nowhere | ナノ


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「よし、この一件はこれで片付いたな。おつかれー」
「お、お疲れ様でした!」

昼間の都心は人が絶えず行き交う。そんな中で青い制服は少し目立ち、少ながらず周囲の視線を集めるものの環境に慣れきった神経はそんなことをほとんど気にすることがなくなっていた。それは自分が特務隊の立場に馴染んできていることの証なのかもしれない。

「しっかし俺が天風の面倒見る日がやって来ようとはなぁ。初めてだよな、俺と組むの」
「は、はい。私は屯所でバックアップすることが多かったので」
「でも、最近は前線に出てくるようになって、しかも俺と組むようなことになってる。急にどうした?」

唐突な質問に思考が回らず、咄嗟に言葉が出てこなくなる。どうした、と言われても。何をどう説明すればいいのだろうか。正直なところ、そのことに関してはたとえ先輩隊員にも言っていいのか戸惑うところがあった。そんな私に気づいたのか、一緒に行動していた秋山先輩が諌めるように道明寺先輩に声をかける。

「道明寺、天風が困ってる。何でもかんでも聞くのはやめろよ」
「いや、だって気になるだろ。今までもなんで特務隊にいて戦闘に参加しないのかとは思ってたけどさ」

二人のやりとりを目の前にしながらも私の心はどこか遠く離れたところにあった。このことは喋ってしまってもいいのだろうか。別に宗像室長からは口外するなと言われている訳ではない。話してしまうことも、隠してしまうことも、揉み消してしまうことも、自己判断でどうすることもできることなのだろう。

だけど、私の思考回路は事実を話すという結論を導き出さなかった。隠すという方法も揉み消すという方法にも辿り着かなかった。だって、これは私だけの問題ではないから。このことを私個人が勝手にどうこうしてしまったら伏見先輩の立場はどうなってしまうのか。

だから、実際のとこどうなんだ?教えろよ。と、道明寺先輩に話を振られても私は動揺することなく即答できた。

「その件に関しては私だけの問題ではないので、答えられません。申し訳ないとは思っているんですけど…」

拒否の意思を口にした時、明らかに先輩たちの表情が惚けたものになって困惑する。言い方がおかしかっただろうか。日本語を間違えてしまっただろうか。礼儀がなっていなかっただろうか。様々な考えが頭の中を巡っているうちに先輩たちは顔を見合わせて、それからどういう訳か笑い始めた。

「えと…、なにかおかしかったですか?」
「いや、なんつーか。な?」
「うん。天風って昔より個性が出てきたというか…、ハッキリしてきた」

そうだろうか。自分ではそんなことをまったく考えていなくて自覚がない。なら、昔の私はどんな渡されるだったのかと聞けば二人はうーんと小さく唸って、やがて声を合わせて出した答えは人形。思いも寄らない答えに頭の上に疑問符がいくつも浮かび上がる私を余所に先輩たちは好き勝手に言葉を並べていく。

「いつもヘラヘラ笑ってて実際なに考えてんだか分かんねぇし、言われたことには首を縦にしか振らなかったし」
「稽古とかには参加してたけど戦闘はしてなかったから、今よりずっと細かったし」

あ、今の天風が太ってるとかそういう訳じゃないからね。むしろ肉付きよくなって健康的に見えるぞ。なんだか段々と話の路線が脱してきているような気がするけれど、口を出すこともできずただただ相槌を打つだけ。人形。あまり嬉しい言葉とは言えないけれど、きっと先輩たちは私がそこからいい方向に変わったと言ってくれているのだろう。

いったい何が私を変えてくれたのか。道明寺先輩ではないけれど、私は急にどうしたのか。考えるまでもなく答えは見つかった。そうしているうちに二人の会話は一悶着ついたのか、だからお前は昔よりも今の方がいいと言われる。純粋に嬉しいと感じた。照れ臭い気持ちになって自然と頬が緩んだ。

「伏見先輩のおかげです。きっと」

あの人が私のことをちゃんと見てくれて、指導してくれたから。だから、今の私があるのだろう。こうして先輩たちに認めてもらえた裏側にも、伏見先輩がいるのだろう。感謝してもしきれないです、と恥ずかしく思いながらも口にして笑えば、先輩たちも呆れたように眉を下げて笑う。

