nowhere | ナノ


▼ 62

静かなところだった。屯所内はいろんな部署の隊員があっちこっちに動いていて騒がしく忙しない筈なのに、ここだけは違う気がする。同じ敷地内にあるのに、どういうわけかそこだけ切り取られて取り残されたような場所。

なんとなく足音を立てるのが躊躇われて静かに足を踏み入れた。窓の外から入ってくる風が白いカーテンを揺らしている。外には運動場が見えた。今は訓練の時間ではないから誰もいない。そのことも加わって嫌か、に静かだ。

入ったことのない場所だから、なにがあるのか分からない。物音一つしなくて仕事柄上警戒心を強めた。ついさっき勝手にデータペースに侵入したが、その時と同じくらい胸のあたりがドキドキした。誰もいないのだろうか。

「なにか用か?」
「うっ!」

突然、後ろから声をかけられて変な声が上がる。慌てて振り返れば体格のいい制服を身につけた男がいた。びっくりした。警戒していたつもりなのに、全然気配に気づかなかった。

バクバクと激しい鼓動を繰り返す心臓を抑え付けて息を吐き出す。落ち着け。この人は敵じゃない。そう言い聞かせながら自分よりも背の高い彼を見上げて口を開く。

「少し調べ物を…」
「ほう、珍しいですね。わざわざこんな陳腐な場所を選ぶだなんて」

確かに、調べ物くらいならパソコンから入ればいくらでもできる。普通の案件であれば。ただ、今回の件は例外だ。公にされていない機密。どう説明しようかと頭をフル回転させた。だが、目の前に立つ巨漢は動揺した私を見越したように重たそうな口を開く。

「手伝いますよ。この中から一人で探し出すのは大変だ」
「えっ、本当ですか?ありがとうございます」
「いえ。それで調べ物とは、いったいなにを?」

特に疑われている様子もなく簡単に受け入れられたことに少し驚きはしたものの、追求されないのであればそれに越したことはないだろう。簡単な説明だけして、中身は私だけで確認すればいい。

「大したことではないんです。とある警官のことで…」
「警官ですか」

それはまた珍しい。彼はさして声色を変えることなく言葉を繰り返す。なんだか雰囲気が固いと言えばいいのか、誤魔化すことが難しい。ですよね、と私も曖昧に笑みを浮かべて部屋をぐるりと見渡した。

「…しばらく前に殉死した天風という警官のことを、少し」

何気なく言った言葉だった。名前を出したところでこの人が知っているとも思えなかったし、特別気にされることもないと思っていた。だけど、私の予想は思わぬ形で外れたらしい。

「まさか、貴女は天風警部補のご子息か?」
「っ、ち、父を知ってるんですか!?」

彼の口から父親の名前が出てくるとは思わなくて、思わず焦りの混じった声が出る。なんで、この人が。驚いたのは私だけではなく彼も同じだったらしい。瞳を大きくさせて、観察するように私のことを見ていた。

しばらく彼は考え込むようにジッと私を爪先から頭のてっぺんまで眺めた。けれど、なにかに納得したように目を伏せ、ふむと小さく唸る。再び開かれた瞳は真っ直ぐに私を映し出していた。

「名乗り遅れた。私は善条剛毅という者だ」
「天風渚です。はじめまして」

身体を固くしながら頭を下げれば、畏まらなくて結構と彼、善条さんは首を横に振った。その言葉に頭を上げれば彼は先ほどよりも幾分か柔らかい雰囲気をまとって、どうぞと私を部屋の奥に案内した。

「彼とは面識がある。とても、優秀な人だった」
「あ、ありがとうございます」

案内されたスペースには何人かが腰掛けられるくらいのテーブルと椅子があった。座ってください、と言われて断る理由もなく腰を下ろせば善条さんは自分が父さんと知り合いだということを隠す様子もなく明かした。

一瞬だけ、この人のことを疑った。まさか、この人が父さんのことを盾にした人間なんじゃないかと。だけど、それにしては落ち着きすぎている気がする。本人なら、もっと取り乱してもいい筈なのに。

警戒を緩めることはない。だけど、今頼れる人がこの人しかいないというのも事実だ。宗像室長も知らない。データベースにもない。なら、父の知り合いだというこの人に聞くのが手っ取り早く、なによりそれしか方法がなかった。

「よく見れば、目元が似ている。君は父親似ですか」
「あ、いえ、私は母親似らしいです」

と言っても母親の顔も知らないからなんとも言えないのだけれど。自分で言っておきながら、なんとなく気分が重くなる。けれど、善条さんは、なるほど通りで気づかなかったわけだと苦笑した。

