Bon Séjour | ナノ


▼ 生誕

その日は珍しく早番だった。先輩方がまだパソコンの画面と睨み合いをしている中で私だけが上がるのもなんだか悪い気もしたが、今日の私はそんなことに気を取られてる場合ではないということを思い出し、早々に席を立った。

「お、天風も上がりか?良かったら飯でも…」
「すみません!今日は急いでいるのでまたいつか誘ってください!」

そう言いながらドアを蹴破るような勢いで部屋から飛び出した。なにやってんだアイツ、と言いたげな視線をいくつも受けたが気付かなかったことにする。もうどうとでもなれ。そして転けた。

「(いやぁ、相変わらずだな、天風も。和むわ)」
「(またいつか、っていつだ?普段は伏見さんと一緒にいるから敢えて今日を選んだのに…。これはつまり…ふられた、のか…?)」
「(馬鹿だろ。天風にアタックする時点で負けは決まってるだろ)」

痛い。スカートだから膝をものすごい勢いで擦ってしまった。でも、こんなところで立ち止まるわけにはいかない。震える膝を叱咤してなんとか立ち上がる。頑張るんだ、私。今日だけでいいから頑張るんだ!

本日は11月7日。季節も秋から冬に移り変わり、外も冷たい空気が立ち込め始めているこの日。実は私の上司である伏見先輩の誕生日だったりする。ちなみにそれを知ったのは今日の朝だった。

もっと早くから知っていれば何かサプライズのようなものが出来たかもしれない。でも、知ったのは今日。先輩方がそう言えばと話しているのを聞き、思わず手にしていた通信機を握りつぶしかけた。

「お、おい天風。なんかミシミシいってんぞ」
「何ですかそれ。聞いてませんよ」
「そ、そりゃあ初めて言ったし。ていうかお前、もしかして知らなかったのか?」

伏見先輩は基本的に無関心な人だ。だから私の誕生日だって聞いてこないし、それ以前に私に関する情報は一切聞いてこない。私のことなんか先輩にとってはどうでもいいことなのかもしれない。まあ、そのことは別にどうでもいいのだ。ただ、拙いことは伏見先輩の流れに乗せられて私が先輩の誕生日を確認していなかったことだった。

「…え?今日…伏見先輩…誕生日…え…?」
「ちょ、目が据わってんぞ!?こえーんだけど!」
「おーい天風、戻ってこーい」

伏見先輩にはいつもお世話になっている。ただ、普段いくら感謝しようがあの人は軽く受け流すのだ。やっぱり無関心。でも、誕生日とはその人を祝うためにある特別な日だ。これは絶好の機会なのでは?

ということで今日は伏見先輩の誕生日なので伏見先輩に感謝の意を尽くす何かをすることにした。といっても仕事もあるから事前準備というものは全く出来ていない。奇跡的に早番だったから良かったものの計画はほとんど立っていなかった。

「(でも伏見先輩が喜びそうなものって、なに)」

伏見先輩が喜んでいる姿…。だめだ、想像出来ない。仕事中もそればっかり考えて頭の中はぐるぐる状態。おかげで今日は五回ほど何もないところで転けている。これを先輩に見られていたら感づかれているのも同然だろう。でも今日は運がいいらしく、その現場に伏見先輩は居合わせていない。

分からないなぁ。私、伏見先輩のことあまり知らないんだなぁ。そんな現実に打ちのめされながら仕事をしていた時だった。たまたま傍に淡島副長がいたから聞いてしまったのだ。誕生日にもらって嬉しいものはなんですか?と。

「人それぞれだと思うけど万人に共通するなら料理じゃないかしら」

意外な答えが返ってきた。まさか淡島副長がちゃんと答えてくれるとは思わなかった。でも、それだと思った。料理。確かにそれならもらっても嫌ではないだろうし、考える側も悩まなくて済む。

そして冒頭に戻る。ズキズキと痛む膝を引きずりながら自室へと駆け込んだ。久しぶりに自炊でもしようと思っていたから冷蔵庫の中には食材がたくさん入っていた。これなら満足のいくものが作れる。

少しだけ安堵して心に余裕が出来ていた。なに作ろうかな。先輩はなに好きかな。そんなことを考えながら包丁を取り出して振り返り――――そのまま手にしていた包丁を床に落とした。

「…あぶねぇな。気をつけろよ」
「………え?」

ちょっと待とう。落ち着こう。状況がいまいち理解出来ない。ここは私の部屋のはずだ。そしてついさっき帰宅したはずだ。なのにどういうことだろう。どうして目の前に伏見先輩がいるのだろう。

「え、あの、伏見先輩、ですよね」
「他の誰に見えるって言いたいのか教えてもらおうか」
「嘘です!紛うことなく伏見先輩です!」

頭をがしりと掴まれたので冷や汗を流しながら即答する。伏見先輩だ。この人は伏見先輩だ。間違いない。でもそれならどうして伏見先輩が私の部屋に?というか、どうやって?