「こんな職場にいて、そこまで想われてたら伏見さんも少しは丸くなるかもね」
「そう、でしょうか?」
「そうだよ。で、その伏見さんは今日はどうした?いつもは一緒にいるのに」

道明寺先輩の言葉に自分でも表情が曇ったのが分かる。伏見先輩は大事な仕事を任せられたらしく、今日は私一人でこっちにまわれと淡島副長に言いつけられた。だから、私はこうして先輩たちと仕事に当たっているわけなのだが、やはり少し寂しい気持ちがあるのも確かだった。

また仕事押し付けられたんだな、伏見さん。そう言いながら笑う先輩たちを見て、やはりあの人は頼りにされている人なのだと実感する。淡島副長だって私のような普通の隊員にそんな大事な仕事は頼まないだろう。きっと、伏見先輩はいろんな人から必要とされている。

「まあ、いい経験になったんじゃねぇの?伏見さんナシの仕事ってのもあるんだってこと」
「そう、ですね。はい。勉強になりました」

当然のことだ。私よりもキャリアが長くて仕事もできて強い人なのだから、上に頼られて信じられて当たり前。底辺にいる人間と一緒にいるなんて普通だったら考えられない。だから、それでも傍にいてくれることを喜ばなければならない。実際、私は今の状態に幸福を覚えているし、このままでいいとも思っている。

だけど、そう分かっていても、少しだけ、ほんの少しだけ、妬んで寂しいと思っている。

「くらーい顔だな。昔と性格は変わったけど相変わらず伏見さん絶ちはできてないってか」
「むしろ、それに関しては昔よりも酷くなってるような…」
「なっ、そんなことないですよ!私は何も変わってなんて、」

ないです、と続けようとした声は周囲の喧騒に掻き消された。さっきまでは気にもしていなかった人々の声が、どこか困惑と疑念の色を混じらせたものになったことを聴覚が感じ取ったからだった。そして、すぐに気付くことになる。先程まではなかった違和感に。

「…なんだ?急に映像が変わりやがった」
「なにか、おかしいですね…」

ニュースやCDの宣伝の映像が流れていたはずの画面が全て同じ映像を流していた。違和感の原因はそれだ。どうして。何かの偶然だとは思うことができず、もしかしてとポケットの中に入っているタンマツを取り出して確認すれば案の定、操作もしていないのに映像が映し出されていた。

「っ、タンマツもやられてる…!」
「アーバンネットがジャックされたみたいだ。たぶん、都心部の機関が乗っ取られてる」

秋山先輩が自分のタンマツを見ながら冷静に状況を分析する。周りを見れば、やはり人々の視線はタンマツか電子板に向けられていた。つまり、この近辺にいるほぼ全員の人間が同じ映像を見ているということ。アーバンネットをジャックするならそれなりの機械と技術が必要になるから、もしかしてハッカーが手を引いているのかも、と自分なりの考えを出している間にも状況は悪い方向へと流されていく。

「おいおい、ンなことするのどこのテログループだ?犯行予告でもする気かよ」
「は、犯行予告!?それ、大変じゃないですか!」
「つっても、外にいる俺たちには何もできないしなぁ…」

手の打ちようがないよなと頭の後ろを掻く道明寺先輩と、黙って映像を凝視する秋山先輩。今の私たちには指を咥えて見ていることしかできないらしい。それを歯痒く感じながらも、きっと屯所にいる淡島副長を筆頭とする隊員たちが既に発信源の特定に動いているだろうと考え、私も静かに画面を見上げた。

その時、そこにいる全ての人間がこれから流れるであろう何らかの映像に少なからず一抹の好奇心を持っていた。かく言う私もそのうちの一人だったのかもしれない。テロか悪戯か、はたまた想像し得なかった何かか。平凡から抜け出したいという無意識の希望からの僅かながらの期待。だから、その瞬間まで疑いもしなかった。まさか聞こえてくる声が私の知っていたものだなんて、考えもしていなかった。

『やぁ、良い夜だね。俺は夜景を撮りに来たんだけど、そっちはこんなところで何してるの?』

声が出なかった。喉元で何かが詰まって一瞬、息ができなくなる。状況についていけなくなって混乱する。それから思考は防衛本能に従って前向きな考えを引っ張り出す。きっと聞き間違えだ。似たような声の人なんてこの世にたくさんいるじゃないか。だって、映像に彼の姿は映っていない。映っているのは、白い髪で黒い服を着た男と思われる人の後ろ姿だけ。

