nowhere | ナノ


▼ 49



「よー、天風。ンだよ、そんな思いつめた顔して。なんかあったかー?」
「日高先輩…。いえ、何でもないです」

デスクに向かって液晶を睨みつけていれば大丈夫かとかけられた声。声の主を探せば、いつの間にか隣に日高先輩が椅子ごと移動してきていた。

仕事しなくていいんですか、と聞こうとしてデジャヴを感じた。前にもあったな、この感じ。フゥと一息吐いて日高先輩に向き直る。先輩は椅子の背もたれに腕を乗せて首を傾げる。

「もしかしてアレか?淡島副長に言われたこと、まだ気にしてんのか?あんなの日常茶飯事だっての。俺も新人だった時はさぁ」
「いえ、そのことに関してはもう、あまり考えていないというか…」

事実だし、それはもう過ぎたことだし。ああいう風に言われたからと言って淡島副長の態度が変わったという訳でもない。それなら、今さら考えるだけ無駄だろう。

「じゃあ、なんだよ。あ、腹でも痛いのか」
「違いますよ!身体は健康そのものです!」

素っ頓狂なことを言われて否定する。それから、声が大きすぎたのに気付いて縮こまる。あくまで今は勤務中だ。他の隊員に迷惑がかからないようにしないと。

そんな私を見て日高先輩はあっと何か思いついたようで、それから急にニヤニヤし始める。

「あー、なるほどなぁ」
「な、なんですか…?」
「伏見さんか」

言葉の矢がグサッと心臓部に突き刺さる。痛いというか、苦しい。締め付けられているみたいに。図星を突かれて黙り込んだ私とは対照的に日高先輩はゲラゲラと笑い出す。

「最近、あの人単独行動が目立つからなぁ。そろそろ副長からお咎め入るんじゃね?」

きっと先輩は冗談混じりに言ったつもりなんだろうけど、それはそれでいいかもしれないなんて思ったりして。ああ、最低。

気にしないって思うようにしたけれど、やっぱり気になってしまう。だって、今まではそういうことがなかったから。

急に何かを見つけたように一人でフラッといなくなってしまう。追いかけて追いかけて、もう戻ってこないんじゃないだろうか。そうなったら、私は取り残されてしまうのだろうか。

考え出すと結末が見えない。怖いから奥の方にしまい込んでいたけれど、しばらくすると見えないフリをすることもできなくなって、いろんな感情が混ざり合う。

「悪かったよ、馬鹿にしたようなこと言って。だから、そんな泣きそうな顔するなって。な?」
「な、泣いてないですよ…!」

まるで小さな子供を慰めるように頭をくしゃくしゃと撫でられて顔が赤くなった。やめてくださいと慌てればケラケラと笑う。馬鹿にしたような笑いじゃない、楽しそうな笑顔。

日高先輩と付き合っている人は楽しくて、幸せそうだな。不安になったりしなさそう。ほんの少しだけ羨ましく思えた。

「まあ、気持ちは分からなくもねーよ。今までいつでもどこでも傍にいたのに急にいなくなって一人で勝手やってるわけだろ?何してるかわかんねぇし」
「その言い方だとまるで伏見先輩がやましいことをしてるみたいです」
「だって、本当にそうかもしれないじゃねぇか」

え、と半開きになった唇から掠れた声が出る。でも、それ以上は続かない。まさか、そんな筈は。だって、伏見先輩は。そんなことするわけ、ない。

そんな自信はどこから来るの?根拠はどこにあるの?誰かがそう囁く。違う違う。だって、私は信じてるから。

「なーんてな。冗談だよ、じょうだん。間に受けんなっつーの!」

ごめんな、とまた慰めるように肩を叩かれる。その時だった。ポケットの中に入れておいたタンマツが急に震え出して身体ごと飛び上がった。

恐る恐る取り出したタンマツは通話を促していた。ディスプレイに表示された名前はさっきまで話していた中心人物。どうしてこんなにタイミングがいいのだろうと頭が痛くなる。

見れば日高先輩は椅子の背もたれから頭半分覗かせて、グッと親指を立てていた。応援されているらしい。私も私で固唾を飲んでからタンマツに指を滑らせた。

「も、もしもし?伏見先輩ですか?」
『俺以外に誰がいるんだよ』

一瞬だけ出てきた答えを頭の隅に追いやって、そうですねとだけ返す。笑い事を言えるほど、冷静じゃなかった。内心なにを言われるか気が気でなかった。

『売人の隠し倉庫を見つけた。副長に報告して後始末しろ』

だから、仕事のことが伏見先輩の口から出てきた時、心底安堵した。恐れていたことは言われなかった。何も心配する必要なんてなかった。

だけど、それと同時にどうして私を連れて行ってくれなかったのかとも思った。私が弱いから?足手まといだから?だから私を連れて行ってくれなかったのだろうか。

悔しい。自分の無力さがいけないことは重々承知してる。だけど、納得できない。気に入らない。それならそうと言って行ってくれればいいのに。

私が傷つかないようにするため。伏見先輩はそんな優しさを向けるような人ではない。それを知っているからこそ、腹立たしくて、もしかしてと疑念を抱いてしまう。

「…了解です。すぐに報告します。お疲れ様でした」
『おい、渚』

早く通話を終わらせたかった。これ以上、機械越しの声を聞くのが嫌だった。このままだと、感情をそのままぶつけてしまいそうだったから。

『お前、泣いてる?』

だから、名前を呼ばないでほしい。だから、見透かさないでほしい。だから、それ以上私のことを振り回さないでほしい。

「…泣いてませんよ」
『いや、泣いてるだろ。なんか声震えて、』
「泣いてませんッどこにそんな理由があるんですか?私のことはどうでもいいから早く帰投してくださいッ!」

それはもう叩きつけるような勢いで通話を切る。固定電話であればすごい音がしただろうけど、タンマツはそうじゃない。ただ、こっち側とあっち側の音を無情に切断するだけ。

パッタリと聞こえなくなった電子音と声。必死になっているのは、気にしているのは私だけなのか。何か事情があるなら、言ってくれないと分からないのに。

伏見先輩はいつだってそうだ。何も言わない。察してあげられればいいのかもしれないけれど私はそんな器用じゃない。いつの間にか助けられて、いつの間にか守られて。

そして、いつの日かいつの間にか突き放され、拒絶されるのかもしれない。

ジワリと視界が歪み、ゴシゴシと袖で目を擦ってぐるりと隣に首を回す。ポカーンとしている日高先輩とバチリと目があった。

「…泣いて、ませんから」
「お、おう。そうだな。天風は泣いてない、うん」

どっちが悪いのだろう。隠し事をしている伏見先輩か、それとも何も聞けずに八つ当たりする私か。

「日高先輩」
「おう?」
「恋って、こんなに辛いものなんですね」

こんな風に悩んだこと、一度もなかった。怒ったことも、悲しんだこともなかった。もしかすると、今まで本気で恋をしたことがなかったかもしれない。

「そうだなぁ。伏見さんの場合、いろいろあるから尚更そう思うのかもな」

それがいいことなのか、悪いことなのか。どちらとも取れるのだと思う。伏見先輩のこと、好きにならなければこんなに悩むこともなかったのだろうか。

だけど、伏見先輩を好きにならなければ良かった。そう思うことはどうしてもできない。だからこそ、やるせなくてーーーー

目頭が熱くなる。歯を食いしばってそれに耐える。日高先輩の手がまた私の頭をぽんぽんと軽く叩いて、それがまた優しくて悲しくて唇を噛んだ。



prev / next

[ back to top ]



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -