アラシが藍染に造り出されてすぐ、鎖に繋がれたのは知っていた。
それは戦闘に不向きな失敗作だったからで、部屋の隅に追いやられたアラシを見たときは正直、滑稽だった。
弱いくせに産まれてくるから。
どうせすぐに殺されるんだろう。早く朽ちて死ね。
けどアラシはしぶとく生かされていて、いつもひっそりと時間が経つのを待っていた。
市丸ギンが話し掛けるようになると、身なりも綺麗になって、俺が傍を通るたびに期待を含んだ眼差しを向けてくる。でも俺が市丸でないとわかると、またすぐに折り畳んだ膝に視線を落とした。それも残念そうに。
何だよ。別に俺だっていいじゃねえか。
ちょっと気に食わなかったのを覚えてる。
それからあまり日も経たずに、市丸がアラシに話し掛けなくなった。
するとアラシは日に日に、目に見えて壊れていった。
髪はぼさぼさで、四肢は投げ出されて、糸の切れたマリオネットのように、ただただ壁に背を預けてぼんやりと宙を見上げている。瞳はもう動かない。誰が通っても、もう追うこともしなかった。
あの目を俺に向けさせたら、俺にも期待してくれるのだろうか。
そんな下らない理由で、メロンパンをくれてやった。
アラシを現世に棄てたこともあった。
どうしても戦いに行かなきゃならなくて、苦渋の決断だった。
現世の誰もいない路地裏にアラシを降ろせば、アラシは犬みたいに濡れた瞳で俺を見上げて、でも、すがることもなく忠実に言い付けを守ろうとした。
うまい言葉が見付からなくて、少しばかり乱暴な物言いでアラシを捨てたが、一緒にいてやりたい気持ちの方が強かった。
初めてキスをした日だった。
人間には結婚という制度があるらしい。
愛し合って、一生、傍にいたいと思える相手と家族になることをいうようだ。同じ姓を名乗ったりして。
プロポーズにはサプライズというやり方があって、素直に指輪を渡せない自信があった俺は、あいつが大好きなメロンパンの中に指輪を捩じ込んで食わせた。
指輪は、一番シンプルなのを選んだ。
宝石がついてるのとか、大きいのとか、色々あったが手を繋ぐときに邪魔だと思って辞めた。指輪のせいで肌と肌に距離が開くくらいなら、ずっとくっついていたかった。
アラシは「じゃあ私の名前ってアラシ・ジャガージャックじゃん、語呂悪くない?」と言って笑っていたけれど、その目に嬉し涙が溜まっていたのを見逃さなかった。
俺達が夫婦になった日だった。
どんなときも俺の一番はアラシで、アラシの一番は俺だった。
ずっと、一緒に生きていくんだと信じて疑わなかった。
* * *
ライとアラシが同じ動きで、同じように仰向けに倒れていくのを見ていた俺は動けなくなっていた。
アラシの心臓を貫いた閃光は遥か彼方、どこまでも飛んでいって俺の殺意の強さを表している。
二人が鈍い音を立てて、重なって倒れて、駆け寄ったのはノイトラで、追従したのもテスラで、俺は動けなくなっていて、息も出来なかった。
ほら、行ってやらないと。
悪かった。痛かっただろう。すぐに井上のところに連れていってやるから、そしたら大丈夫だから。
そう言ってやらないと。
なのに俺の足は砂に埋もれて、動けない。
俺のした罪を見る勇気が出なくて、でもアラシに会わなければ、会いたい、無事を確かめたいという思いも強くて、何とか一歩ずつ進んでいく。
「アラシ!」
ノイトラの叫びが聞こえる。
きっと、返事があるだろう。「あ、ノイトラ」って、間抜けな声が返ってくるはずだろう。
でも不安定な砂漠を歩いて、ノイトラの肩越しに見たアラシの目は――
もう俺に向けられてはいなかった。
ぱっくりと開いた胸の穴の回りには血が溢れていて、アラシの顔は真っ青で、目も口もだらしなく開いたまま、まるで動かない。
色んなものを映して、輝いていた瞳は底のない落とし穴のように暗闇になっている。
息をしていない。
もうアラシは死んでいた。
誰が殺した?
