::田沼と妖怪

円を描く水面にわたしの顔が映っている。昨日の雨のせいで川は水嵩を増していた。まばたきをしても笑顔を作ってみても同じ動きをする水面のわたし。指先で水面にちょこんと触れると小さく波打ちわたしの顔がふにゃふにゃになる。ふにゃふにゃ。わたしの心情を表しているみたいだ。

水面には映るわたしの姿。人の子には見えないわたしは妖怪。

何百年と生きてきた。数えられないほどの人間を見てきた。なのに、今更愛しいと思える人間が現れたのだ。

「………」

そろそろあの人がこの側を通る時間帯だ。
裾についた砂を払い立ち上がる。小鳥が仲睦まじく水を浴びて遊んでいるのをほほえましく感じながら通りに出た。

わたしはいつもベンチと呼ばれる椅子の横に立ってあの人を見送っている。声は届かなくても、あの人が元気に生きていればそれだけで嬉しいのだ。人の一生はわたしたち妖怪にとって一瞬だけれど、こうして毎日あの人を見送っていると幸せな気持ちになれるのだ。だから、今この時を大切にしたい。

「………あ」
「どうした?夏目」
「いや…何でもない」

今日は友人もご一緒らしい。懐かしいと思わせる面影を持つ人の子だ。その人間と目があった気がしたが、すぐに反らされたので気にしないことにした。わたしは人間に見えないはずだから。

隣のもう一人が目的である。すらっとした長い身長に漆黒の髪。わたしは、この人に恋をしている。
一日に会える時間は数分しかない。いや、ほんの数秒かもしれない。だけど、この時間が一日の中で最も楽しい時間だった。

ふと。丸っこい猫に凝視されていることに気がついた。異例として動物には見えてしまうことがあるのだろうか。いやそんなはずはない。今までそのような経験はなかったはず。

「お前、妖怪だな。何故私たちを観察しているのだ」

なのに。

「え」
「ニャンコ先生、いきなり失礼だろ」
「え…」

見えている?

見えている…!?

「あ、の!えっと!?」
「あ、赤くなった」
「…そこに誰かいるのか?」

「顔赤くしてる女の子が一人」
「へえ…」

な、どうして、わたしの頭はその言葉に占領されて焦りに焦る。
丸っこい猫から探るような目付きを受けて恐怖すら感じた。

「そういえば、ここを通る度に誰かに見られてる違和感があったな」
「!!」
「図星のようだな」
「はは、わかりやすい反応…」

幸いなことに目当ての人はわたしが見えないという。しかし、後の一人と一匹は何者なのだろうか。かああと熱くなった顔を冷ますように手を煽るが効果はあまりなかった。

男か女かよくわからない人と猫に笑われて目を泳がせていると、あの人がきょろきょろとわたしが立っている周辺を見始めた。わたしの視線を少なからず感じていたらしい彼は、妖怪の気配に敏感なのだろうか。

どくん。心臓が波打った。彼に見られたくない思いとお話してみたい思いが交差する。

…だめだよ。妖怪が人間に恋をしたことが知れわたったら、馬鹿にされてしまう。

このままでいいのだ。このままで。

「よかったな田沼。かわいい女の子だぞ」
「え、あ、あの余計なことを言わないで…」
「よし多軌を連れてこよう。陣を書いてもらうぞ」
「その必要はない」
「え?」

猫はわたしの隣にちょこんと座っていた。上から見下ろすと、足元の水溜まりにもそのおかしな顔が映っている。その隣にはまだ赤らみの残るわたしの顔も映っていて、まさか、そんな筈はない、と屈んで水溜まりを覗き込めば、わたしを覆った黒い影。

「こんにちは。いや、初めましてかな」

水溜まり越しに目が合った、わたしと彼の初対面。

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