▼ 61
そろり、と室内に忍び込んでパソコンを立ち上げる。誰にも気づかれないようにとわざと部屋の電気を消したせいで画面が異様に明るい。独特の明るさに思わず目を細めた。
早く用を済ませないと。気分は最悪だった。まるで泥棒だった。いや、まるで、ではないのかもしれない。コソコソと勝手なことをして、これじゃあ本物の泥棒だろう。でも、今更やめるわけにもいかず、緊張と焦りとで手のひらはじっとりしていた。
キーボードに指を走らせて特定の単語を打ち込んでいく。検索。該当ナシ。また別の文字を入れて検索。該当ナシ。これの繰り返し。
そう簡単に出てこないだろうということは勘付いてはいた。公にされているならとっくの昔に知っていたはずだから。知らないということは少なくとも一般には隠されている。
そりゃそうだ。だって、無関係の内部の人間を一人利用した挙句、殺したのかもしれないのだから。
所謂、極秘情報なのだとしたら。そんな情報を許可なく見つけ出そうとしているんだから、これはれっきとした規則違反だろう。許されることじゃない。私自身、少なからず罪悪感はある。
「もし誰かにバレたら…」
「バレバレですよ」
物理的に首を切られるかもしれない。聞こえてきた声のせいで言葉は最後まで続かなかった。
固まった。背筋が痛いほど伸びた。息がし辛くなった。視線があっちこっちに泳いだ。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
まさかこんなに早く見つかるとは思っていなかったし、なにより相手が相手。最悪だ。都合のいい言い訳も見つからない。本当に首が飛ぶかもしれない、と半ば諦めながら固くなった身体を無理やり動かして振り返る。
「い、いつからそこに…」
「しばらく前から。必死になって何か探していたようなので、邪魔をするのは悪いかと」
正直な話、他の隊員になら言い訳ができたし誤魔化すこともできた。でも、相手が宗像室長なら話は別だ。逃げることは無理だ。そう断言できる。
でも、逆に相手が相手なだけに簡単に諦めがついた。心のどこかではこうなることを予想していた。たとえ他の人間を騙せたとしても、私にはこの人を騙し通すことなんてできやしない。
「安心してください。口外するつもりはありませんよ」
そして、理解することもできない。室長でもあろう人が、私がここにいることを許可するんですか。なんの為に。得することなんて少しもない筈なのに。
「なにを調べているのか、宗像室長なら知っているんじゃないですか?」
規則違反を黙認したところで宗像室長になんの利益があるのか。そんなことは知らない。でも、それができるのは私がなにをするのか全部お見通しだからだろう。
なら、知っているのかもしれない。私の知りたいこと、隠されたこと、その全てを。
「室長はなにか知ってるんじゃないんですか?」
「私はなにも知りません」
思わず反応に困るぐらい即答だった。キッパリと否定された。一瞬、固めた決意が揺らいだが踏みとどまる。
「そ、そんなの簡単に信じられるわけ…」
「君が信じるかどうかは別として、私は知りません」
意外だった。この人にも知らないことはあるのかと。私の中では宗像室長は完全無欠の王なのだ。なにもかも知り尽くし、盤上に駒を配置し、それを巧みに操り確実にキングの首をとる。そんな印象。そんな錯覚。
きっと、その時点で私はすでにこの人のことを同種だとは思えていなかった。同等だと、常人だと、人間だと思えていなかった。
「恥ずかしながら、私が王になったのは極最近のことですからね」
ハッとした。私は今なにを考えた?過去に私も、先輩たちも、副長も室長も同じ人間だと言った私は今なにを考えた?私は人間。だけど、王は化け物だと、そう考えなかったと言えるのか?
元は人間だった。けれど、今はーーーー居心地の悪さに目をそらした。気持ち悪かった。最低だと言う自分がいる。なにを今さらと言う自分もいる。それがどうしようもなく気持ち悪い。
どちらかと言えればいいのにそれができない。中途半端だ。気持ち悪い、と内心悪態を吐けば宗像室長は笑った。いい顔つきになってきましたね、と。
「顔つき…?」
「庶務課の資料室に行ってみてはいかがですか?」
先に言われた言葉の意味が分からなくて咄嗟に反応ができなかった。いい顔つき?庶務課?資料室?分節化された単語が入り混じってわけが分からなくなる。
そういえば庶務課に資料室があったっけ。たしか、書庫みたいな場所。入ったことはないけれど、過去の情報もあると聞いた。そこなら、もしかすると。
「そこの主がいます。彼に聞いてみるとなにか分かるかもしれませんよ」
舞い込んできた期待に私はすぐに不可解に思えた宗像室長の言葉を頭の隅に追いやっていた。優先順位のベクトルは事の真相に向けられていたから。だけど、それと同時に別の疑問を浮上する。
「なんで、そんなことを私に教えたりするんですか?」
「なぜ、とは」
「真偽を確かめたら私がセプター4に怨みを持つ可能性があるんですよ?それなのに、なんでわざわざ?」
言い終えてから後悔する。自分でそんなことを言ってどうするのだろう。これじゃあ恨む前提でいるみたいだ。しかも、それを室長の前で公言するなんて。
本当に首が飛ぶかもしれない。そうなったらどうやって逃げよう。そんなどうでもいいことをぼんやりと考えていれば宗像室長は私の肩に自身の手を置いた。
「君は必要な人材ですから」
なんて頓珍漢な言葉だろう。なんて答えらしくない答えだろう。今までのいざこざを踏まえれば素直に喜べない。また利用するつもりだろうか。
「だからこそ、全てを知ってまたここに戻ってきてもらわなければ困るんです」
ただ、宗像室長の声色は真剣だったし、目だって決して笑ってはいなかった。やっぱり理解できない。
「私は王にとってただの配下で、替えなんていくらでも利く手駒でしょう」
最近の私は宗像室長に反発し、挑発してばかりな気がする。反抗期かもしれない。でも、そんな私を見て宗像室長はまたこう言うのだ。いい顔つきだ、と。
「君はルークでもビショップでも、ナイトでもなければポーンでもありませんよ」
チェスの駒の種類だろうか。詳しいことを知らないから何とも言えないけれも、なら私はいったいなんだって言うんだ。駒ですらないと言うのか。
煮え切らない気分になりながらもパソコンの電源を落とす。もうここに用はなかった。振り返れば、レンズの向こう側の切れ目と目が合った。
「…戻ってくるなんて、分からないじゃないですか」
「ああ、そうでしたね。これは失礼」
私はどんな真相であれ、天風君が戻ってくることを信じています。微笑みと同時に口にされた言葉は、さながら模範回答だと思った。トップとも言える上司にこんなことを言われたらさぞ嬉しいことだろう。けれど、今はどうにもそんな気分ではない。
一礼してから部屋を出た。相変わらず膝が震えていた。そんな根性のない自分自身を叱咤し、息を吐き出してから人気の少ない廊下を足早に駆け抜けた。
やれやれ、と資料室で王が一人呆れたように嘆息していたことなんて知る由もなく。
「ここを失った君に、帰る場所などないでしょう」
prev / next