▼ ホワイトデー
「買い物、付き合え」
始まりは唐突にやって来た伏見先輩のそんな言葉からだった。
ちょうど非番の日の朝、起きて朝食を食べ終えて食器を洗っていた時に伏見先輩がやって来て自室にやって来て出掛けることを提案ーーーー半ば強制してきた。突然のことに呆然としながら断る理由も見つからず、私は首を縦に振っていた。
まだ外は寒さが残っているけれど、だんだんと春がやって来るのを感じる暖かさが訪れていて、自然と私服も春物になる。白いブラウス、青のカーディガン、薄桃色のミニスカート。
お待たせしました、と自室を出れば行くぞと一言告げて歩き出す。日常茶飯事。その背中を追いかけて斜め後ろをついて歩くのも慣れきった光景。何か言いたげな瞳に一瞥されて横に並ぶのは、まだ少し恥ずかしく慣れない光景。
「えと、何を買うんですか?」
「大したモンじゃない。日用品とか、そういうの」
当然のことだけど、伏見先輩だって仕事しかしてないわけじゃない。よく私の部屋にやって来てご飯を食べることはあるけれど、確かに彼個人の生活がある。正直なところ、伏見先輩の日常生活はあまり想像がつかないのだけど。
特別なにか喋るようなこともなくひたすら街の中を歩く。休日だからか、人が多い。友人。家族連れ。カップル。ぼんやりと過ぎていく人々を眺めながらふと気づく。一般人から見て、私たちは何なのだろう。
休日の街中を二人で歩いて、これってデートなのではないだろうか。そこまで考えて顔が熱くなっていくことに気付いて慌てて頭を振る。違う。遊んでるわけじゃない。買い出しなんだ。デートじゃない。
でも伏見先輩の部屋着以外の私服なんてなかなか見れたものじゃない。伏見先輩はどう思っているんだろう。意識とか、しないんだろうか。
そう思ってチラリと顔色を窺うと目が合った。あっと思っている間に視線は外されたけど、なんだかずっと見られていたような気がしてきょとんとする。
「ど、どうかしたんですか?」
「別に。なんでもない」
なんでもないと言われてしまったらそれ以上追求することはできない。そうですか、と少し煮え切らない気持ちで無理やり納得させて、また前を向いて無言になる。気のせいだったのかもしれない。
周囲はガヤガヤと喧騒でうるさいのに私の周りだけは静かだった。だって、私も伏見先輩もお互い喋らないから。仕事をしてる時以上に沈黙が続いてる気がする。分からない。こういう時に限って、なにを喋ればいいか分からない。
他愛もない話をして声をかければいいのだろうか。でも、伏見先輩が楽しめそうな話って、なに。目をぐるぐる回しながら必死で考える。そんな私の目にふと入り込んできたそれ。思考を閉ざして、視線を奪われた。
「…ぁ、」
思わず声が漏れた。それほど近い距離にあったわけじゃない。だけど、どういうわけか私の瞳に飛び込んできたワンポイントの青を含んだ銀色。飾り気のない、だけどどこか上品で可愛らしいシルバーネックレスだった。
純粋に欲しいなと思った。ショッピングをする時に一目惚れして買ってしまうそれと同じ。謂わば、衝動買いの品。今度買いに来ようかな。でも次の休みまで残ってるかな。
「渚、これ買ってきて」
「え?」
銀色の世界から私を連れ戻したのは伏見先輩の声だった。ボーッとしていたから驚いて思わず肩を揺らす。なんの話ですか?と聞くこともできないでいれば、なにか書かれた紙切れを渡された。
「手分けして買った方が早いし。重いモノは頼まないから大丈夫だろ」
「は、はい。たぶん平気です」
「たぶんってなんだよ」
じゃあ、よろしく。返事を聞くより前に伏見先輩は私に背を向けて歩いて行ってしまう。声をかけようとしてもすぐに人混みの中に呑まれてしまって追いかけることもできない。しばらくすれば、先輩の姿は完全に見えなくなった。
ポツンと一人取り残されて、ふぅと溜め息を吐く。こんな中で立ち止まっていたら邪魔になる。動こう。もらった紙切れを見て、書かれているモノを手に入れるために私も歩き出す。
伏見先輩があらかじめ言っていたように重いものはなかった。薬局、雑貨屋に行けばあらかた手に入るもので、あまり時間をかけることもなく頼まれたモノを全て買えてしまった。
合流はどこですればいいのかな、なんて考えながら人混みをぶらぶらと歩く。だけど、周りを見渡して自分は今一人なんだと知る。友人。家族。恋人。
「あ、はは…なんか場違い、かな」
特に今日は恋人同士で出掛けてきてきる人たちが多いらしい。そんな中で私一人だけでいるのはどうにも居心地が悪い。ひとりぼっち。無性に孤独を感じて、寂しくなる。
いつからこんなに弱くなってしまったんだろう。どうしてこんなに脆くなってしまったんだろう。父さん。母さん。姉さん。誰も傍にいなくなった。だけど、伏見先輩がいたから。
