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自分の墓というものを、まさか、この歳で知ってしまうとは思いもよらなかった。

「仁王……。俺達は全国大会を二年連続で優勝を果たした。今年は三年前、中学の時の再来だ。しかし、今の我ら立海に死角はない! 絶対に優勝旗を此処に手向けることを約束しよう」

顔を上げた幸村と合うはずのない目が合う。辺りには沈黙が漂い、互いの呼吸音のみが鼓膜に響いていた。手を伸ばせば触れられる距離。だというのに、触れ合うことは絶対に不可能なのだ。
木々が静かにざわめきを起こす。幸村の髪が風に吹かれてふわりと揺れた。木葉も幾枚か回りながら空へ舞う。しかし、こちらへの視線は全く揺らがらず、真っ直ぐに向けられている。夜空のような濃い藍色の煌めきを宿した瞳は、いったい、どこを見つめているのだろうか。いくら考察をしたところで、幸村の本心は全く分からない。

幸村の正面にあるのはただの墓石だった。そして仁王はそれの上に腰掛けていた。不謹慎極まりない行為だったが、誰も仁王の姿を目視できないため咎められることはない。冬の寒さは当然の如く石を冷やして、じわりじわりと仁王の体温も奪っていく。ぐ、と手の平を動かしても、指先は寒さに悴み、もう感覚すらなかった。しかし、それが逆に確かに自身の存在を仁王に認知させ、安心感をもたらしていた。

―――俺は、ちゃんと存在している。意識がある。

また、風が辺りを揺らす。どこか遠くから鳥の囀りが運ばれてきた。
はぁ、と口から息を出す。
仁王が吐き出した空気は、何も変わらず静かに消えた。



One years ago

そこは、死者が眠る場所には相応しい、閑静で安らかな墓地だった。
山の中にあるとはいえ、木々は丁寧に手入れされているし、雑草は綺麗に取り除かれている。そして、彼の墓にはちゃんとした花瓶と花が供えられていた。最近変えられたのだろう、花はまだ新鮮で、淡くも鮮やかな色彩を放っていた。

――昨日は彼の命日だった。

わざわざ一日ずらして此処にやって来たのは、俺の保身であり逃避。こうやって現実を見つめているふりをして、実際はずっと逃げ続けている臆病者なのだ。本当ならば昨日行くべきだった。または、彼の自宅を訪ねるべきだったのだ。分かっている、と何度唱えたところで、行動を起こさなければ意味はない。
通常よりも白に近い色をした石。光の加減によっては銀と言えないこともない色だ。そっと手で触れれば、ひんやりとした、石特有の冷たく堅い感触が指先を刺激する。それには人間のような暖かさなんて微塵もなく、ただ現実のみを静かに表していた。

―――何もかもから逃げたくて、目を瞑って、耳を塞いだ。

子供のように駄々をこねて、本来の責任を放棄して、仲間を守るための行動すら俺のエゴだった。あの素直で明るい後輩は、それでもなお真っ直ぐに前を見ていた。笑っていたし、責任を負ってもいた。正しく、俺とはまるっきり正反対だった。
はたして、彼はこんな先輩をどう思っていたのだろうか。
正面から問いかけたら、あの後輩はきっと、あっけらかんとした口調で俺に優しい言葉を吐くだろう。誰も傷付けず、逆に自身を責める言葉を出すだろう。
それではなく、俺は彼の心の奥の本心を知りたいんだ。彼は俺を憎んでいるのかいないのか。ハッキリと確かめて安心したいんだ。我が儘? 今更なことだ。我が儘だからこそ、俺はここまで逃避し続けていたのだから。
顔を上げて、口から白い息を吐き出す。去年も、こんなに寒くて冷たい日だった。空は憎いほどに青く、雨は一滴も降ってこなかった。あの時の光景はいまでも鮮明に思い出せる。
視界がじわりと滲んで、空が曖昧に歪んだ。ああ、そんな権利なんて俺にはないというのに。分かっているのに、次から次へと溢れ出て、止めることなんてできなかった。
もうこれっきり、これで逃避は最後にしよう。
目を閉じた。涙が頬を伝う感触を静かに味わう。

「……仁王、ごめん」

この呟きが、どうか彼に届きますように。

風がさわりと吹いて、辺りの木々を揺らした。



Three years ago

仁王先輩の葬儀が昨日終わった。
とうとう先輩はただの石になってしまった。
分かりきっていたことなのに、それにショックを受けてしまった俺はやっぱりただの馬鹿だ。
頭ではいくら理解していても、実際に目で見るのとは全然違う。曖昧な俺の覚悟なんて、いとも簡単に打ち砕かれてしまった。

あの日、俺は見てしまった。
いや、ようやく知ることができた。
玖苑先輩の裏、本当の正体。俺たちが見ていたものは偽りで固められた虚像で、真実はどこまでも濁りきった奴だった。
俺はあの日、仁王先輩の後を付けて、屋上に行った。それは、ほんのちょっとした好奇心からの行動で、あわよくば暴力を振るえるかもしれないという、最低な考えからだった。

――あいつらなんて、ただの飾りなんだから。

笑い声と共に吐き出された台詞は明らかにあいつの本心だった。

裏切られた。
最初はそう思った。ずっと俺らは大切にして、守ってやったというのに、仇を返されたと思った。
次に、騙された、と思った。
あの優しい笑みも、暖かい言葉も、全てあいつの自己満足のためのもので、俺たちはそれに踊らされていたことに気づいた。
そして最後に後悔が襲った。
悪いのは俺たちだった。仁王先輩は何もしていないし、玖苑先輩による本当の被害者だったんだ。今まで気づけなかった自分にとてつもない怒りを抱いた。

仁王先輩は俺の目の前で落下して、死んだ。
手を伸ばしてもそれは全く無意味で、俺の行動はどこまでも遅すぎた。
もし、屋上のあのときに、俺が仁王先輩を助けに行けば、先輩は死ななかったかもしれない。もし、俺が騙されなければ。最初から先輩を信じていれば――。無意味な仮定ばかりを、いつまでも頭の中で繰り返した。
幸村部長も俺と同じく、本当の事を知った人だった。
いつ知ったのかは分からないけれど、幸村部長も相当悩んでいた。いや、俺以上だったかもしれない。あれ以来、幸村部長は俺よりも悩んで、一時期は自宅で引きこもりになるほどに自分のことを追い詰めていた。
玖苑先輩は何故か、仁王先輩が亡くなった翌日に忽然と姿を消した。
先輩が死んだことがショックだったのか、それとも他の玩具を探しに行ったのかは分からない。どちらにせよ、もう玖苑先輩とはこの先、俺たちと会うことはないだろう。それだけは何となく直感していた。
部活の仲間たちや先輩は未だに真相を知らない。何故かって? 幸村部長が止めたからだ。

――これをあいつらに言ったら、俺たちのように傷つくだろう。なら、あいつらのためにも俺たちだけで背負っていくべきだ。

俺の目を真っ直ぐ見つめながらも、幸村部長は何処か遠くを見ていた。
なによりもテニス部というものを大切に考えているからこその判断なのだろう。そして、テニス部のみんなが知らない分、俺たちがこの罪を背負わなきゃいけないんだ。本当は、幸村部長に止められなくったって、俺はみんなに言う気はなかった。もしも真実を知って、幸村部長みたいになったら、と考えたら、言えるわけがない。いっそのこと、臆病者と罵られたらどんなに楽か。

屋上には小さな花が一輪、ひっそりと置いてあった。


びしょ濡れの精神論

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