32

時計の秒針は正確に時を刻み、輪を描く。
時刻は午後11時。夜中と言っても過言ではない時間だ。

紙をめくる音が響く。
狭いアパートの室内には、最低限必要な物だけが置かれている。一見すると、人間が居住しているようには見えなかった。和室に不釣り合いなソファーがかろうじて、ここに誰かが住んでいることを知らせている。
仁王はその部屋の中央、ちゃぶ台の前に座り込み、訝しげに顔をしかめていた。

「……」

仁王が見つめる先には、数枚の用紙が重ねられていた。どれも内容は一つ。守護対象の情報だ。とは言っても、霊力が高い人間だけを記しているのだが。
なんでも、霊力が高い人間は虚に襲われやすいために、とある事件以来、こうやって調査し、担当する死神に配布することになったらしい。プライバシーなんて無いに等しいが、命のほうが大切なのだから致し方ないことだ。
全ての用紙に目を通し終わった仁王は紙をめくる手を止め、ちゃぶ台の上に書類を置いた。予想外の情報に、知らず知らず溜め息が出る。
当たり前のことだが、霊力が高い人間というのは珍しい存在だ。少なくとも、仁王の担当する、ごく狭い地域内で複数枚に及ぶほど、そんな存在がいるというのはかなり異常だった。
しかしながら……、ここまで考えて、仁王は目を閉じて、後ろに背を倒した。布越しに伝わる藺草の冷たさが気持ち良い。このまま寝てしまいたい。とつい現実逃避をしそうになる。迫り来る眠気に抗いながら、また思考を再開した。
しかしながら、仁王が顔をしかめたのは、そんな異常が原因だからではない。
なぜならばそれの―――、

「対象がほぼ全員、テニス部レギュラー……か」

ちゃぶ台に散らばる用紙には、仁王がよく知る顔ばかりが印刷されていた。レギュラー以外にも、家族の写真や親戚のものまであったが、これは予想できていたことなので、別段、驚きはしなかった。

仁王が知る限り、父方の祖父も霊感は結構あった。
ぼんやりと、古いビデオテープのような明度で、仁王の脳内で映像が再生される。
とある夏の日のことだったか。縁側で、祖父が幽霊に怯える幼い仁王を抱いて、頭を撫でていた。「幽霊だって、人間じゃけんのう」そう言って、祖父は膝の上でぐずる仁王を諭していた。暖かい手が、規則正しいリズムで背中を叩く。仁王の横には幼い幽霊が座っていて、きょとんとした顔で祖父と仁王を交互に見つめていた。祖父はそれを見て、幽霊に優しく微笑みかけた―――。
その後の記憶は曖昧だが、暖かい想い出として仁王の中に刻まれている。

以前、黒崎から聞いた話を思い出す。
黒崎の家系もそうだが、霊力の高さは遺伝するものらしい。だというのに、テニス部レギュラー陣の親族の情報はどこにも記されていなかった。
それはつまり、もう一つの理由が該当するということだ。
―――著しく霊力が高い者がいると、その周りの者まで引きずられるように霊力が高くなってしまう。
この場合、霊力が高い者というは自分自身。そして周りの者というのはレギュラーたちで間違いない。自分のせいで霊感がついてしまったことには責任を感じるが、自分が護ればいいだけの話だ。あのとき耐えきれなくなって逃げた償いも含めて、任務期間内は全力で頑張ればいいだけの話なのだ。
ズボンのポケットに入れっぱなしだった伝令神機が虚の出現を伝える。
仁王は目を開けて、手の平を強く握った。

