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▼ 41



出撃命令が出た。と言っても私は情報車でバックアップ要員だから前に出て戦うことはない。それが自分でも驚くほど嬉しかった。こんなことを誰かに言ったら怒られるかもしれない。笑われるかもしれない。だけど、戦わずに済むことがすごく嬉しくて、心底安堵した。

理由なんて分かってる。きっと私は淡島副長に言われたことを気にしているんだろう。あの後、淡島副長は今言ったことはあまり気負いする必要はないと言ってくれたけど、実際当事者の私はそう簡単に割り切ることが出来なかった。どうしても気になって、不安になった。

これでは不安定そのものだろう。こんなことを考えていたら迷惑をかけるだけだろう。そう思うと余計に不安になる。どうすればいいのか分からなくなる。それでまた考えて恐くなって、考えないようにすると不安になっての繰り返し。逃げ道なんて、どこにもなかった。

「おい、渚」
「ッは、はいいい!?」

突然肩を叩かれて上擦った叫び声にも似た返事をしてしまった。振り返れば伏見先輩はこれでもかというくらいに目を丸くさせていて、それから気味の悪いものを見たかのような目になる。それもそうだ。声をかけたら急に叫ぶんだから、そういう反応になるのも無理はない。すみません、と肩を竦めて謝る。

「なに、緊張でもしてんの?」
「えーっと、まあ、そんな感じです…」

実際はそういう訳ではないけれど、こんなこと相談したところで解決しないだろう。それに、それでなくても激務をこなして大変そうにしている先輩にこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないから。曖昧にはぐらかして苦笑い。ふぅん、とあまり興味のなさそうな伏見先輩の声を聞いてホッと安堵の溜め息を吐いた。

緊張は、特にしていない。別に私が戦うわけではない。悪く言ってしまえば、ここで傍観して事の成り行きを見守るだけ。もちろん指示が出るようならすぐに剣を抜くけれど、今回はきっとそういうことにはならないと思う。何故なら、あの宗像室長がもう前に出ているのだから。

「王権者同士の戦い、見たことないんだっけ?」

その問いかけには正直に首を縦に振る。王権者は七人いて、そのうちの第四が青の王である宗像室長だということはここに配属された当初から知っていた。でも、その他の王のことはよく知らない。第一が白銀、第二が御前である黄金。はっきり言って、私がちゃんと把握しているのはその三人だけだった。

ただ、宗像室長たちが入っていったあの大きなビルの中にはその三人に含まれない王がいる。そして、おそらくそのクランズマンたちも。クランとクランの正面衝突、そして王権者同士の力のぶつかり合い。今まで一度もその光景を目にしていない私には、これから何が起きるかなんて想像もつかなかった。

「相手方、赤のクランは暴力という一言で表される戦闘集団だと聞いています」

第三の赤。セプター4のよう組織的な機関ではなく、一般的な民間人として生活している集団。それも少し珍しいように思えるけれど裏を返せば組織ではないということ。そんな彼らが今回、あのビルの中で暴れているという情報を受けて出動した訳なのだけれど――――……

「今まで大人しかったのに、どうしていきなり暴れ出したんでしょうね」
「…さあな」

俺の知ったことじゃない。吐き出すようにしてそう言った伏見先輩を見ながら考える。暴力だなんて言われているけれど、赤のクランの彼らがこんな風に大きな事件を起こしたのは私がこの職場に来てから初めてのことだった。だからこそ、彼らのことを認知していなかった訳なのだが。

だけど、これはただの喧嘩なのだろうか。こんな大きなビルに住むような権力者を相手にして?王まで出てきて?どうして。何を原因に。何のために。悶々と考えて、やっぱり無理だと頭を横に振る。どれだけ考えても客観である私には分からないことだった。

「理解するって、難しいことですね」
「…またそれか」

いい加減やめろよ。呆れたように、それからどこか苛立ったような冷たい口調に思わず視線を外す。ええ分かってます。会ったこともない人たちのことなんて分かる筈もない。騒ぎを起こす人たちのことなんて理解してどうする。自分の中で区切りをつけて嘆息。

「…宗像室長たち、大丈夫でしょうか。あまり数を連れて行かなかったようですけど」
「王とクランズマンの実力差は歴然としてる。雑兵の人数なんて、多かろうが少なかろうが関係ない」

王権者に与えられているものとは言え、力を持っているクランズマンが雑兵。王とは本当にどれだけの力を持っているのだろうか。そんなの人間っていうより、寧ろ――――そこまで考えてその思考の全てを打ち消した。

違う。たとえ王であっても人間だ。ただ、たまたま石盤に選ばれてしまっただけの、普通の。それに、そんなことを言ったら私だって一般の人間は持ち合わせていない力を使うことが出来る。もし、力のある人間を化け物と形容するのなら、私もそれ。私だけじゃない。淡島副長だって、伏見先輩だって。

化け物の筈、ないじゃない。だって、こうして息をして悩んで、一人では生きられずに大切な人を守りたいと願ってる。傍にいるだけであったかくて、安心させてくれる。人間だ。化け物なんかじゃない。でも、と隣に佇む伏見先輩を一瞥する。この人はこれだけの力を持っていて満足しているのだろうか。

「あの、伏見先輩はあまり前線に出ませんけど、その…、つまらないと思ったりしないんですか?」
「なんだよ。お前は俺に戦ってほしいわけ?」
「い、いえ!先輩が怪我をしないで済むなら、私としては嬉しいことです」

ただ、実力がある人だから、いつもいつもパソコンやモニターの前に張り付いているのも肩が凝るんじゃないかと。どちらかと言えば伏見先輩は戦いを好む人だと思うし、実戦向きな人だとも思う。それに言い方は悪いけれど、ストレスの捌け口がないというかなんというか。

