nowhere | ナノ


▼ 29



見上げた薄暗い天上は窮屈な空だと思った。高いビル群が建ち並び、飛行機が無機質に飛び回り、澱んだ色の空気が立ち込める。なんだか、狭い。広いようでここから見上げる空は狭い。真っ青な大海原は発展を続けたこの国が自由の代償に失ったものなのかもしれない。そんな風に柄にもなく考えた。

自由なんて、どこにもないだろう。私たちはどこに逃げたって支配から逃げることなど出来ないのだから。クランズマンである私然り、上下関係のある社会人も然り、社会制度というものに縛られた全ての国民も然り。たとえ民主主義の国だろうが王政を敷いた国だろうが、私たち人間に支配から逃れる術はない。

なら、どうして彼らは自由の為に命を懸けて戦うことを選んだのだろうか。支配されるのが嫌だった?そんなの仕方ない。彼らの力は危険なのだから。犯罪に結びつく力をみすみす放り出しておくほど私たちも職務放棄している訳ではない。仕方ない。これが仕事なのだから。

「一雨来そうだな」

遠くの方で雲がうなり声を上げている。空がいつもより速く動いているから、雷雲が近付いてきているのかもしれない。確か天気予報でも午後から雷雨になるとか言っていたような。今朝見たテレビのニュースを思い出しながら苦笑いを浮かべた。

「早めに終わらせたいですね。こんなところで濡れるのは勘弁です」
「あの時みたいに頭からずぶ濡れになるからな」
「うっ…あ、あれはシャワーですよ。雨じゃないです」

恥ずかしいですから今その話を持ち出さないでくださいよ、と唇を尖らせれば伏見先輩は減るもんでもないだろとあっさり切り捨てた。そうですけど、今は他の先輩たちも近くにいるから大きな声で言わないで欲しいです。周りには聞こえないように小声で言った。

「…それにしても残党狩りって、宗像室長も酷なことを指示しますよね」
「今更だな。あの人が冷血人間なのは昔からだろ」

確かに配属当初からこの人は微笑みの裏にものすごく黒いものが見えるとは思っていたけれど、でもこんなに敵にも味方にも容赦ないとは考えていなかった。おかげで私も休みがほとんど貰えずに街中を駆け回っている。とは言え、実際早く解決しなければならない問題ということは事実だった。


ストレインの犯罪組織はやはり実在していた。一気に全面衝突となったあの日、多くのストレインの捕縛は出来たものの、やはり逃げた者もいた。そのおかげで最近の仕事は専らその逃げ延びた集団の制圧。今日もこうして彼らが潜んでいるであろう廃屋への突入だ。

「自首してくれると助かるんですけどね…」
「普通やることやっておいて投降するか?連中、そんな人間できてねぇよ」
「そう、ですけど…」

歯切れ悪く相槌を打ちながら考える。どうして彼らは諦めないのだろう。お互い総動員で臨んだ前回の衝突で犯罪組織はほぼ壊滅、言うまでもなくセプター4の勝利。そもそも王権者の宗像室長が出た時点で結果なんて全て決まっていた。それは今だって同じ筈だろう。

言い方を変えてしまえば、どう足掻いたとしても彼らに勝機など微塵にもないのだ。にも関わらず彼らは逃げ続け、再起を懸けている。自首してしまえば傷付くことなんてもうないだろうに。それなのにどうして。しばらく沈黙を守り考え込む。そんな私を見て伏見先輩はお前の考えなんて全てお見通しだとばかり溜め息を吐き出した。

「またそれかよ、お前は」
「す、すみません。やっぱりどうしても気になってしまって…」
「あの日の一件で懲りたかと思えば全然変わってねぇな」

ごもっとも。苦笑いしか出てこない。犯罪者の心理なんて理解できないということは身をもって実感した。あの人たちと自分は相容れないと理解した。怒ったし苛立ったし憎かった。なのにまだ私は変わらず彼らのことを知りたいだなんて考えている。何も変わっていないと自嘲気味に笑った。

いろんな意味で進展したあの日から早数日、私の怪我は完治し本当に元通りになった。これでいつも通りに過ごせると安堵したのと同時に、相変わらず身体だけは丈夫なんだなぁと我ながら感心した。だけどそんな現状、あの日以来少し変わったことがある。

『天風、そっちの状態を伝えてくれ』
「あ、はい。見たところ外部の様子に変化はないですね。まだ気付かれてない可能性が高いです」

一つ、偵察や対象者の捕縛などの主な戦線に出られるようになった。もちろん帯刀も許されるようになったし、他の人たちと同様に宗像室長からの許可が下りれば抜刀も出来る。戦うこと自体は私にも出来たということが分かったから、というのが大きな要因だろう。

「どうします?突入しますか?」
『もうしばらく待機だ。こういう時こそ慎重にいけ』
「分かりました。出方を窺います」

今はもう使われていないらしい倉庫を遠目に眺めながら通信を切る。まだまだ実戦経験が皆無にも等しい私はこうして先輩たちからアドバイスを受けながら命令に従うしかない。つまり、この場で私に意見をする権利はない。

だんだんと暗くなってきた空を見上げた。こうして私にもまた自由はない。組織には命令を聞いて実行するという支配が成り立っている。解放されることなんて、きっと死ぬまでない。でも、その支配は嫌いじゃない。むしろ、好きとも言える。何故なら――――……

「おい、渚」

名前を呼ばれて意識を引き戻したのと同時に額に軽い衝撃が走る。そして、私の視線が捉えたのは少し不機嫌そうな顔。思わず眉間をぐりぐりとしてしまいたくなるほど寄せられた皺。慌ててすみませんと謝った私を見下ろしながら伏見先輩は舌打ちを一つ。