善条さんは座らない。座らず、なにかを探すように棚の中を右腕のみで漁っている。だから、私には彼のがっしりとした大きな背中を眺めていることしかできない。

どうして、あんな強そうな人がこんなところにいるんだろう。特務隊にいてもおかしくない筈なのに。もしかして、そこにない片腕が原因なのかなとかどうでもいいことを考える。そんな私を振り返ることなく、善条さんは私に向かって言葉を並べた。

「やんちゃと言えばいいのか、活発と言えばいいのか、共にいると賑やかな人だった」

誰がなんて聞く必要もない。父のことだろう。確かに、私もあの人が明るい人だったことは記憶している。職場でもそうだったのか。私の知らない父の姿を聞かせれ思わず、へぇと嘆息した。

「まだ、前任の青の王の時代だ。あの頃は、今のような特務隊はなかった」

正直なことを言うと、セプター4が過去にどんな組織でどんなことをしていたのかとか、全くと言っていいほど知らなかった。知る必要がないと思ったからだ。

「私と彼がが出会ったのは偶然です。本当に偶々、現場が同じだった」
「セプター4が向かう現場ですから、ストレイン関係ですね」

善条さんは頷き、父はその事件の事後収集に来ていて、その時に出会ったのだと明かした。それから善条さんは続ける。彼は面白い人物だったと。力を持たない身でありながら、それこそ最前線に立とうとする正義感溢れる警官の鏡のような人物だったと。

それが私に気を使ってのお世辞だったのか、それとも本当にそんな無鉄砲な人だったのか。どちらなのかは分からなかったが、なんとなく恥ずかしい気分になる。嘘であれ本当であれ、そんな父のことが誇らしかった。

生きてる時は家になかなか帰ってこない父親としか認識できなかった。情けないことに死んでからようやく私は価値に気付いた。父は誰よりも強くてかっこよかった。幼い娘が父に抱くような夢が未だに私の中にあるのは、死んだ今それを証明できるモノがなにもないからかもしれない。

「貴女は彼の死の真相を知りたくてここに来た。それで正しいですね?」
「はい。そうです」

やはり私にとって警官という職務を全うした父は正義なのだ。たとえそこにどれだけの偽善があったとしても、正義の裏に許されない悪を働いていたとしても。だから、そんな唯一無二の父親を奪った人間が、事象が許せないのだ。

「私は真実を知っている。むしろ、当事者だ。だが、真実を知ったところで貴女が幸せになれるとは到底思えない」

おそらく、貴女の考えていること、信じていることは全て否定される。そう言って振り返った善条さんは一冊のファイルを手にしていた。ああ、あれだ。あれを見れば全てを知ることができる。全てを諦めることができる。

「それでも、知りたいですか?」

それは希望でもあり、絶望でもあった。ここまで来たにも関わらず、真実を知ることが私は怖かった。もし本当に父がセプター4に殺されたのだとしたら。あれだけ宗像室長に啖呵を切っておきながら、そうなった後に私がどういった行動に出るのか。それがサッパリ分からなかった。

でも、今ここでそれを手に取らなければ二度と機会は訪れないだろう。二度と父の死の真実を知れないだろう。そして、二度と姉と向き合える時はこないだろう。

もう飽きたよ。一人置いていかれるのは。ぐっと拳を握りしめる。いい加減今の自分を変えたかった。こうして何も知らないまま自分が悪いのだと納得しようとしている自分を。一番楽な方に逃げようとしている自分を。

心の奥底で自分以外の連中が悪いんだと悪態を吐き出している自分が、偽善者の塊が、それを偽善者だと思ってる偽善者の自分が、この繰り返しがそれの元凶である天風渚という人間の根本概念が、ひっくり返したいぐらい嫌いだった。

「私は元々、父のようになりたくてここに来ました。でも、今は違います。私は強くなりたい」

誰にも馬鹿にされないくらい。それを笑って受け止めないでいいくらい。その裏で泣きながら誰かを馬鹿にしないで済むくらい。弱くて醜い自分を捨て去って、強くて綺麗な人間になりたい。

もう、捨てられたくなかった。両手で顔を覆う。思い出すだけでも涙が出そうになる。二度と、あんな虚無感で悲しむことも怒ることもできなくなるような気持ちを味わいたくない。

「こんな言い方は娘として最低だと思いますけど、私は父を踏み台にしたいんです。父のやってきたこと、犠牲にしたこと、そして死んだこと」
「死を踏み台にするのは惨い」
「じゃあ、あの人はなんの為に死んだんですか。悲しまれる為だけに死んだんですか」

顔から両手を離して、普通の女の子のように綺麗ではない手のひらを見つめる。まだ、二十も生きていない私には死は遠い。だけど両親を亡くして危険な職場に就いて戦って殺されそうになって、それが日常の私は常人よりは何倍も死を理解している。

