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▼ 58

ふと意識が浮上した時、それまで感じていた筈の温かさがそこにはなかった。どこにもなかった。それがとても怖くて、悲しくて、寂しかった。だから、必死になって手を伸ばした。置いていかないで、と。

意識がスッと浮上して、瞼を上げる。伸ばした手は虚空を掴んでいた。ああ、捕まえられなかった。薄暗い、カーテンの隙間から僅かに夕日が射し込むだけの無機質な空間。なんの音もしなかった。

力が抜けて、シーツの腕に伸ばした腕を放り出す。そのまま、ジッと天井を見上げ、見つめる。今の私に何かを考えるという行為は無駄なことだった。

肌寒い。伏見先輩はいない。どこかにいってしまった。どこだろう。私はどうしたのだろう。最後に何をしたか。何を言ったか。何を感じ何を知ったか。伏見先輩はどうしたのだろう。

思考回路は連結しない。バラバラになった断片が適当に繋がるだけ。今まで当たら前のようにやっていた作業が億劫で、難しい。

ぼんやりと天井を見上げていた瞳から、なにをしたわけでもないのに涙が零れた。突然。なぜか。たった一筋だけ。

そのまま拭うこともせずに流すがままに放置した。別にどうだってよかった。自分がどうして泣いているかなんて、そんなの分かりきっていた。

顔を横に向けると機械的な光が目に留まる。タンマツが光っていた。誰かから連絡がきていたらしい。画面を見れば、新着メールが一件。

「気分が落ち着いたら屯所前まで来なさい」

一瞬、思考が停止して次の瞬間飛び起きる。着信時は、一時間ほど前。送信元は、淡島副長。気づいた時には顔を洗って、着替えていた。

なんで淡島副長が?こんな時間に私を呼び出して、いったいなんの用が…。最初はそう思ったけれど、なんとなく予想がついた。

昨日のことだ。絶対そうだ。だって、淡島副長もあの場所にいたし。ああ、どうしよう。なに言われるんだろう。

痛くなってきたお腹頭を抱えながらヒールを引っ掛けて外に出る。外はオレンジ色だ。そして、虚しいくらいに静かだった。

「お、お待たせしました。遅くなってしまってすみません」
「私も今来たところよ。気にしないで」

一時間も前に連絡をしてきたのに?本当はずっと前からいたのではないだろうか。でも、それを聞くのは野暮な気がして、もう一度頭を下げるだけに留まる。

それにしてもこの人、本当に淡島副長だろうか。別人すぎる。

「畏まる必要はないわ。今日は私が付き合わせているんだから、無礼講だと思いなさい」
「は、はあ」

そんなことを言われても。無礼講というか、それ以前にこの人と淡島副長が同一人物だとは思えなくて、どういう対応をすればいいか分からなかった。

女って化けるものだなぁ。歩き出した淡島副長の後ろを追う形で歩きながら他人事のように考える。一応、私も女だけど、こんな風にはなれそうにない。

メリハリというのだろうか。オンとオフがハッキリしていて、同じ人間でありながら二つの側面を持つことができる。そんなの、凡人には難しくてできるわけがない。

だから、淡島副長はすごい。仕事の時は男よりも強く、気丈で、現場の指揮を取る指揮官なのに、プライベートでは美人でかわいい普通の女の人。それが純粋に羨ましかった。

私も同じ人間で、女で、青のクランズマンなのに、どうしてこうも違うのだろう。差があるのだろう。人知れず落胆の溜め息を零し、人気の少なくなってきた街を歩いた。

「あの、今日は何をするつもりで?」
「付いてくれば分かる」

予想はついていたけれど、一応聞いてみれば振り返ることなく告げられた言葉に視線を落とした。やっぱり。証拠なんてどこにもないけれど、私はこれから起こることを確信していた。

きっと、話を聞きやすいところに連れて行かれるんだろう。そこで、いろいろと聞かれるんだろう。あの時のこと。姉さんのこと。それが分かっていたからこそ、私には拒否権なんてないと思った。私にとってはなんの利益もない。

「貴女が知りたいと思っていたこと。すべて包み隠さず知れるわ」

だからこそ、淡島副長の言葉の意図が読み取れなかった。それは、どういうことですか。私が、知ることができる?そんなの矛盾してるじゃないですか。

私はてっきりその逆だと思っていたから。私は聞き出されるだけの立場で、なにも得られない。そう思い込んでいたから、淡島副長の言葉と行動が矛盾しているものだと決め込んだ。

歩いている時も電車に乗った時も、道中、淡島副長は口を開かなかった。説明もなく私のことを引き連れて、ただただどこかへと向かっていた。

どこへ、なんて知らない。知る筈もない。なのに、辿り着いたその場所を私は知っていた。

「こ、こは…」
「何をしてるの?入りましょう」

忘れたくたって、忘れるわけがなかった。いい意味でも、悪い意味でも。店の前で足を止めた私に気づいた淡島副長は振り返り、当然のように私を促した。

知っている筈なのに、分かっている筈なのに、なのにどうしてこの人は私をここへ連れてきた?入れるわけがない。だって、ここは。ここには。

「天風、来なさい。真実を知りたくないの?」

淡島副長の声は仕事の時のそれに似ていた。立ち竦んで動けなくなった私を叱咤するように、有無を言わさぬ口調で急かす。

これは、あくまでプライベートだ。仕事じゃない。私には嫌ですと首を横に振ることのできる権利がある。でも、そうしなかったのは淡島副長に逆らうのが怖かったからか、それともーーーー

「開店前だけど、いいかしら?」

店内には当然のことながら客はいなかった。いたのは、このバーのマスターだけだった。

住人を無くした室内は酷く殺風景で、酷く物寂しい。足りなかった。客云々の話ではなく、どうしても、一人足りない。いなければならなかった筈の人間が、もういない。

「こないなベッピンさんに頼まれたら断れんなぁ。ご注文は?セプター4の淡島世理副長?」

それから、と私に顔を向けたその人の顔に驚きの色はなかった。ただ、懐かしそうに、嬉しそうに、それでいてどこか悲しそうに笑っていた。

「いらっしゃい。久しぶりやな、渚ちゃん」
「草薙さん…」


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