範囲はここまで、立入禁止

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