どれだけ死が恐ろしいのか、悔しいのか、そして尊いのか。まだ長く生きてはいないけど、これだけは断言できる。私たちは死んだ人間を死んだの一言で済ませてはいけない。

「悲しんで悲しんで無いものに縋り続けて、あの人を返してと泣いたところで返ってこないものは返ってこないのなら使ってやるべきです。その死を」
「なら君は私が父親を殺したと言ったら私を恨まずに過ごすと言うんですか」
「恨みますよ。恨んで善条さんに復讐しに行きます」

それこそ踏み台にするってことじゃないですか。善条さんが父を殺して、私は善条さんを恨んで復讐する為に強くなる。その時点で私は父の死を自分が強くなる為の踏み台にしている。なんの矛盾も、不思議も無い。

それでも、善条さんは納得していない顔をしていた。この人も正義感に満ち溢れた人だったんだと思う。だから、こんなに大切な人の死をモノのように扱うことが許せない。それは、死ぬことがなによりも恐ろしいと思っているから。

「善条さん、死ぬことが怖いですか?」
「人間ならば、当然」
「じゃあ、生きることは怖いですか?」

善条さんが口を噤んだのを見て私も頷く。ちゃんと考えたことがないですよ、そんなこと。生きるなんて、死ぬことよりも当然だから。

「人が生まれてから死ぬまでをジンセイって言いますけど、漢字で書くとどうなりますか?」
「…人生。人の一生と記す」
「そう、人が生きる。じゃあ、なんで人が死ぬじゃないんですか?」

人が死ぬまでのことを人生というのに、どうして人死ではないのか。それでも意味上ではなんの不思議はないのに。

嬉しくて悲しくて楽しくて辛くて、そんな色とりどりな人生を恐ろしかったと言う人はきっといない。美しかったと、そう言うだろう。

死ぬことがそんなに怖いですか。生きることがそんなに怖くなくて、当然のことですか。生と死は表裏一体の筈なのに、どうしてこんなに価値観が違うんですか。

「生きるって死んでいくってことでしょう?」
「………」
「死ぬって、生きたってことじゃないですか」

人の生きた証である死を踏み越えて、それを受け継いで次に伝えていくことが人の歴史じゃないんですか。私は人の死をいつまでも背負って、死んだ人を引きずって地面に擦り付けている方が惨いと思いますけど。

そう言い切ってから心臓の鼓動が普段の倍くらい早くなっていることに気付いた。唇も震えていた。興奮していたのだろうか。でも、それに気付いてしまった今、その興奮は冷めてしまったということだ。善条さんの目を見るのが怖くて、床に視線を落とす。

「少し、驚いている。彼の子どもが君のようなーーーいや、彼の子だからこそかもしれない」
「…実は、こういうこと口にするのは初めてです」

こんな抽象的なこと話すの恥ずかしい。頬が熱くなっていくのを感じながら、でもどこかスッキリとした気分の自分がいることも実感していた。こんな風に喋っていたらこんなに気持ちいいんだろうか。でも、絶対先輩たちに頭おかしくなったと思われる。

床と爪先を映していた視界の中にファイルが入り込む。これは、さっきの。思わず顔を上げれば、善条さんがそのファイルを私に向かって差し出していた。しばらく動けずにいれば、善条さんは押し付けるように私にファイルを渡した。

「そこに事のあらましが全て記載されている。好きに見るといい」
「あ、ありがとうございます!」

ファイルは軽かった。数枚の資料しか入っていないからだろう。ファイル名は『一◯二二、立て籠もり事件』。十月二十二日。あの電話がかかってきた日付だ。父が死んだ日だ。

目を閉じて大きな息を吐き出した。遅くなってごめん、父さん。瞼を上げて乾いた唇を軽く舐める。やっと追いついたよ、姉さん。ゴクリと生唾を飲み込んで表紙を開いた。

ストレインが少女を人質に建物に立てこもる事件が発生。蓋然性偏差、レベル三、五と確認し、マル脳と想定。特異現象と認定、出動要請が下る。

状況の把握が難しく、人質の状態も不明のまま数時間が経過。まだ幼い子どもにとって長時間の監禁は身体的にも精神的にも衰弱させると考え、突入を検討。実施を決定する。

地元交番勤務の天風巡査が実地に到着。被疑者と通話交渉を提案したが当人が訓練教育を受けていない、また専門的知識、技能を有している警察官でないことから実行は容認されなかったが、一部の隊員と巡査が強行。

交渉は成功し、犯人は投降したと見られたが抵抗に及ぶ。能力は対象物の飛来。

人質の少女は無事に救出される。隊員の中には軽傷を負う者はいたものの被害の規模は最小限で留めることに終わる。

しかし、天風巡査は羽張迅室長を庇い殉死。ほぼ即死と思われ、解剖の結果圧迫による内臓破裂と診断される。天風巡査の献身的な偉業を称え、階級を警部補に引き上げる。

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