そう、この俺が。
つまらない独占欲と嫉妬に駆られて、一番大事な奴を殺した。
「絶対、グリムジョーのその手で殺してね」
孤独を恐れたアラシが、かつて俺に約束させたことだ。
虚閃じゃなくて、肌と肌を合わせて、その手で確実に殺してくれと約束したのに、その最期の約束さえ守ってやれなかった。
いや、殺してやると言っていたくせに、覚悟がなかったのは俺だった。
アラシはいつも傍にいて、俺と一緒に死ぬのだと。
俺がひとりになることはないと、そう思っていた。
アラシを殺す勇気なんて、これっぽっちもなかった。
独りになる強さなんて、やっぱりなかった。
腹からせりあがってくる嗚咽に堪えきれなくて、口を手で覆う。
情けない声と共に、体がアラシの死を拒絶したのか嘔吐した。
びちゃびちゃと砂を固める吐瀉物を、強い風が吹いて砂が隠していく。
「げほっ…」
はっとした。
見ればライが生きていた。
身長差でライは腹部をやられたらしく、一命をとりとめたようだ。
ライは自身の腹の上に横たわるアラシを見て、苦笑した。
「姉さん…死んじゃったの?」
そしてくつくつと喉を鳴らして笑って、脱力したように空を見上げる。
次に、絶望を孕んだ目で俺を見た。
「お兄さん、そんなに、僕のことが嫌いだった…? 寂しいなあ…せっかく、局長から自由になったのに…」
「お前、本当に純粋にアラシに会いに来ただけだったのか?」
ノイトラの質問に、ライは頷く。
ノイトラの声も震えていることに、混乱している俺は気が付かなかった。
「本当に、ただ会いたくて来ただけだった…。姉さんがいるから、痛い研究にも耐えられた。姉さん、どんな人なんだろうって…血溜まりを鏡にして、ずっと想像してた。…なのに、姉さんを死なせちゃった…僕のせいで…」
会いに来なければよかったと、ライは泣いた。
たくさん、やりたいことがあったのだと、ライは嘆いた。
それはすごく真っ当な願いだ。
しばらく沈黙が続いた。
「皆は、僕より姉さんが生きてた方が嬉しいよね」
それは独り言のようにも聞こえた。
誰も答えないでいると、ライは小さく確かめるように頷いた。
「…大丈夫、僕なら、姉さんを助けてあげられる」
「…え?」
「だって僕の体は、元は姉さんのものだからね」
そう言って笑ったかと思うと、ぎこちなく自分の胸に指を置いて、心臓をくり貫くように爪を立てた。
ぐちゅり、ぐちゅり。
痛覚さえ麻痺しているのか、何の気なしに自分の胸を抉っている。
取り出した自分の一部をアラシの胸の穴に押し込んで、霊力を流し込んだ。
「たった一晩だけだったけど、すごく、幸せだったよ、姉さん」
ライは吐血しながら、もう片方の手でアラシの瞼を降ろし、頭を撫でた。
アラシに似た優しい手つきだった。
「…姉さんのご飯…食べたかったなあ」
それは溜め息だった。
ほう、と深く息を吐いたのと、ライが動かなくなったのは同時で、時が止まった。
ライはアラシの後を追うよう死んで、霊力の枯渇した体はすぐに指先からガラスの欠片のように砕けていく。
風に乗って、さらさらと輝きながら、その体を飛散させていった。
最後に砂の上に残ったのはアラシと揃いのネックレスだけ。
少しして、アラシの瞼がゆっくりと持ち上がった。
記憶が混乱しているのか、何が起きたのかをわかっておらず、体を起こしてきょろきょろと周囲を見回している。
砂の上に転がっていたネックレスに気付いて、空に透かした。
白い花が泣いたようにきらりと光る。
ぽりぽりと頬を掻きながら、寝起きみたいな顔で、アラシは俺を見上げた。
「あれ? ライくんは?」
アラシのバーコードが消えていた。
ごめん
(俺はアラシを抱き締めながら、馬鹿みたいにずっとその言葉を言い続けてた)
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