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「お腹空きましたね」
「そりゃあ、あれだけ走り回れば腹も減る」
「…私、前回の件から宗像室長のこと少し苦手になりましたよ」
「奇遇だな。俺もあの人のことは嫌いだ」

そんな会話をしながらお互い揃えて溜め息を吐き出した。ほんと、怨み殺されても知りませんよ宗像室長。人を偵察に行かせて散々動かし回した挙げ句、報告に行ったら自分はジグソーパズルを楽しんでいたなんて。仮にも室長で王権者なんだから、もっと仕事らしい仕事してください。

まあ、王権者の仕事なんて想像もつかないから軽々しくそんなことを言ってはいけないのだろう。クランズマンが口出ししていいことではない。そんなこと分かっているけれど、疲れきっている今の私からしてみればやっぱり納得いかなくて、愚痴めいたことを零すしかなかった。

食堂に行けば夕飯時だからだろう、たくさんの人がいた。いい匂いが立ち込めていて思わずお腹が鳴る。そういえば今日は朝食べたっきりで、お昼ご飯は食べれていないんだった。腹の虫が鳴るのも無理はない。それに、今日もまた夜勤だから夜は長い。

「なに食べようかなぁ。やっぱりスタミナがつきそうなものがいいかな…」
「早く決めろ。つっかえてる」
「うぅ…、じゃあこれにします」

スタミナとか言っておきながら結局いつものパスタとサラダの食券を買っていた。ニンニクとかを取っておいた方が良かったんだろうか。でも、なんだかんだでいつもこれを食べているような気がする。美味しいからいいのだけれど。

そんなことを考えながら出された料理をトレーに乗っけて空いてる席に座った。ああ、お腹空いた。倒れそう。伏見先輩が前に座ったのを確かめてから、いただきますと手を合わせてフォークを手に取った。それから先輩の食べているものを見て、眉を寄せた。

「…伏見先輩、栄養が偏ってます」
「お前だって人のこと言えないだろ」

そうかもしれないけど、夕飯に蕎麦ってどうなんですか。確か昨日はうどんを食べていて、その前も蕎麦だったような気がする。夏はよくそうめんを食べていて、冬は温かい蕎麦やうどん…って、あれ?

「先輩って麺しか食べてないような気が…」
「食べやすいから楽。それに毎日ってわけじゃない」

でも、ほとんどの先輩の食事の記憶が麺なんですが。しかもパスタとかではない日本食の麺類。つまり、あまり具がない。素朴な味わいのものばかりというかなんというか、それだけで栄養があるようにはどうしても思えなくて。

「いつも思いますけど伏見先輩は野菜が足りてないです」
「うるせぇな。嫌いなんだよ」
「好き嫌いはいけません。食べましょう」

伏見先輩が野菜嫌いなのは知っている。でも、だからと言って1日のうちにひとかけらも食べないのは流石に拙いだろう。自分のトレーに置いてあったサラダを渡そうとすれば心底嫌そうな顔をされた。そんなに嫌いなんですか。

レタス、トマト、きゅうり。一つぐらい食べてみましょうよ。そう言っても伏見先輩は不機嫌そうに顔を歪めるだけで断じて受け取ろうとしてくれない。困った。何とかして食べさせなければ。そう思って、好き嫌いは駄目ですよともう一度告げれば、寧ろ反撃を喰らう羽目になった。

「そういうお前は牛乳を少しも飲まない」
「ま、まあ、アレは無理です。どうしても嫌いなので…」
「魚も食べない」
「生臭いのが、ちょっと…」
「そんなお前に質問。カルシウムはどこいった?」

う、うわあああ聞こえない聞こえない!耳を両手で塞いで頭を振る。カルシウムなんてなくてもきっと人間は生きていける筈だ。いざとなればサプリメントを摂取すれば何とかなる。それが都合のいい解釈だということは重々承知だが、伏見先輩が取っていない栄養に比べれば私のカルシウム不足なんて小さいものだ。

「野菜にはたくさんの栄養素が含まれているんです。足りてないと身体に悪いんですから」
「別に体調悪くないし」

ビタミン、ミネラルなどなど、野菜でしか取れないものはたくさんある。にも関わらず伏見先輩の場合だと摂取量が極端に少ない。それでどうして身体を壊さないでいられるのが謎だけど、いつかガタが出そうで怖い。それでなくても細いのに。

「そんな食生活だと倒れちゃいますよ」
「ついこの前顔真っ青にしてぶっ倒れたお前に言われたくない」
「ぐっ…!あ、あれは少し疲れが出ただけで…」

食事は関係ないです。疲れただけです。現に今は体調も万全な状態にまで回復してピンピンしてます。つまり、栄養面には全く問題ないということです。胸を張ってそう言えば伏見先輩は呆れ顔で溜め息を零す。それから、めんどくさそうに箸の先を私に向けて揺らした。

「俺が嫌いなものをお前が好きになる、だっけ?それと同じだろ」
「それとこれは話が別です!」

心身に関わる問題を共有なんてしている場合じゃないでしょう。珍しく私の方が呆れてそう言えば舌打ちされた。でも私はめげない。こんなところで退く訳にはいかない。立ち上がって厨房まで行って、それからまた戻ってきて取ってきたものをテーブルの上に叩きつけるようにして置いた。

「そんなに野菜が嫌いならこれ飲んでください!」

コップの中に入ったオレンジ色の液体が揺れた。一日分の野菜がなんとか、というのがキャッチフレーズの野菜ジュース。なかなかに毒々しい色をしたそれを見た伏見先輩はあからさまに顔を歪める。