だから、別人だ。心配する必要なんてない。動揺する必要なんてどこにもない。必死になって冷静さを保とうとする私の理性。だけど、その声はそんな私の願望すらも打ち砕く。

『俺は十束多々良。君は?』

姿はない。でも、聞き覚えのある透き通った優しい声。そして、私の大好きな人の名前。バラバラになっていたパズルのピースが一様にはめられていくかのような気分だった。あり得ないと否定しても流れる映像は止まらず時を駆け、鼻歌交じりに身体を揺らしていた男が不気味に喉を鳴らす。そして突然振り返り、何かをこちらに向けた。

銃声。画面が揺れる。ビデオカメラが音を立てて地面に落ちる。見覚えのある金色の髪が映る。動かされたカメラが男を映し出す。その中で男は両手を広げて声高らかに名乗りを上げた。

『俺は第七王権者、無色の王!ここで人を待っててな』

ざわざわと辺りの喧騒が勢いを増す。私の頭の中は真っ白になり、繋がりを失くした言葉が意味のない羅列を綴る。十束。多々良。ビデオカメラ。夜景。星。鼻歌。白髪。黒い服。拳銃。弾丸。銃声。七。王権者。無色。ひと。待つ。誰を。なんで。

『良い夜かって?』

再びゆっくりと銃口がこちらに向けられる。これは映像だ。男は画面に銃口を向けているに過ぎない。だけど、まるでそれは私たちを標的にしているかにも見えた。

『あぁ、確かに。良い夜だ…』

二度目の発砲音と共に今度こそ画面が砂嵐に飲まれる。こんなにも人が多いスクランブル交差点がほんの一瞬、無音の世界に包まれる。誰もが映像に目を奪われ、引き込まれていた。でも、それも刹那のこと。今のはなんだ。悪戯か。本物か。本当に人が殺されたのか。黙っていることのできない人々はすぐにざわつき始め、一瞬にして静寂は破られた。

「…これ、まずくないか?合成にしてはできすぎてる」
「ここにいる奴ら全員に見られてるってことだよな。まずいって言うか…結構ヤバくね?」

そんな先輩たちの声が遠くに聞こえた。すぐ隣にいる筈なのに、ずっと遠くに聞こえた。音だけじゃない。人も建物も見えなかった。握りしめた手の感覚もなかった。きっと嗅覚も味覚も働いていなくて、五感の全てが停止していた。ぐらりと身体が傾いたような気がする。クラクラする。気持ち悪い。

「とりあえず屯所に戻ろう。ここにいてもどうしようもない」
「だな。天風、なにボーッとしてんだ。さっさと帰投するぞ…って天風?」

膝から崩れ落ちて、ぺたりと座り込んで口元を押さえた。違う。違う違うちがうちがうちがうチガウチガウチガウチガウ。そんな筈はない。だって、この前のことだったんだから。ついこの前会って一緒にいて喋って別れて、当たり前のように時を過ごしたんだから。だから違う。撃たれてない。怪我なんてしてない。死んでなんか、いない。

「おい、天風!大丈夫か!?」
「顔色が真っ青だ…。貧血かもしれない。道明寺、自販で水買ってきて」
「お、おう。分かった!」

恐怖と焦燥と戸惑いと混乱と。そして、どういうわけか噴き出すように内部を侵食していく真っ黒で赤みがかったもの。憤怒。憎悪。意味が分からなかった。どうしてこんな気持ちにならなくてはならないんだろう。どうしてこんなに腹立たしいのだろう。悲しみなんかよりも先に湧き出てきて、感情を一人独占しようとする怒り。今にも外に出てきてしまいそうなそれを押し留めるように自分の肩を抱く。

ふと、空に透明でいて七色の輝きを持つ丸いものを目にした。どこからか一つ、この混み合った空間に迷い込んできた泡のようなそれは、まるで何事にも流されることなく、かと言って誰かを傷つけることもなく、ただそこにあるだけで人の意識を引きつけ魅了しているかのようでーーーー……

「とつかさん…?」

手を伸ばす。届かないと分かっていても、触れたら割れてしまうと分かっていても、絶対に逃がしてしまいたくなくて。

「ありがとう」

そう言って微笑んだ彼の姿が脳裏に浮かんでーーーー弾けて消えた。



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