28

三月某日、現世任務が仁王に通達された。
内容は虚退治と魂送という至極平凡なものだった。
そして今、仁王は現世にいる。


軽く深呼吸をして教室に入る。
見覚えがあるような、ないような面々が一斉にこちらを見ていた。教師が黒板にチョークで仁王の偽名を書いている、カツカツという音だけが静かに教室に響いていた。

「―――俺は古佐直、よろしく」

偽名を言い、お辞儀をする。見慣れない黒髪が視界にさらりと入った。義骸が黒髪なのではない。わざわざ仁王自身で染めたものだ。
どこにでもあるような、ありきたりな自己紹介をすませて笑顔を作れば、教室はざわめきで煩くなる。以前と何も変わらないその反応に仁王は少し眉を潜めた。
教師は二、三言ありきたりな言葉を吐き、席を仁王に教える。与えられた席に向かっている途中で仁王は丸井と一瞬だけ目が合った。丸井はいくらか成長していたが、中学時代を一緒に過ごしたのだ。一目でわかった。すぐにさりげなく視線を外したが、内心は動揺していた。
まさかまた、三年生で丸井と同じクラスになるとは。焦りでじわりと掌が湿る。あのときのことがフラッシュバックで蘇った。冷や汗がつう、と背中を伝う。

姿勢を正し背筋を伸ばす。柔和な笑みを作りクラスメイトたちと会話をする。かつて柳生と入れ替わりをしていた経験が、まさかこんな形で役立つとは思ってもみなかった。
そもそも、なぜ仁王が変装をしてまでこの学校に通わなければならないのか。その理由は本人ですら知らなかった。仁王はただ、任務内容に書かれた事項を守るだけだ。そこに疑問を抱きはすれこそ、反抗は決してしない。仁王にとって、仕事は仕事と割り切るしかないものだと考えていた。そして、仕事に私情は挟んではいけないのだ。ただし、この偽名だけは仁王の小さな遊び心からのものだったが。

一番の問題だった丸井は仁王にちらちらと視線を向けるだけで、話し掛けてはこなかった。仁王が知る丸井は明るく、他人に対して友好的かつ積極的に行動をする人物だったはずだ。だというのに、ここにいる丸井は頬杖をつきながら、ぼんやりと菓子を食べている。仁王が認知しているものとは異なるその行動に時の流れとズレを感じた。当然のものであるはずなのに、それに理不尽さを抱いてしまうことが嫌になる。仁王は自分の周りで騒ぐ女子たちの声を受け流して、思考に耽った。
任務期間は八月までだ。つまり、途中から夏休みに突入するため事実上登校するのは四ヶ月だけ。たとえクラスメイトだとしても、丸井と会話する機会は十分回避できうるだろう。席替えだけはどうしようもないことだが、こればっかりは運に頼るしかない。運任せなんて頼りないものだが、わざわざ席替えごときにあれこれするのも憚られる。そこまで考えて仁王はまた、ちらりと丸井に視線を向けた。

―――あいつらは嫌い、じゃない。

そう言ったのは仁王自身。そして、その言葉に嘘偽りはない。ならば何故、自分は怯えて、逃避したい気持ちに駆られるのだろうか。
全くもってわからない、と仁王は呟いた。するとすぐに席を取り囲む女子たちが何を言ったのかと聞いてくる。仁王の前で短いスカート丈から覗く脚がちらちらとうごめいた。

一限の開始を知らせるチャイムが学校中に鳴り響く。ざわざわと騒がしい教室の中で、それははっきりと仁王の鼓膜を刺激していた。


それはまるで開始を告げる鐘のようで

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