だから、強くなった。だから、弱くなった。矛盾を抱えたまま歩き続ける。だけど、腕を強い力で掴まれて前に進めなくなって、ハッとして我に返る。
「なにフラフラしてんだ、お前」
「へ?あ、あれ…?」
晴れた視界に真っ先に入ったのは暗がりだ。どうやら私は知らず知らずのうちに路地裏に入ろうとしていたらしい。本当に、無意識に。
「ボーッとしてどこ行くつもりだったわけ?」
「ご、ごめんなさい」
どこへ行こうだなんて、そんなことは考えていなかった。だけど、きっと私は逃げようとしていたのだと思う。怖くて不安で、寂しくて。
そんな意味のない気持ちを紛らわそうとして、へらりと笑う。買い物は終わったんですか?私の方は頼まれたもの、全部揃えましたよ。わざといつもより明るい声を出して、そして遮られる。
「ふ、伏見先輩?」
「来い」
溜め息混じりにどこか呆れたような声色で強引に私の腕を引く。細くて白い腕はどう見ても体育会系のモノではないけれど、性別の違いと陰で鍛えられているせいで力は強い。
振り払うこともできずーーと言っても最初からそんなつもりもないのだがーー成されるがままに人の流れに逆らって歩く。歩く。歩く。目指す場所は、噴水広場。
「ッ伏見先輩…!か、帰りましょうよ…!」
ここ、嫌ですよ。周りを見ながら肩を竦める。幸せそうな二人組しかいない。そんな中に自分が紛れていることが恥ずかしい。
だけど、伏見先輩は私の声なんて聞こえていないかのようにその中に入っていく。失神しそうだ。むしろ失神できたらどれほど楽になれるだろう。そんな私の気持ちなんていざ知らず、伏見先輩は噴水の前で立ち止まる。
「座って」
「え、え…と?」
肩を掴まれて背中を向けるように半ば無理やり座らされる。こんなところで、いったいなにをするつもりなんだろう。ドキドキしながら緊張で身体を強張らせる。伏見先輩と一緒にいるのは安心するけれど、時々心臓に悪い。
「なんでそんな固くなってンだよ」
「ひっ!?み、耳元で喋らないでくださいッ。しかも後ろから…!」
「反応がいちいち初々しすぎる。ガキか」
ガキじゃありません!これでも二十歳目前の十代です!反論しようと思ったけれど首元にひんやりとしたものが触れて背筋が伸びる。なんとなく首が重くなったような気がして自然と視線が胸元に落ちた。
「これ…なんで…」
胸元に下がったそれを見て思わずそんな声が漏れた。さっき見たシルバーネックレスだった。でも、どうして。欲しいだなんて一言も言っていないし、もらう理由もどこにもーーーー
「一応、これで借りは返したから」
肘をつきながらそっぽを向いて、視線を合わせようとはしない。ぶっきらぼうに吐き出すようにそう言って、街中を歩く人々を眺める。
あっと思った。咄嗟に今日が2月15日だということに気付く。ホワイトデーだ。もしかして、だから私と一緒に外に出たのだろうか。
気を遣わせてごめんなさい、と言おうとして唇をつぐんだ。貰ってもいいんですかという言葉も飲み込んだ。どちらの言葉も望まれていない気がした。ネックレスを優しく握って顔を上げる。
「ありがとう、ございます…!すごく嬉しいです!」
まさかもらえるだなんて思ってもいなかったからすごく嬉しくかった。さすがに仕事中はつけてると危ないかな。でも肌身離さず持っていたい。
頭の中はそれだけだった。周りのことなんて考えもしなかった。私がそうしているうちに伏見先輩は身体を起こしていた。
不意に頬に手を寄せられて、言葉を発する前に唇に触れていた。柔らかい。惚けるほど短くて、優しかった。
「…帰るぞ」
こういうキスは先輩らしくないな、と思いながら唇に触れる。でも、嫌いじゃない。と言うより、好き。人前だからというのもあるけれど、なんだか守られているような気がして。
「渚、早く」
「は、はいっ!」
少し離れたところから急かされて慌てて立ち上がる。特に待ってくれるような素振りもないから小走りで駆け寄れば、自然と私の手にある荷物を持ってくれた。
それぐらい私にだって持てるんだけどな。手持ち無沙汰になってしまった自分の右手と横を並んで歩く伏見先輩の顔を見比べる。
「あの、先輩。手を繋いでも、いいですか?」
なんとなく右手が寂しくてそう聞いた。他意はない。強いて言うなら、なんとなく。伏見先輩はいちいち聞くなよ、と舌を打ったけれど、空いている方の左手を私に差し出した。
「ドーゾ、ご自由に」
差し出された手を取るのは恥ずかしくて、恐る恐る手を伸ばす。触れて握れば当たり前だけど握り返される。たったそれだけのことが嬉しかった。
「また一緒に出掛けましょうね」
「…気が向いたらな」
首にかけたシルバーネックレスが揺れる。帰り道はほとんど会話はなかったけれど、なぜか嫌な気はしなかった。
HappyWhiteday!!
20130314
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