*

翌日、立海大附属高校の屋上にて。
仁王は斬魄刀を片手に荒く息を吐いた。

「……な、んで、こんなにたくさん虚がおるんじゃっ……!」

仁王の目の前には虚の死骸があちこちに散乱していた。浄化しきる前に次から次へと現れ続けるため、屋上は視える人にとっては一種のホラー状態であった。
懐で鳴り響く伝令神機のせいで、朝、登校してから、いままで、一コマも授業に出席していない。ちなみに、今し方、三限が開始するチャイムが仁王の耳に届いたところだった。疲れきっているにも関わらず、いい加減にしてくれ、と叫ばなかっただけ我慢したほうだろう。
撒き餌がどこかに散布されたのではないか、と疑ってしまうほどに異常な出現数の虚たち。しかし残念ながら、撒き餌が散布されてはいないということが、また仁王の精神を疲弊させていた。
額の上を汗がつう、と伝う。原因は分かっている。あいつらだ。

ここ数日で馴染みになった複数の霊圧が不安定に揺れ動く。
何が彼らにあったのかは知らないが、このせいで大量の虚を呼び集めているのは確かだった。
霊力が高い者が動揺したりして精神が不安定になると、稀にこうやって虚を呼び寄せることがある。通常ならばそれを理解していて制御するのだが、如何せん彼らにそんな知識はない。いま仁王にできるのは、彼らの精神が一刻も早く安定するのを願うことだけだった。
仁王の手の平に収まる斬魄刀がカチャリ、と音を立てる。
仁王は口元を緩ませて、それに応えるように呟いた。

「わかっちょる。……行くぜよ玲幻」

そして、僅かばかりの砂を舞わせて、姿を消した。
屋上には、ただただ青空が上に広がるばかりである。

*

同時刻。某空き教室にて。
人知れず会話を交わす者たちがいた。
とは言うものの、二人だけで行われる、ひどくささやかな密会だ。

「ごめん、赤也。またブン太を怒らせた」

一人の少年が頭を下げた。いや、青年と言うほうが正しいのだろう。体つき、顔つきからして、しっかりとした様子を感じさせられる。
普段は堂々とたる雰囲気を持つ彼だったが、立ったまま頭を下げるという光景は、まるで上司に叱られる部下のようであった。綺麗な藍色の髪をさらりと揺らし、その端正な顔は何かを悔やんでいるように歪まれている。
もう一人の少年―――こちらはまだ少年と言うほうが似合う―――は行儀悪く机の上に座っていた。が、本人はそれが行儀が悪いとは思っていないのか、いたって平然としている。

「仕方ないっすよ幸村部長。いつものことですし。幸村部長が怒らせなくても別のことでキレてたはずですから」

時期的に見てそろそろかなー、とは思ってたっす。そう言って、少年こと切原は指先で髪を弄った。その顔もまた、青年と同じように苦しげに歪められていた。
頭を上げた青年――幸村は、決められた台詞をなぞるように言葉を紡ぐ。

「ああ、仕方ない……。でもこれば俺たぢへの罰だ」
「……はい」

ブン太がキレたのはあの事件のせい。
知っていて止められなかった俺たちのせい。
繰り返し、繰り返し。刻み込むように言う。
この会話も、もう何度目だったか。数えることすら億劫になってしまった。
切原は目を伏せ、髪を弄る手を止めた。
これが゙オカシイ゙のは十分に分かっている。壊れたように繰り返す言葉。同じ状況を何度も繰り返す仲間。でもだからと言って、どうすればいいかなんて全く思いつかないのだ。そして幸村部長もそれに気づいているのだろうが、無視をし続けているに違いない。
解決策が見つからないまま、とうとう三年もの月日が経ってしまった。だというのに、俺たちはあの日から一歩も進んでいないのだ。いや、ある意味で変わってしまったから、あの日に囚われている、と言うほうが正しいのかもしれない。丸井先輩は臆病になり、幸村部長は人に頼ることをしなくなった。他のレギュラー陣の先輩たちもどこかしら何かが変わってしまった。
風が窓から入り込む。不意にどこからか懐かしい感覚がして、切原は顔を上げた。窓から見える空は憎々しいまでに青く澄んでいて、思わず声を上げて泣きそうになる。

誰か、俺たちを助けてください。そう願うのは愚かなことなのですか。


誓いのメリーゴーランドは止まらない

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