「発散ならしてる」
「えと、どういったことを?」
「お前で」

私で?きょとんとなって自分を指差す。お前で、と伏見先輩は頷く。よく意味が分かりませんが。どういうことですか?と首を傾げれば伏見先輩は私の頭に手を伸ばした。撫でられる、訳ではなくて寧ろ掴まれるといった触り方に嫌な予感。そして、その予感は見事的中した。

「い、いたたっ!?」
「たとえばこういう風に」

ぐっと頭が押さえつけられて一瞬、酸欠のような感覚に陥る。またですか何度目ですかそんなに私の頭を潰すのが楽しいですか。言いたいことは全て痛いという一言で消えていく。涙が出そうになるのをなんとか堪えて、助けてくださいと伏見先輩の胸を叩いた。

「頭、割れますから…!もっと人に優しい発散法をお勧め、します…っ!」
「…チッ、使えない奴」

舌打ちと共にやってきた解放感に頭をさすりながら大きな溜め息を吐き出した。やっぱりいつもより少し苛立ってるように感じる。言動も行動も空気も、抑えてはいるけれど近くにいれば分かってしまう何か。本当は先輩も戦いたいんじゃないだろうか。

「な、なんと言えばいいのか分かりませんが、今回の相手はクランなんですから、伏見先輩が出てもいいんじゃないでしょうか」
「そうしたら誰がここで指揮とるんだよ」
「…誰もいませんね」

役に立ちたいと思う。だけど、私にはそれを成す為の力が足りない。まだまだ不完全で、足元も覚束ないような新米だから。伏見先輩なしでは何も出来ないから。ぐっと拳を握りしめて唇を噛み締める。そんな私を伏見先輩は一瞥して、でもすぐに視線を別の場所に移した。

「…まあ、理由なんて分かりきってるけど」
「え?」
「俺が出ると厄介事になるって分かってんだよ、あの人は」

あの人。直感的に宗像室長を指していることが分かって思わず身を固くする。今、恐らくはあの建物の中で相手と対峙しているだろう私たちの王。どうしてあの人が伏見先輩のことを厄介だなんて思わないといけない?だって、宗像室長だってこの人のことを信頼して、だから特務隊に配属させたんじゃないか。

矛盾という縄の結び目を解こうとして足掻く。だけど、解けない。寧ろ、足掻いた分だけ余計に絡まっていくような気さえした。それがなんだか恐ろしく思えて、まるで縋るように声をかけることしか私には出来なくて。

「あの、厄介事って…?」
「お前には関係ない」

だけど、それをこの人は容易く振り払う。分かってる。私は下っ端だから、たとえ部下であったとしても関係のないこともある。何も力になってやれないこともある。だから、越えてはいけない一線が目の前にあったとしても欲を我慢して立ち止まるのだ。そうしなければ、きっと私は今以上のお荷物になってしまうから。

本当は知りたい。近づきたい。でも、嫌われたくない。結局は保身だ。中途半端で臆病で。本当に、どうしようもない。気付けば視線を落として床を眺めていた。それは、後ろ向きな気持ちの体現。だから、渚と名前を呼ばれて顔を上げた時に伏見先輩の目をしっかりと見れなかった。そんな私に伏見先輩は眉を寄せ、呆れたように溜め息を吐き出す。

「捨てられた子犬みたいな目してる」
「し、してませんよ!そんな、」
「してるから言ってんだよ」

私の声を遮るようにそう言って、犬を撫でるみたいに私の頭をくしゃくしゃにする。それが酷く落ち着いた。無造作で、特別愛情の感じられない行為だった筈なのに、どうしてだろう。気付いた時には無意識のうちに伏見先輩の腕を掴んで、薄い胸板に軽く額を押し付けていた。

「…勤務中」
「ご、ごめんなさい。つい…」
「…ハァ」

離れようとした私の頭に手を添えて、また胸まで引き戻す。それだけ。抱きしめることもしなければ、ましてやそれ以上のことをする訳でもない。でも、それで良かった。やっぱり私は不安で堪らなくて、こうしてこの人の温もりを感じたいとずっと思っていたんだ。

何故か涙が出そうになった。大きく息を吐き出して零れそうになるものを押し留める。すみません。ありがとうございます。そう言って離れようとした時、後頭部にあった手が柔らかくうなじを撫で上げた。驚いて、先輩?どうしたんですか?と顔を上げて首を傾げれば、私を見下ろす伏見先輩はどこか哀愁に満ちていた。

「…お前は知らなくていい」
「、伏見先輩?」
「お前が知る必要なんて、どこにもない」

明らかな拒絶とは言えないのかもしれない。ただ、伏見先輩がそのことを私に知られたくないと思っていることぐらい直感で分かった。どうして、知られたくないんですか。どうして教えてくれないんですか。口をついて出て来ようとした言葉の羅列を呑み込む。聞きたく、ない。

鳴り響いたサイレンに視線が外れた。同時に私に触れていた手も離れていって温もりもなくなる。不思議と寂しいとか、そういう感情は一切湧いてこなかった。あったのは今まで以上の緊張感。サンクトゥムの展開を確認。先輩隊員の声に、ああこれから本当に王同士の始まるのかと悟る。

「出ますよ、ダモクレスの剣が」

誰に向けての言葉だったのか。それは私には分からない。分かろうともしなかったのかもしれない。その時の私はただ突然目の前に姿を見せた現実に意識の全てを奪われた。初めて見るその、王と呼ばれるに相応しい力を。

「あれが、ダモクレスの剣…」

胸のあたりが奇妙にざわついたような気がした。



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