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私が守らなければこの子は誰にも守られない。そう思ったのはいつのことだったか。虐められているところに割って入った小学5年生のとき、熱で寝込んだその子をつきっきりで看病した小学3年生のとき、父親に玩具を壊され泣くその子をあやした6才のとき、物心ついたとき、生まれたとき。あるいは、母体の中で一緒になったそのときから。

私は早熟だった。幼いころからなにかと勘が鋭く、野生的ななにかを内に秘めて本能的に自分を取り巻く世界が他とは違うことを理解していた。家族とは。まだ10にも満たないうちにその意味が知りたくて本を読み漁り、追求し、そして絶望し渇望した。餓鬼のくせに大人びた変な奴だった。

弟は病弱だった。対照的に病気とは無縁の私からそれを引き抜き抱え込んだかのように幼いころは簡単に身体を壊し、寝込んだ。物静かだが好奇心は旺盛で、どこか私と似ているところがありながらもその子らしさを持ち合わせ、かわいかった。

大きな家に子供が二人だけ。たまに帰ってくる二人の大人は、一人は家庭にまるで興味がなく、一人は人格が破綻しており親としての誇りがまるでない。そんな境遇だったからだろうか。あまり他人に心を開くことのない弟は私によく懐き、そばを離れなかった。

それだけで私は良かった。私の世界には弟しかいなかったし、その世界を守るために外敵は徹底的に駆除した。綺麗事なんてどうでもいい。関係ない。私がこの子を守らなければいけない。そうでなければ、この子は生きていけない。

「姉さん」

大好きだった。大切だった。愛してさえいた。他人なんてどうでもよかった。弟が求めるものがあればそれを与え、嫌うものはとことん排除し、弟と弟を取り巻く環境を清純で真っ白な世界にした。その世界に穢れはなく、綺麗で、美しかった。

それが変わったのは中学に入ってからだった。血縁関係にある私たちは決して同じクラスになることはなく、半日を別々に過ごすことになった。仕方のないことだった。それでも私の気持ちは変わらなかったし、変えるつもりもなく、変わっていくとも思っていなかった。

その頃から私は弟の笑った顔を見なくなった。

帰宅時間はバラバラ。一緒にいられる時間なんてない。それでも、なにをすることもなく帰る私の方が先に家に戻ることが多い。だから、毎日のように弟の帰りを待った。帰りを迎えた。尽くした。

「おかえり、猿比古。遅かったんだね。夕飯は…」

だけど、それは全て無駄なことだったのだろうか。私の顔を見ることも、言葉をかけることもなく自室に入っていくその背中に膝から崩れ落ちる。涙は出なかった。声も出なかった。ただ、今まで自分にだけは向けられていた信頼が希望が愛が、そこには感じられないことに困惑し絶望した。

いつからだ。いったいいつからその純潔な世界にはヒビが入り、黒ずみ、毒が回ったのだろう。いったい誰がそんな酷いことをしたのだろう。この世界が保たれていればこんなことにはならなかった。愛に満ち溢れた世界の中でずっと二人で幸せでいられた。なのに。

伸ばされた手を取るのはいつも私だった。それが、今となっては手を伸ばしても虚空を掴むことしかできずにいる。なんて無様なのだろう。なんて滑稽なのだろう。あの子はそれを嗤ってさえくれなかった。

「猿比古、」

あの子はもう、この世界を嫌っていた。憎んでいた。私の作り上げた世界なんかではなく、その全てを包み込んだ、自分の生まれ落ちた世界そのものを憎悪し、絶望していた。私はその絶望の中にも弟という光を見出したが、あの子にとって私は光などではなく、その闇の一部に過ぎなかった。

信じていたのに裏切られた気分。いや、もっと悪い気分だった。まるで大切にしていた玩具を目の前で叩き壊された気分。悲鳴を上げたい衝動に何度も何度も駆られながら、両手で口を押さえて必死に耐える。その時、家のドアが開く音がした。

この家に盗まれて困るものなんてなにもない。だから鍵もかけない。私にとって大切なものはただ一つ。たとえ壊されてもパーツを掻き集め、また作り直す。もしそれを盗む者がいるのであれば、私は。

白い肌。ひょろりとした背。長い手足。歪んだ口元。煙草の臭い。全てはこの男からはじまった。この世界を作り出すきっかけになったのも、この世界が崩れるきっかけになったのも全てこの男が原因だ。この男さえいなければ。

「猿比古に近づくな!」

下品な笑い声を上げ、愛しい弟の名をまるで玩具のように呼ぶ男の前に立ちふさがる。私が守らなければいけない。この男からあの子を守れるのは私しかいない。大きく腕を開いて、これ以上は行かせまいと目の前の男を強く睨みつけ、そこでようやくそいつは私を見た。

「ああ、お前いたのか」

本当に今気づいたといいたげな声。なんでいんの?と至極真面目な不思議がる声。ぐらりと世界が歪む。目の前が突然真っ暗になって、全身から力が抜けていく。振り向きもせずに隣を通っていく男を私は、もう止める気にもなれなかった。

私のなにが悪かったのだろう。私がなにをしたというのだろう。私のなにが普通とは違い、弟とは違ったのだろう。世界はなぜこんなにも無慈悲なのだろう。

誰も私を求めてくれない。だれも私を必要としてくれない。誰も私を楓と呼んでくれない。誰も私を見てくれない。

「わたしは、」

いったい、いつから姿を失ったのだろう。



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