::斎藤とバレンタイン
「………」
女の子にとって決戦日の今日。
家庭科の授業が終わるやいなや我先にと目当ての男子へアタックチャンスと走り去る女子の姿が私の周りでも繰り広げられている。その波に揉まれながらも、持っているお皿を落とさないように大事に死守を続ける。
なんていったって、今日の調理実習のメニューはシフォンケーキ。男子にあげなくて誰が食べるんだ、と燃える女子は最早全員といっていいほど。
「…よし!」
緊張に高鳴る鼓動を落ち着かせながら私は気合いを入れた。
そして、覚悟を決めて先輩のいる教室へとかちかちになっている足を動かした。
偶然にも家庭科室からは先輩の教室は近いが、道のりがとても長く感じる。
早く渡したい、とか、受け取ってもらえるかなあ、と考えているうちに、手もがたがた震えてきた。ケーキだけは崩さないように気をつける。
先輩の所に辿り着く前に力尽きるんじゃないかな私…!
こんなに緊張したのは昔習っていたピアノの発表会以来で、教室の前に着いたときには心音が聞こえるんじゃないかというくらいに踊っていた。
(…チャンスは、今日だけ!)
先輩の教室は入りづらいものだけれど、いまはそんなこと言ってられない。
私は意を決して教室のドアを開けた。
「っ!」
「!」
何故か普段より軽いドアを気にかけている場合ではない、そう思って勢いに任せたのがいけなかったのだろうか。
反対側、つまり教室内からも同時にドアを開けた人物がいて、目の前にひらけた光景に狼狽するしかなかった。
「………」
(う、嘘!?いきなり本人が目の前だなんて聞いてないよ…!)
「……何か用か?」
「う、うあ、は、い」
淡々と言う斎藤先輩を前に必要以上にどもってしまい、余裕の余地が1ミクロンもなくなるくらい今の私は焦りに焦っていて頭が爆発しそう。
斎藤先輩の切れ長の目は私の胸元にあるケーキに注がれていて、また私へと戻された。
先輩はあまり表情を変えないし、いつも何を考えているのかわからない無表情だから謎の多き人と思われることが多いけど、そこが斎藤先輩の魅力だと思う私がいて。
先輩を直視できなくて目線が泳ぐ。って馬鹿!これじゃ私が変人だって思われるじゃない!
ここは勇気を振り絞るしかないのだ。
震えそうになる声で、だけど先輩をしっかりと見据えて。
「斎藤先輩!調理実習でケーキを作ったのでよかったら食べてください」
言えた!噛まなかったしちゃんと言えた!やったぞ私!
先輩にケーキが乗った皿を押し付けるように渡してその場から足早に離れようとした。
が。
ガシッ
「待て」
「ひいっ」
自分自身、最速タイムを出すような機敏な動きでUターンしたつもりだったのだが、反射神経も抜群な斎藤先輩は凄まじい速さで私の腕を掴まえてしまった。
やだ先輩に触れられてしまったわなんて悠長なことは考えていられない。もしかして返品されるのか気に入らなかったのかと、頭をぐるぐる回るのはそんなネガティブ思考。
斎藤先輩を見れなくて視線は下がっていくばかりだった。
「…これはどういう意味だ」
「い、意味、というと…」
「………」
(だ、黙っちゃった!地雷踏んじゃった!?どどどどどうしよう…!)
どうすることもできず挙動不審になっていると、腕を掴む先輩の力が増した。
怒ってる…?怒ってる怒ってる…かもしれない!
強張る私を余所に、先輩はひどく優しい声色で。
「…俺は、期待してもいいのか?」
「…え?」
滅多に見ることのできない先輩の微笑みが私の目前にあって。その見惚れるほど綺麗な顔立ちに目を奪われてしまっていた。
「わ、私は」
吸い込まれるようにして私は言葉を紡ぐ。
「斎藤先輩のことが、好きです」
先輩はにこりと笑って、俺も同じ気持ちだ、と言うように頷いてくれたのだ。