「…それ加工品の味して不味い」
「液体ですから流し込めばなんとかなります」

正直なところ、これで本当に野菜が取れているのかは疑わしいけれど、この際百歩譲って良しとする。固形物を口にするより手っ取り早いでしょう?そんなことを口に出しながら今日の私はいつになく強気だな、と自分でも思った。でも、先輩が身体を壊すかもしれないんだ。少しぐらい意地を張りたくもなる。

今回ばかりは絶対に退きませんから、と仁王立ちして伏見先輩の前に立ちはだかる。先輩が簡単に折れてくれるとは思っていないけれど、私も負けない。そう思っていれば伏見先輩は少し考える仕草を見せ、それから何か思い当たったように頭を上げた。

「お前が飲ませてくれれば飲んでもいい」
「、へ?」

言葉の意味が咄嗟に理解できなくて呆けた声が出る。私が伏見先輩に野菜ジュースを飲ませる。飲ませるって、どういう風にすればいいんだろうか。色々と方法を考えるけれど良い方法が思い浮かばない。どうすればいいですか、という気持ちを込めて先輩の顔色を窺う。混乱して棒立ちになった私を見上げる伏見先輩は意地の悪い笑みを浮かべていた。

「だから口移ししてくれるなら飲んでやってもいいって言ってんだよ」

ああ、私が風邪で寝込んだ時に伏見先輩がやってくれた方法か。なるほど、その手があったか。一人納得してから数秒後、言葉の意味の深さを理解して一気に顔に熱が集まってくるのを感じて口をパクパクとさせることしか出来なくなる。

「な、なっななっ…!」
「嫌ならいい。別に俺は困んないし」

余裕げな表情で私のことを見上げてくる伏見先輩を見て悟る。形勢逆転。いつの間にか主導権を握られた。ついさっきまでは確実に私が攻めていた筈なのに、カウンターを受けてダウンしたような気分だ。

「た、楽しんでますね?」
「さあ?どうだろうな」

楽しんでる、絶対に。だって笑ってる。すごく、楽しそうに。手元に視線を落として考える。このままだと私は確実に負けるだろう。でも、負けたところで私に何か被害がある訳ではない。馬鹿にされたように笑われて、それで終わりだろう。別にそれでもいい。だけど――――

「…わ、わかりました。やります」

誰かが何かを吹き出したような音がした。誰かの咽せる声が聞こえて、食器が落ちる音もして、だけど誰の話し声も聞こえなかった。煩いようで、とても静かな空気が流れて居心地が悪い。だけど、それは同時にもう私が今言ったことを撤回することが出来なくなったということだ。

「(え、なに、ここでやんの?馬鹿なの?)」
「(待て待て待て!落ち着けよお前ら!まずは逆立ちで深呼吸だ!)」
「(お前が一番落ち着け)」

なんとなく、ここまできて退くのが嫌だった。いつから私はこんなどうしようもないことに負けず嫌いになったのだろう。馬鹿みたいだ。自嘲してからコップを手に取って中身を覗き込む。何から抽出したか分からないオレンジ色。思わず顔をしかめてしまった。

偉そうなことを言っているけれど実は私も野菜ジュースは好きじゃない。野菜自体は好きだけど、この独特な味を私の舌は受け付けないのだ。しかも自分で飲むだけでなく口移しだなんて。頭がクラクラして倒れそうになるがなんとか耐える。や、やるしか…!ゴクリと喉を鳴らして固く目を瞑って意を決してコップに口をつけて――――

「…飲めばいいんだろ、飲めば」

溜め息混じりの声にハッとして顔を上げた。それから、あっと思っている間に私の手からコップが奪い取られて、気付いた時にはもう伏見先輩はオレンジ色の液体を飲み始めていた。自分の役目を失った私は先輩の喉が上下に動くのをぼんやりと眺めることしか出来ない。

「、まっず…」

苦々しげに漏れた声。歪んだ顔を見て、本当に嫌いなんだなぁと今更ながらに考える。どうして急に先輩の方から飲もうなんて考え出したのかは分からないけれど、でも確かに全部飲んだ。おめでとうございます?ありがとうございます?なんて声をかけたらいいかも分からず、気付けば手を伸ばしてうなだれている頭に触れていた。

「よ、よく出来ました…?」

まるで子どもを誉めるかのような行動に自分でも驚き、そして固まった。しまった。つい手が出てしまった。冷や汗をだらだらと流して固まっている私と同様に伏見先輩もそのまま動かない。拙い、これは拙い。

突然ガタンと音を立てて立ち上がった伏見先輩にびくりと肩が揺れた。やっぱり、拙い。これは相当拙い。嫌な予感しかしない。なんだかいつもと先輩の雰囲気が違うような気がして一歩退くが、その距離を詰めるようにして肩を掴まれた。

「あ、あの、伏見先輩?」
「…俺がやったんだからお前も飲むよな」
「飲むって、な、何を…」

掴まれている肩が痛い。頭の中で警報が鳴って赤いランプが点滅を繰り返している。に、逃げないと。もうすぐ奴が、私の天敵がやってくる。そう思ってもやっぱりこの人から逃げ切ることなんて到底不可能なわけで。顔を上げた伏見先輩は、それはもう怖いくらいに口元を歪めていた。

「飲めよ、牛乳」

夜の空に悲鳴が響く。私の夜はまだまだ長いようだ。




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