緩やかな顔をして眠る雷蔵は、私が声をかければ今にも起きてくれそうであった。雷蔵。目を覚ましておくれよ。そう声を出しても何も反応は帰ってきやしない。当たり前だ。雷蔵の心臓はもう動くことはないのだから。どうして、そんな穏やかな顔が出来るのさ、君の腹は刔れているというのに。学園の私達の自室で真っ白な死装束を着て横たわる雷蔵に頭を下げることしか出来ない私は、とんだ愚か者だ。雷蔵、すまない。頬を伝って落ちた一粒の水滴は雷蔵の頬に垂れて、まるで雷蔵が泣いてかのように流れ白い布団に染み込んだ。




そして星に還ろう




激化する戦場に溶ける二つの影。僕達に言い渡された課題はある大きな戦の戦場報告。今更五年にもなって、と文句を垂れていた三郎を宥めて挑んだ課題は、予想を遥かに越える程に厳しいものであった。ただでさえ血や肉が焼ける臭いが充満している戦場に加え、文月に差し掛かるこの時期の気温は高くて、きっと無念にも亡くなって逝った兵士達の体が腐ったせいであろう、むせ返るくらいの腐敗臭が酷い。早くこの場から立ち去りたい衝動に駆られる。隣をちらりと見れば、顔を歪めた三郎の顔。そうだよね、やっぱり君も同じ気持ちなんだね。掌を握り締めて深呼吸を一つ。

あれから五日の時間が過ぎ、一つの村が焼け落ちる様を近くの高い杉の上から眺める。戦の要になる村が落とされれば決着は着くだろう。村人を巻き込んだのはどうかと思うが、僕には関係無い。暗闇に火が轟々と燃え広がる光が映え、誰かの断末魔が響く。ああ、もう、嫌になる。早く消えて、失くなってしまえ。次第に叫び声が聞こえなくなった。終わったか。そんなことを考えていたら隣から小さな声が上がった。


「三郎、どうしたの?」

「あの子供、まだ生きてる」


三郎が指を指したのは焼けている家の直ぐ側に倒れている子供。目を凝らすとまだ生きていることが分かる。そのまま生き残れば戦争孤児、死んだら犠牲者ってところか。可哀相だと思う気持ちは有るが僕らにはどうしようもない。


「私、助けてくる」


止める間もなく、三郎はそう言って木から身軽に下りて行った。危険だよ、君にもしものことがあったら。止めようと伸ばした右手は宙を切った。子供に駆け寄って行く片割れを目で追った。戻っておいで。壁が崩れてしまう。ぐらぐらと揺れる壁に三郎は気付いてないようだった。僕も木から飛び下りた刹那、火が点いた柱が三郎に向かって行った。


「――三郎!」


気が付けば体が動き三郎を森の方へ突き飛ばしていた。そして腹部に違和感。引き裂かれる痛みが全身に走る。三郎は子供を抱き目を見開いている。ああ助かったんだね、良かった、君が無事で。体の奥から溢れ出る熱を感じて咳をすれば一面が赤に染まった。


「雷蔵、雷蔵っ」

「…さぶ…ぉ、こ、ども…は、く…」


子供を早く善法寺先輩に診せないと。助からないと三郎の目を見ると、一瞬泣きそうな顔してすぐ戻るから、と震えた声で言い、子供を抱え駆けて行った。いってらっしゃい。僕とは此処でお別れの様だ。腹は熱いのに体の端々は冷たくなっていく。馬鹿みたいに笑った。馬鹿みたいに泣いた。馬鹿みたいに歌った。馬鹿みたいに叫んだ。全てを忘れて馬鹿になれる暖かいこの場所が、大好きだった。願いが叶うなら、もう少し君と過ごしたかった。一緒に卒業したかったよ。色付く記憶を忘れないようにもう一度、三郎、と大切な名前を呼んだ。

それは数え切れないくらい星降る夜。
僕は星の海に溺れた。



月が滲んで消える




戻ったら、既に雷蔵は息を止めていた。間に合わなかった。必死に冷静を取り繕い雷蔵に刺さった焼け焦げた柱を抜いた。だらりと動かなくなった腕を首に回して背負う。まだ温かいのに、鼓動は聞こえない。血が抜けて軽くなったはずなのに、雷蔵は重くのしかかった。流れ落ちる星々が眩しくて泣いた。



雷蔵の死は学園中に衝撃を与えた。後輩から慕わられ、同級生からは信頼され、先輩からは期待されていた。私はそんな雷蔵が誇りだった。雷蔵の特別は私だけだと、優越感に浸っていた。それなのに、私のせいで自分の命より大切な存在を亡くした。

私のせいだ。雷蔵が死んだのは。
ハチ達にそう伝えれば苦い顔をして、大丈夫か、と返ってきた。いたたまれなくなり私は一人きりになった自室へ駆け込んだ。誰か私を責めてくれ。苦しいんだ。


嗚呼、もう涙も出ない―――







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