「淡島副長が天風が俺に料理を作るって張り切ってたって言ってきたから。あとドアは鍵かかってなかった」

そこですか、淡島副長。そこでボケますか。私ちゃんと誕生日は何が欲しいかって質問しましたよね。そこはご本人にバラしてはいけないのでは?まあ焦りすぎて鍵かけ忘れた私の言えることじゃないですね。というか正面突破とは、さすがです伏見先輩。

それにしても、これじゃあ計画破綻か。がっくりと肩を落として溜め息を吐く。そんな私を見て伏見先輩が眉間に皺を寄せたから慌てて両手を振る。違いますから!先輩は何も悪くないですから!

「今日は伏見先輩の誕生日だと聞いて…、料理でも作ろうかなって思ってたんですけど…」

途中から声は萎んでいった。少しはびっくりさせようと思ってたのに、こんな形でバレるなんて。ちらりと伏見先輩の顔を盗み見て顔色を窺う。なぜか伏見先輩は私のことを見ながらきょとんとしていた。そして思い出したように声を上げる。

「…そういや今日、俺の誕生日か」

そこですか、伏見先輩。そこでびっくりしちゃいますか。他人に無関心なのはともかく自分のことにはもっと執着してくださいよ。なんだかとても脱力してしまって悲しさなんてどこかに飛んでいってしまった。

「伏見先輩、今日でお幾つになられたんですか?」
「…19?」
「もう、どうして疑問形なんですか」
「忘れてた。…そうか、お前と同い年になったのか」

え、と声が漏れた。私と同い年って、どうして…。確かに私はもう19歳になっている。と言っても伏見先輩よりも数ヶ月早く産まれているというだけなんだけど。でも、どうして先輩が私なんかの情報を知っているんだろうか。

「お前がここに配属された時、調査書提出しただろ。あれに全部書いてあった」
「あ、そっか…。言われてみれば書いた記憶あります」
「だから俺は知ってる。お前が俺と同い年だってことも、誕生日が4月だってこともな」

ぽかーんとなってしまった。伏見先輩、私の誕生日知ってたんだ。それと同時に自分だけが先輩のことを知らなかったんだという後悔と罪悪感に襲われた。ちゃんと聞いておけば良かった。そうすれば、もっと何かしてあげられたかもしれないのに。

落ち込む私の頭に手が乗せられる。顔を上げれば伏見先輩が私のことを見下ろしていた。そしてそのまま私の頭を撫で―――てはくれずに頭の両脇を両手の拳でぐりぐりと挟み込んできた。

「ちょ、いたたた!?い、痛いですよ伏見先輩!」
「…るせぇ。お前が俺より先に誕生日を迎えるのはなんとなくムカつく。あと俺の誕生日知らなかったことも」
「ひ、ひどい!」

そんな理不尽なこと言わないでください!私だって毎日を必死に生きてるんですから!左右から頭を圧迫されてうまく思考回路が回らない。どうやってこの状態から抜け出せばいいか分からない。このままだと頭蓋骨が変形する気がする。

「す、すみませんでした!伏見先輩より先に産まれたことに関しては何とも言えませんけど、先輩の誕生日を知らないでいたことは謝りますから!」

だからもう勘弁してください、と音を上げる前に頭にかかっていた圧迫感が消えた。それから頭をぽんぽんと軽く撫でられる。その感覚がなんだか優しい感じがしてすぐには反応できなかった。

「本当に悪いと思ってんの?」
「っ、お、思ってます!今日だって先輩方から今日が伏見先輩の誕生日だって聞いて、いろいろと考えて…」

通信機を握りつぶしそうになったし何回も転けるし大変だったんですよ。さすがにそれは口に出さなかったけれど、でも申し訳ないという気持ちは本当だった。それは伏見先輩に伝わらないかもしれないけど、でも――――

「なら、飯作って」

頭上から聞こえてきた言葉にしばらく動けなくなった。今、なんて?顔を上げて先輩のことを見上げれば、伏見先輩は気怠げな声で腹減ったと呟いた。

「私の作る料理、食べてくれるんですか…?」

料理にはそれなりの自信があった。中高生の時は学園の寮で自炊をしていたし、カフェのバイトをしていた時期もある。だから、美味しいものを作れる自信はある。だけど、伏見先輩がそれを食べてくれるだなんて思っていなくて。

「…お前の作ったのが食いたいんだよ」

だから、そんな言葉をもらえるだなんて夢にも思っていなかった。呆然と突っ立ったままになってしまった私に落っこちた包丁を手渡してから、さっさとキッチンから離れていった先輩はそのままベッドの上に疲れた身体を投げ出していた。ああ、私のベッド…。

でも、嬉しかった。とても。自然とにやけてしまう口元を手で隠しながら笑う。やっぱり私って単純な奴だなぁ、と。それから、やっぱり私はこの人と一緒にいられて幸せだなぁ、と。

「伏見先輩」
「ん」
「お誕生日、おめでとうございます」
「…ああ」

この日、この時間が先輩にとって幸せなものになりますように。



Happy birthday猿比古
20121107





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