「ぼけっとしてんな。怪我するぞ」
「す、すみません…。気をつけます」

もう一度謝って、それから自然と口元に笑みが浮かんだ。不思議だな。どうしてだろう。ぶっきらぼうな言葉なのに、そこにはやはり温かさがある。今までなら気付けなかったことも今は何となくだけど分かるようになってきて、私は本当にこの人が好きなんだなと改めて思った。

あれから伏見先輩は私のことを名前で呼んでくれるようになった。これが二つ。最初は私の方が慣れなくて大変だったけれど、今はもう馴染んできた。だけどやっぱり気恥ずかしい部分もあるわけで照れることもしばしば。でも、伏見先輩の方は何の抵抗もないらしく涼しい顔をしている。

あの日から変わったことと言えば、その二つだけ。あとは何も変わることなく今までと同じように時を進めている。だから、きっと他の人から見たら大した変化はないのだと思う。きっと、友達という位から親友に昇格したぐらいの印象に違いない。

「あ、裏も押さえておいた方がいいですかね。数がどれだけかも分からないですし、逃走経路の遮断にも有効ですし…」
「それより先にすることは?」
「…さ、先に?えと、周囲の関連する倉庫に敵の仲間が隠れていないか。もしくは武器が備蓄されていないかの確認、ですか?」
「よく出来ました」

頭をぽんぽんと撫でられて頬が緩んだ。こうやって伏見先輩に誉められることは変わらず嬉しくて、胸がほっこりする。やっぱり前とほとんど変わらない。でも、変化がないことは返って私の気持ちを楽にさせてくれる。

彼氏だとか恋人だとか、そんな一般論で片付けたくなかった。どう言えばいいのか分からないけれど、私にとって伏見先輩はそれ以上に大きな存在なのだ。好きという一言では到底表現できないほどに。重たい恋愛感情だな、と人知れず自嘲の笑みを浮かべて踵を返す。

「それじゃあ確認してきますね。ここはお願いしま…うぐっ!?」
「お前はここ担当だろ。勝手に離れんな」

踵を返した私の首根っこを伏見先輩が掴んだ。思わず鶏を殺したような声が漏れる。首が、首が締まってます。息が出来ません。ジタバタと両手を動かしながら必死にもがく私を後目に伏見先輩は他の隊員に指示を出していた。

「た、担当とかって、あるんですか…!ここから距離もほとんど、ないと思うんですけど…っ!」
「…チッ、なら言い方変えるぞ」

首の圧迫感がなくなり、ゴホゴホと咳き込んでいれば肩を掴まれて振り向かされる。近付いた伏見先輩の顔に心臓が人一倍大きな音を立てた。私も人間で女だ。好きだと自覚した人の顔を前にすれば意識せざる負えなくて身体が緊張して、ドキドキする。

「お前は俺担当。俺から離れるな」
「、えっ…」
「何するか分かんねぇお前の手綱はとりあえず俺が握っとくって言ってんだよ」

ガックリと肩を落とす。それはつまり私が普通の人には手のつけられない暴れ馬ってことですか。ドキッとした気持ちを返してください。そう思いはするものの、確かにやらかし癖はあるから何も言えずに首を縦に振ることしかできない。

「…分かりました。なら、まだ力量もない私には先輩の背中を守ることは出来そうにありませんから、正面を守ります」
「それはただの邪魔」

ぐっ、なんという直球…!言ってて自分でも思いましたけど少しぐらいオブラートに包んでくれても、と肩を落としていれば通信が入った。宗像室長の指示が下りたので総員、突入準備。一気に周りの空気が身体を刺すような鋭いものになった。

私も表情を引き締めてサーベルの鞘を掴む。それから気持ちを落ち着けるために目を閉じた。大丈夫、やれる。いつものように突入したら周りの状況を見て数を確認して、それで、何だっけ。まずい。緊張してきた。握った手がじっとりしていて気持ち悪い。

「大丈夫。絶対大丈夫だから…」
「…おい、平気か?」
「、は、はい。大丈夫ですよ?全然、平気です」

迷惑だけはかけない。かけたくない。だから強くなろうと思ったんだ。焦らなくていい。ゆっくりでいい。大きく息を吐き出す。ドクドクと血液の流れる音が聞こえるような気がした。うるさい。少し黙ってよ。そう思えば思うほど音は大きくなる。ああもうどうしよう。

「…渚」
「っだ、大丈夫ですから!先輩の邪魔には絶対になら――――…」

続くはずだった言葉を掬われた。突然のことに呆然となってされるがままになって、何も出来なくなる。何も考えられなくなる。微かに響いたリップ音に頬が熱くなって、心臓が別の意味で激しい鼓動を続ける。

「お前は俺の隣にいろ」

火照った頬に触れた手は冷たかった。隣って、一番邪魔になるじゃないですか。そう言おうとした唇に先輩の綺麗な指が触れる。何も言うなと、ただ俺の言うことに従えと言いたげに。見下ろす視線は鋭いけれど、どこか優しい色を含んでいて私は恍惚にそれを見上げることしか出来ない。

「返事は?」
「―――…はい」
「…お利口さん」

ドキドキする。だけど、そこに焦りや不安はもう欠片もなくて、あったのは胸に広がる安心感と愛しさだけだった。

「(そ、そばで待機の俺涙目…!)」
「(リア充ばくは…ああなんかもうどうでもいいや)」
「(…あのー、突入していいっすかね)」





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