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▼ 01


私は酷く臆病で弱い人間だ。力はないし頭もいいわけじゃない。器用とはお世辞にも言い難く、少々ドジ癖が強いから周りの人にも迷惑をかけっぱなし。やる気はあるのだけど、その全てが空回りする。そんな人間だ。

はっきり言ってここに置いていてもらえるのは単なる偶然が重なった結果であって実力なんかじゃない。むしろ奇跡にすら近い。そのことはしっかりと自覚している。それがタチが悪いのかそうじゃないのかは私には分からないけれど、でも私にも諦めきれないことがあった。

私はどうしてここに留まっているのか。何にも出来ない分精神的ダメージが大きいにも関わらず、どうして離れようとしないのか。簡単なことだった。私には離れたくない人がいた。

離れたくない、なんて烏滸がましいかもしれない。何故なら、その人は私の手の届くような人じゃないからだ。組織の中でもNo.3で仕事もできて、とても強い。まさに月とすっぽんとはこのことを言うんだと思う。

そんな私とは雲泥の差の人。私なんかじゃ足元にも及ばないし、視界にも入れてくれないような人。でも、諦めたくない。離れたくない。出来ることならずっとそばにいたい。

「おい」

もちろん私が何かしてやれる訳もないけれど何か偶然にできてしまうかもしれない。たとえば、ほら。身代わりとか、盾になるとか。この仕事はそれなりの危険が付きまとう仕事だから、もしかすると――――

「聞いてんのか、馬鹿」
「あいたっ!?」

頭蓋骨に響くような鉄拳が脳天に叩き込まれ、思考は完全に中断させられた。やばい、痛い。ものすごく痛い。くらくらする。視界がチカチカして、ぼやけた向こう側にお花畑が見えたような気がした。が、意識を飛ばすことは許されない。

片足を一歩前に出して倒れかけた身体をなんとか踏み留める。その直後に首根っこを掴まれ、後ろに引っ張られた。前にあった重心は急に後ろへ。頭蓋骨の中で脳味噌があっちこっちにぶつかったような気がした。

「もう一回聞いておくけど、話聞いてる?」
「す、すみません…っ若干、聞き落としていたかもしれないです…」
「…へえ?」
「うっ!?く、首!首締まってます先輩…!」

襟が首に食い込む。息ができなくて苦しい。酸欠だ。もう駄目かもしれない。私、弱いから太刀打ちできない。この人相手だったら尚更に。短かったなあ、私の人生。

諦め混じりにされるがままになっていた時だ。チッと舌打ちの声が耳元で聞こえて首にかけられていた圧迫が消える。気道が広がり、大量の空気が流れ込んできて思わず涙が出そうになった。

「げほっ、げほっ…。ひ、酷いですよ先輩。死ぬかと思いました」
「生命力だけは人並み以上にあるからそう簡単には死なねぇだろ」

そんな無茶苦茶な。誉めてるんですか、それ。吐き出しそうになった言葉を呑み込み、咳き込みながら首もとをさする。どうやら死なずに済んだようだ。

でも、別に殺されたってよかったかもしれない。私がいようがいまいが誰にも影響はないだろうし。ああ、でもどうせなら役に立って死にたいな。やっぱり身代わりになるのが一番いい死に方かもしれない。

自嘲気味に笑みを零す私の襟首がまた引っ張られる。先程よりも圧迫感はなかったとは言え思わずが顔が歪んだ。そして至近距離にまで近付いた顔。気を抜いたら魂が飛んでいきそうだ。

「せ、先輩近い近い。近いですっ」
「なに考えてた、お前」

なに考えてた、って…。そりゃあ色々と考えていましたけど。そんな風に言葉はいくらでも濁すことはできた。でも、眼鏡の奥の眼光に射抜かれたらそんなことは出来ない。そんなことは何の意味も為さない。

「…先輩になら殺されてもいいし、先輩の為なら死んでもいい。そう、考えていただけですよ」

いや、違う。見抜かれてるとかそんなことは関係ない。ただ、この人に虚構を押し付けるのが許されないだけ。私自身がそれを許さないだけ。

先輩は表情一つ変えることなく私の目を見据え続けていた。腹の内を探っているとかそんな意図はないだろう。言うならばきっと、蔑んでいるんだろう。こんな私を、可笑しくなった人形を。

「…行くぞ」

掴んでいた襟首を唐突に離した先輩は何事もなかったかのように私に背を向け、歩き出す。罵るわけでもなく、呆れるわけでもなく、何の感情も私に向けることなく歩き出す。

「行くって…、どちらへ?」
「昼。食堂」
「えっ!もうそんな時間なんですか!?」
「お前が倉庫で資料ぶちまけてる間にも時間は経つんだよ」

うっと言葉に詰まる。確かにぶちまけた。ほんの少しだけ飛び出していたダンボールの角に足を引っ掛けてすっころんだ光景が思い返され、自然と顔に熱が集まる。それと同時にお腹がぐうっと鳴った。これだから私って奴は。

火照った顔を壁にガンガンとぶつけてしまいたい衝動を抑えながら先輩を追いかけた。腹に背は変えられないとはよく言ったものだ、と内心苦笑いを浮かべながら細いけれど大きな背の後ろをついて歩く。

「先輩、今日はちゃんと野菜食べないと駄目ですからね。というか、全体的にもっと食べないと」
「…お前、人のこと言えるぐらい食べてたっけ?」
「私は、…前線に立たないですし。それより先輩は細いんですからもっと摂取カロリーを……うわっ!?」

腕をものすごい力で引っ張られて前につんのめった。肩が、肩が外れる。今絶対変な音した。ゴキッて言った。呻き声が漏れそうになるのを歯を食いしばってなんとか堪え、涙が滲みながらも顔を上げる。先輩は、隣にいた。

「話し辛い」

ぶっきらぼうで話の流れが全く分からない言葉だ。だけど、意味は分かる。私なんかには恐れ多い言葉だろう。私は先輩の後ろをついて歩いて、必要な時にはこの身を呈して先輩の前に立ちはだかって盾になればいい。

私にはこの人の隣に立つ技量も器もない。この人の背中を預けられる資格もない。それでも、この人とこうしていられるのは――――

「伏見先輩、私は何があろうともずっと貴方について行きます」
「…あっそ」

きっと偶然と偶然に更に偶然が重なり合った奇跡以上のものなのだろう。



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